「きょうは何の日?」は相変わらず根強いですが、皆さんはいくつご存知でしょうか。それから「紙の日」はいつでしょうか。「ティッシュペーパーの日」や「たまごの日」などの特売日のことではありません。「紙の記念日」のことです。
その前に、3月3日は「松井秀喜の日」(Hideki Matsui Day)。これは米国における「きょうは何の日?」的発想ですが、今年新たに制定されました。日本からニューヨークへの観光客が、2001年9月の米国同時多発テロなどの影響で激減し、最盛時は年間およそ42万人が訪れたものが、現在は年間30万人程度となり、その経済効果も半減しているとされています。そこでその回復を願ってニューヨーク市の観光産業振興団体が人気者の大リーグ、ヤンキースの松井秀喜外野手を「観光親善大使」に任命、それとともに市長が今後3月3日を「松井の日」と宣言し、日本からの観光客誘致へ向けて本格的なキャンペーンをおこなうというものです。
何故、「松井の日」が3月3日なのか。ハッキリしたことは分かりませんが、開幕を間近かに控えて時期的に今ごろがよいことと、打率3割3分とホームラン33本を期待しての「3月3日」ではないでしょうか。
これはアメリカでの話でしたが、わが国でも「○○の日」という記念日が増えており、「きょう」は何の日?と言われるくらい1年の毎日が何らかの記念日・行事日であると言ってもよいくらいです。
最近では、全国の新選組同好会などが3月13日を「新選組(新撰組)の日」に決定したと新聞紙上で報じられています。「新選組の日」は何月何日がふさわしいと思いますか?というアンケートの結果決定されたもので、1863(文久3)年のこの日は、浪士組(新選組の前身)に松平容保公から、正式に「会津藩御預り」を決定したという知らせが届いた日とされています。今年はNHKの大河ドラマ「新選組!」もあり、盛り上がり、決定されたものでしょう。
このようにその制定は、いろいろな理由付けがありますが、大きくは月日の語呂合わせから決められているものや、歴史的に由来があるものが多いようです。
月日の語呂合わせから制定されているものには例えば、4月6日は「城の日」(平成元年姫路市制定)、1月10日の「110番の日」や、6月4日の「虫歯予防の日」(1928(昭和3)年日本歯科医師会制定)、8月29日「焼肉の日」(1993年全国焼肉協会制定)、10月2日「豆腐の日」(1993年全国豆腐協会制定)などなど沢山あります。それから「119番の日」は11月9日ですね。電話119番が誕生したのは1927(昭和2)年のことですが、語呂合わせでこの日を「119番の日」に自治省(現:総務省)消防庁が1987(昭和62)年に制定。この日から秋の火災予防運動が始まりますね。
それでは次の日は何でしょうか。3月3日、8月7日、それに10月10日は。それぞれ「耳の日」、「鼻の日」、「目の日」ですね。
また、歴史的に由来があり記念日として制定されているものとして、例えば4月では、2日は「図書館開設記念日」。1872(明治5)年のこの日、官立公共図書館「書籍館(しょじゃくかん)」が東京・湯島に設立されました。わが国で初めての近代図書館であったことから、この日が記念日とされています。その後、同館は議会図書館と合併し、現在は国立国会図書館となっています。同じく30日は「図書館の日」で、1950(昭和25)年のこの日に図書館法が公布されたことにちなんで、日本図書館協会が1972(昭和47)年に制定し、この日に続く5月を「図書館振興の月」として各地の図書館でさまざまな催しが実施されています。
それから紙と材料こそ違いがありますが、製造工程が似ているといわれる鉄。その「鉄の日」(鉄の記念日)は12月1日。岩手県釜石の製鉄所が洋式高炉によって鉄の操業を始めたのが、1857(安政4)年のこの日です。この洋式高炉によって、日本における鉄の近代的な生産が始まりましたが、これを記念して日本鉄鋼連盟が1957(昭和32)年に、12月1日を「鉄の日」(鉄の記念日)と制定しました。
それでは「紙の日」は?
「紙の日」(紙の記念日)をインターネットで検索しますと、12月16日が「紙の日」となっています。他に紙がらみで多くあったものは、「夕刊紙の日」や「日刊新聞創刊の日」などですが、念のためにそれらを下表に掲げておきます。
記念月日 | 記念日の名称 | 由来など |
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2月21日 | 日刊新聞創刊の日 |
1872(明治5)年のこの日、日本初の日刊新聞「東京日日新聞」(現在の毎日新聞)が浅草で創刊されました。 東京日日新聞は、世界初の新聞戸別配達を実施し、1911(明治44)年には、大阪毎日新聞と合併して全国紙へと踏み出しました。 |
2月25日 | 夕刊紙の日 |
1969年(昭和44年)、日本初の駅売り専門のタブロイド判夕刊紙「夕刊フジ」』が発刊されたのがこの日です。 なお、日本で新聞の夕刊が登場したのは、1915(大正4)年の10月10日で、「大阪朝日新聞」と「大阪毎日新聞」が同時に発行を開始しました。 |
3月6日 | スポーツ新聞の日 | 1946(昭和21)年3月6日、日本初のスポーツ新聞「日刊スポーツ」が創刊されました。 |
10月15日~21日 (15日から1週間) |
新聞週間 | 1947(昭和22)年に愛媛新聞社が初めて実施し、日本新聞協会が翌年の1948年から実施。いろいろな記念行事が開催されます。 |
新聞広告の日 | 新聞週間中の10月20日 | |
新聞配達の日 | 新聞週間中の日曜日 週間中の日曜日が「新聞少年の日」で、これは1962(昭和37)年から実施。 |
また、「和紙の日」と「洋紙の日」はどうでしょうか。検索しても両方ともないようです。ただ、「和紙の日」は検索で小津和紙博物舗が毎年8月4日を「和紙の日」と定め、和紙まつり、和紙商品のバーゲンなどを開催しているようです。これは和紙を扱っている会社の一行事に過ぎません。
なお、和紙発祥の地といわれる越前和紙で名高い福井県今立町では、「紙の神」である川上御前が祀られている岡太(おかもと)神社と大滝神社および五箇地区一円で、毎年5月3日から5日にかけ、「岡太神社・大滝神社の春季例大祭」と、紙祖神・川上御前に敬慕と感謝を表す華やかで荘厳な、わが国唯一の「神と紙の祭り」があり、諸行事が行われています。
そして祭礼のある5月3日には、全国の紙の流通業界のトップが岡太神社にお参りされているということですが、これも特に「和紙の日」などとは関係ないようです。
参考までに今立町大滝に伝わる「紙の始祖伝説」を次に掲げておきます。
紙の始祖伝説…福井県今立町
福井県今立町の「五箇(ごか)地方」は、越前和紙で名高い旧岡本村であり、大滝、不老(おいず)、岩本、新在家、定友の5つの集落があります。五箇の中心は大滝です。その大滝には、越前和紙の中心でわが国のもっとも古い紙の始祖伝説があります。
約1500年前、大滝の岡本川の上流に美しい姫が現れて村人に、紙漉きを教えたと言い伝えが残されています。それが紙の始祖神伝説です。継体天皇が男大邊王としてまだ越の国にいた頃、越前今立の五箇村を流れる岡太川の上流に、美しい女神が現れました。女神は村人に、「この辺りは山間の僻地で、田畑が少ないが、良い水に恵まれているので紙を漉くのが良い」と言い、上衣を脱いで傍らにかけ、紙漉きを教えました。村人が名を尋ねると、川上に住む者だと告げただけで姿を消しました。村人はこの女神を「川上御前」と呼んでこれを崇め、その地に神社を建立、以後紙漉きを代々伝えたというのです。
これが岡太神社であり、岡太神社にはこの里に紙漉の技を伝えた「紙の神」である川上御前が祀られており、紙祖神 岡太神社といわれています。(今立町商工観光課「越前和紙の里 今立」)
さて、本題の「紙の日」(紙の記念日)に戻りますが、12月16日が「紙の日」であるとのインターネットによりますと、生涯に多くの企業の創設・育成に力を入れた実業家・渋澤栄一が1873(明治6)年に日本最初の洋紙会社である「抄紙会社」(後の王子製紙)を設立し、1875(明治8)年には東京の王子村に工場を完成。その年の12月16日に営業運転が開始され、洋紙産業の幕開けとなりました。この日を「紙の日」(紙の記念日)としたわけです。
なお、12月16日を「紙の日」としているホームページの中には、「抄紙会社」は実業家・澁澤榮一が大蔵省紙幣寮から民間企業として独立させたもの、と記述しているものがありますが、これは間違いです。紙幣寮抄紙局の紙幣用紙などの手漉き和紙を生産する工場を、抄紙会社王子工場の隣接地に設置したもので、「抄紙会社」は紙幣寮から民間企業として独立させたものではありません。
このため「抄紙会社」の社名は官営「紙幣寮抄紙局」と紛らわしいとのことで、1876(明治9)年に「抄紙会社」は「製紙会社」と改称しました。さらに1893(明治26)年、「製紙会社」は創業地の名を冠し社名を「王子製紙」と改称し、今日の王子製紙の元になっています。
もう少しわが国における洋紙の始まりについて補足しておきます。日本で洋紙製造を目的として最初に創立・開業したのは有恒社(東京日本橋、後の1924(大正13)年王子製紙に併合)で1872(明治5)年のことです。そして初めて洋紙を生産したのは、同じ有恒社でその2年後の1874(明治7)年6月です。
このように「抄紙会社」が最初ではありませんが、何故、「抄紙会社」の最初の営業運転が洋紙産業の幕開けとされるのでしょうか。
それはこのころ創立・開業した有恒社も含めた他社・工場のほとんどが閉鎖、統合されたのに対し、抄紙会社王子工場は1945(昭和20)年に空襲で焼失するまで存続して、王子製紙株式会社の母体であったことや、わが国の近代工業の先駆けとなり、開業当初から生産高で他社を大きく凌いでおり洋紙生産のパイオニアの役割を果たしたことなどが理由として挙げられています。
そのため抄紙会社王子工場の創業地跡地を「洋紙発祥の地」として、1953(昭和28)年に「洋紙発祥之地記念碑」が建てられています。さらにその地には世界でも珍しい紙をテーマとする世界有数の紙専門の博物館として財団法人 紙の博物館が設立されています(1950(昭和25)年設立)。その後移設があり、近くの飛鳥山公園内に新館を建設し、「飛鳥山3つの博物館」として、紙の博物館は渋沢資料館、北区飛鳥山博物館とともに1998(平成10)年3月に新たにオープンし、今日に至っています。
少し長くなりましたが、12月16日の「紙の日」(紙の記念日)は「鉄の日」(鉄の記念日)と同じように根拠がありそうですが、私の長い製紙関係に携わった仕事の中で、「紙の日」が制定され、諸行事が実施されているとは聞いたことがありません。そこで紙の総元締めである日本製紙連合会にお尋ねしたところ、現在のところ「紙の日」(紙の記念日)という日は制定されていないとのことでした。もちろん、これはわが国の製紙業界として「紙の日」(紙の記念日)は公認されていないということになります。
それでは、なぜ「紙の日」が製紙業界とは別に独り歩きしているのでしょうか。それは分かりませんが、以前に紙関係者から「紙の日」を制定して欲しいという要望があったようですが、実現していません。そのような声があることや、「きょうは何の日?」の高まりから「紙の日」があるものとして、インターネットにもあるように既定の事実として独り歩きしているのではないでしょうか。
「紙の日」が公に制定されていないことが分かりましたが、わが国は製紙および紙・古紙の消費で世界でもトップクラスの国であり、「紙」は、「文化のバロメーター」とも言われ、文化の担い手となり、その役割は大きく、重要な位置付けにあります。誰にも馴染み深く、よく使われ、よく知られており、日常生活に無くてはならない紙、しかも電子媒体などと共存しながら進化してほしい紙。伝統があり、その中でさらに進化し親しまれる紙として、「紙の日」(紙の記念日)が公認され制定されるのも悪くないと考えます。むしろあったほうが自然だと思います。もちろん営利に結びつかないことが前提ですが、皆さんはが如何でしょうか。
(2004年4月1日)
…その後日本製紙連合会が12月16日を「紙の日」(紙の記念日)に制定。
(2010年1月21日)
参考・引用資料