「紙」、その歴史は古い。最も古いものとして中国の前漢時代(紀元前2世紀)の紙が発見されております。しかし、人間の意思伝達・記録のために紙以前の書写材料として、洞窟の壁面や木の葉、樹皮、動物の皮・骨、粘土板、石、貝殻、青銅、竹、木、帛(はく、絹布)などが使用されました。ただ、これらは運搬性、伝達性、保管性、筆記性、重量、量産、価格等に問題があり、もっと便利で安いものへと淘汰されていきます。紙の誕生です。もともと、紙は自然にあったものではなく、必要のために人間が造り上げたものです。そして永い歴史の中で、より良いものへと、その造り方や使い方が改良され原料、性質、機能などが変わってきました。
次に、世界四大発明の比較表を掲げます。当時の書写材料と文字(特記事項欄)に注目してください。紙の誕生は、それよりずっと後のことです。
文明名 | 年代 | 書写材料 | 関連河川 | 特記事項 |
---|---|---|---|---|
メソポタミア文明 (西アジア) |
紀元前3500年~紀元前3000年頃 | 粘土板 | チグリス・ユーフラテス川 | 楔形文字、太陰暦、60進法、七曜制 |
エジプト文明 (アフリカ北東部) |
紀元前3000年頃~紀元前1000年頃 | 石材、パピルス | ナイル川 | 象形文字、ヒエログリフ(聖刻文字)、太陽暦、ピラミッド |
インダス文明 (インド北西部~パキスタン) |
紀元前2500年頃~前1800年頃 | 石材 | インダス川 | インダス文字、算用数字の考案、ゼロの発見、モヘンジョ‐ダロ、ハラッパーなどの遺跡 |
黄河文明 (中国) |
紀元前1600年~紀元前500年 | 甲骨、竹簡、木簡 | 黄河 | 殷墟、甲骨文字、青銅器 |
紙がなかったころの書写材料として、粘土板、パピルス、亀甲、竹簡・木簡、羊皮紙などが有名です。少し説明します。
- メソポタミアの粘土板には、前3千年紀初めから楔形文字で書かれた文書(クレータブレット)が刻み込まれています。この粘土版は、人類が発明した書写材料の中でもっとも保存に優れているといわれますが、欠点として粘土が湿っている間に書かねばならないこと、重く、かさ張ること、大きいものは作れないことなどがあります。
- 古代エジプトで使用されたパピルス(Papyrus)は、紀元前3000年頃から使用され、紀元後7~8世紀、製紙法の発達するまでヨーロッパでも用いられました。パピルスは、今日の紙に最も近い書写材料で、「紙」(英語:Paper,ドイツ語:Papier…など)の語源となりましたが、紙そのものではありません。パピルスは、エジプトのナイル河畔に生育するパピルス草(カヤツリグサ科カミガヤツリ)と呼ばれる葦に似た植物が原料です。まず、その茎の外皮をはぎ、芯(髄)を長い薄片とし、この薄片を縦・横に並び重ねて、水をかけ数時間圧搾します。その後、表面を石・象牙等で擦って、平滑にし、天日乾燥したシート状のものです。いわゆる不織布の一種といえるもので、繊維の分散液から絡み合わせるという紙の作り方でないため、紙とは違うわけです。
- 中国では紀元前1400年ころ、亀甲・獣骨などの甲骨に文字を刻みましたが、これは中国最古の体系的な文字で甲骨文字といいます。殷代に多く、殷墟文字、甲骨文ともいいます。その後、中国の戦国時代に豊富な竹を使った竹簡や、戦国時代から唐代まで木簡(もっかん)が使用され、文字などが書かれました。さらに紀元前7~5世紀には、帛(絹の織物)も筆写材料として使われました。その書かれたものを帛書(はくしょ)といいます。
なお、わが国でも木簡が使われました。飛鳥~奈良時代のことです。平城宮跡などから出土しています。なお、年配の方ならご存知だろうと思いますが、戦後もしばらく残っていた木の荷札は木簡のなごりです。
- 羊皮紙(ようひし、パーチメント)は、羊・山羊・牛などの薄い革をなめし、滑石で磨いて作った筆写材料ですが、ヨーロッパで紙が出現する中世まで広く使用されました。羊や牛の多産地だった小アジア(現トルコ)では、敵対関係にあったエジプトからパピルスを買わなくてもすむよう、前2世紀頃から羊皮紙の製造を始めたといわれ、次第に西洋全体に広まっていきました。パピルスよりも柔かく、丈夫で書きやすく、両面に文字を書くことができ、それまで使われていた書写材料の中で、最も優れていましたが、欠点は高価なことでした。
[追加]もう少し木の葉や樹皮の例も紹介しておきます。
- 貝多羅葉(ばいたらよう)…貝多羅樹は、ヤシ科のオウギヤシ(別名ウチワヤシ)で、その掌状の葉の裏に竹筆や鉄筆などの先の尖ったもので文字を書くと、その跡が黒く残るので、古代インドで写経をするのに用いました(「貝多羅」は梵語(サンスクリット語) pattra の音写、「葉」の意)。略して貝葉とも呼ばれています。
なお、似たような名称で多羅葉(たらよう)がありますが、多羅葉はモチノキ科(モンツバキシバ・ノコギリシバ)の常緑樹。その葉に傷痕を付けると黒変して文字が書けるので、わが国では貝多羅葉になぞらえて「多羅葉」と名付けられました。 また、多羅葉は平成9年4月に「郵便の木」に指定(郵政省(現総務省))されておりますが、500年ほど前に武士がこの葉の裏に文字を書いて便りとし「葉書」の語源になったと言われており、俗に「葉書の木」とか、「ジカキシバ」「エカキシバ」ともいわれています。
- アマテ…メキシコなどで、主に無花果(いちじく)の樹皮を叩き延ばし、衣料あるいは書写材料に使用したもの。
- タパ…南太平洋諸島などで、こうぞ類の白皮を叩き延ばし書写材料、衣料用布などに使用。なお、ハワイ諸島ではカパ(樹皮布)と呼ばれています。
そして紙の誕生です。紙は中国の四大発明(火薬・羅針盤・印刷術)の一つであり、およそ2100年前の前漢時代に大麻の繊維を使った紙が始まりで、その後、紀元2世紀の初め(西暦105年)の中国・後漢時代に、蔡倫(さいりん)という人が技術の改良を行い、今日の製紙技術の基礎を確立しました。蔡倫は、「竹簡は重く、帛は高価で、人には不便である」とのことで紙を作りました(後漢書)。原料として樹皮、麻、ぼろ布などを用い、これらを石臼で砕き、それに陶土や滑石粉などを混ぜて水の中に入れ簀の上で漉く方法ですが、このやり方は原理的には今日の紙漉き法[①皮を剥く(調木) ②煮る(蒸解) ③叩く(叩解) ④抄く(抄紙) ⑤乾かす(乾燥)]とほとんど変わりがありません。
[注]紙は長い間、蔡倫が発明したとされていましたが、その約200年以上も前の紙が発見され、これにより蔡倫は、紙の改良者ないし製紙の普及者とされています。
そして、中国で発明された紙は、シルクロード(絹の道)を通って西進し、西域からヨーロッパへと伝播します。それまでの西方諸国では、パピルスや羊皮紙が使われていましたが、これらの書写材料は、東方からの紙の伝播によって次第に使われなくなっていきます。そして東方の紙は、「洋紙(西洋紙)」として大きく花開きます。
一方、中国の紙漉きの技術が、わが国に伝えられたのは、朝鮮・高句麗から僧侶曇徴(どんちょう)と法定(ほうじょう)が来朝した推古天皇18年(西暦610年)であると日本書紀に記録されています。
この紙がさらに改良され、麻や楮、雁皮などの靭皮繊維を原料とする紙となり、日本独自の紙(後で言う「和紙」)として開化していくことになります。
さらに、西洋紙(洋紙)が西欧からわが国に伝わり、生産されたのは、ずっと後の明治時代初期の1874(明治7)年のことです。蔡倫から、実に1750年余り後になります。当時の原料は木綿ボロ(破布)でした。まだまだ、紙は進化していきます。
紙以前の書写材料と紙は、夢を与える雄大なロマンといえます。
(2002年12月1日付け)