コラム(34-2) 洋紙発祥の地 2

ここ王子が洋紙生産のに選ばれた理由

それでは、何故、「抄紙会社」の製紙工場が東京府下王子村に設置されたのでしょうか。その理由は次の通りです。

  1. まず、製紙には良質で豊富な水が必要ですが、その工業用水として、きれいで良質な千川上水が利用できること
  2. 原材料および製品の輸送に便利なこと。このために隅田川に通じる石神井川による船便の運行が可能なこと
  3. 平坦な用であること
  4. 東京近郊であること
  5. 元の熱心な工場誘致

などの諸条件が揃っている、東京都豊島郡王子村が工場建設に選ばれたのです。東京の郊外であった王子のは、当時としては最も優れた場所であったとのことです。

このなかで工場立条件の一つに、東京近郊であることが挙げられていますが、これは当時の製紙原料は、古着などの「木綿ボロ」でしたので、人口が多くて、その発生量が多く集荷しやすい都会が適していたのです。また、市場が近いということのみならず、渋沢栄一自身が工業思想を鼓舞奨励するのに政治の中心である東京に近いことが、条件に合っていたわけです。

なお、明治当初の明治5年から8年にかけて創立・開業した製紙業は、抄紙会社のほかに有恒社(東京日本橋)、三田製紙所(東京)、蓬莱社(大阪)、パピール・ファブリック(京都)および神戸製紙所(神戸)と官営の大蔵省紙幣寮抄紙局(東京)の計7つですが、その生産はいずれも都会か、都市に近いところでした。これは上述のように、当時の洋紙原料である木綿ボロの調達しやすいことが大きな理由として挙げられます。

 

その後の「抄紙会社」について

その後、官営の「紙幣寮抄紙局」(大蔵省所轄)が1875(明治8)年4月に創設され、翌1876(明治9)年2月に抄紙会社王子工場の隣接に、紙幣用紙などの和紙を生産する紙幣寮抄紙局の工場(現、独立行政法人 国立印刷局王子工場)が建設されました。

そのため「抄紙会社」の社名は官営「紙幣寮抄紙局」と紛らわしいとのことで、同年、1876(明治9)年5月に「製紙会社」と改称。さらに1893(明治26)年11月には、「製紙会社」は創業の名を冠し「王子製紙株式会社」と社名を改めましたが、この名称は、その後も戦後の会社分割や合併でいったん無くなっても必ず甦ってくる永遠の社名となりました。

製紙原料も「製紙会社」(抄紙会社改め)の大川平三郎(渋沢栄一の娘婿)が稲藁からパルプを製造する方法を開発し、1882(明治15)年に稲藁パルプの製造が開始されました。稲藁は木綿ボロよりは調達しやすく、そのパルプ化は蒸気や石炭の消費量も少なくでき、製造コストの大幅ダウンになったとのことです。これにより明治20年初頭の製紙工場は稲藁のみをパルプ原料とするか、あるいは主原料とするようになりました。

 

その後、わが国でも徐々に洋紙の生産量が増加し、その対応として欧米の技術を導入して、多量かつ安価に得られる木材からパルプを生産するようになります。最初の木材パルプは亜硫酸法によるもので、明治19年に製紙会社王子工場で先駆的試みが行われましたが、成功に至らず、断念せざるをえませんでした。本格的には1889(明治22)年に、静岡県竜川上流の気田に日本最初の木材による亜硫酸パルプ工場(製紙会社気田工場)を建設し、操業を開始し、成功しました。また、翌90年には富士製紙の入山瀬工場(静岡県)が日本初の砕木パルプ(グランドパルプ)製造しています。これらより、日本でも木材パルプによるマスプロ方式の技術導入がなされ、木材パルプ時代の到来を迎えたわけです。ヨーロッパに遅れること約45年です。

 

さらに木材資源確保のために、製紙工場は海運の利便性がよく、広大な用と水があり、木の多い山の近くに建設されるようになりますが、王子製紙(製紙会社改め)は会社の命運を託して、工場の北海道進出を決めます。

1908(明治41)年に工場建設に着手。1910(明治43)年7月に操業を開始。ここに新聞用紙専抄工場である画期的な「苫小牧工場」の誕生です。主な設備は水力電気による自家発電、砕木パルプ製造設備に、当時、米国で最大最新式とされた142インチ幅の長網抄紙機2台をわが国で最初に設置、さらに100インチ幅の長網抄紙機2台を持つ新鋭工場となりました。これにより「王子製紙株式会社」の主力工場は、この「苫小牧工場」に移り、東京府下王子村の王子工場は主役の座を譲り渡すことになります。

 

そして王子工場は、1945(昭和20)年4月に米軍の空襲で壊滅。その後復旧することなく、ここにわが国における洋紙発展の基礎固めの役割を果たし、王子工場は70年の歴史の幕を閉じたわけです。

 

王子工場跡と「紙の博物館」の誕生

そして終戦(1945年8月15日)。

戦前の王子製紙株式会社は、1949(昭和24)年7月31日を以ってその社業を閉じ、解体し8月1日新たに苫小牧製紙、十条製紙、ならびに本州製紙の3会社が誕生します。

 

戦後の解体時の経営者は、王子工場を何らかの形で再興しようと考えたのですが、GHQ(連合国軍総司令部)の認可が得られませんでした。そこでこの尊ぶべき洋紙発祥ので何か記念すべきことをしようと考え、誕生したのが現在の「財団法人 紙の博物館」です。

すなわち、旧王子製紙の解体と3社のスタートにあたって、記念事業として「財団法人 製紙記念館」(後の紙の博物館)の開設が計画されました。「製紙記念館」をつくって、旧王子製紙(株)の収蔵資料をベースにした、紙に関する資料を公開し、広く一般に紙についての理解を深めてもらおうとしたのです。

王子工場の焼け残り施設の一部を活用し、昭和24年9月に改築にかかり、翌1950(昭和25)年6月8日(王子工場操業の日)に開館の運びとなりました。以来、世界でも珍しい紙をテーマとする世界有数の紙専門の歴史ある民営の総合博物館として、紙に関する古今東西の資料を幅広く収集、保存、展示し、教育、普及活動を行っています。

 

製紙記念館は、その後、博物館法の公布により1952(昭和27)年6月に博物館として登録、翌年6月に「財団法人 製紙博物館」と名称が変わり、さらに1965(昭和40)年10月に現在の「財団法人 紙の博物館」に改称されました。

その後、首都高速中央環状王子線建設に伴う移転のため「洋紙発祥の」を離れることになり、近くの飛鳥山公園内に新館を建設し、「飛鳥山3つの博物館」として、紙の博物館は渋沢資料館、北区飛鳥山博物館とともに1998(平成10)年3月に新たにオープンし、今日に至っています。

 

なぜ、「王子の」が「洋紙発祥の」なのでしょうか

ところで、前述のように、明治初期に日本で洋紙製造業が興りましたが、「抄紙会社」が、最初ではありません。下表のように「有恒社」と「蓬莱社」のほうが「抄紙会社」よりも早く開業しています。


創立開業(運転開始)備考
有恒社 1872(明治5)年2月 1874(明治7)年6月 後の王子製紙に1924(大正13)年併合
抄紙会社 1873(明治6)年2月 1875(明治8)年12月 1875(明治8)年6月王子工場完成
蓬莱社 1874(明治7)年 1875(明治8)年2月 1928(昭和3)年工場廃止

 

それなのに何故、「抄紙会社」誕生のが「洋紙発祥の」とされるのでしょうか。

それはこのころ創立・開業した有恒社も含めた他社・他工場のほとんどが閉鎖、統合されたのに対し、「抄紙会社王子工場」は1945(昭和20)年に空襲で焼失するまで存続して、わが国の製紙産業で大きな足跡のある王子製紙株式会社の母体であったこと、また、わが国の近代工業の先駆けとなり、積極的に技術開発を行い、洋紙産業のパイオニアとしての役割を果たしたこと、さらに開業当初から生産高で他社を大きく凌いでいることなどが理由として挙げられます。

そのため「抄紙会社王子工場」の創業を「洋紙発祥の」として、1953(昭和28)年に「洋紙発祥之」記念碑が建立されたわけです。

 


 

明治時代初め、西洋に追いつき、追い越せと「文明開化」を担う産業として、洋紙業を興すことが最重要であると、「抄紙会社」が創立され、東京府下王子のに王子工場が建設されました。渋沢栄一の先見性と英断でした。

当時としては製紙工場設置に最適であった東京府豊島郡王子村も、時が経ち、東京都北区王子となり、戦後の高度経済成長に伴い、都市化が進み、大きく変貌しました。

さらに、製紙工場も全国にわたり増え、わが国の製紙業は大きく発展し、世界の製紙大国となりました。また、文化・経済の先進国にもなりました。そして今も進化しています。

先覚者、渋沢栄一の願いが実ったのです。

(2005年7月1日)

 

  • 「紙跡探訪 洋紙発祥之記念碑」(成田潔英著「紙碑」より抜粋)…(財)紙の博物館友の会「かみはくニュースレター No.1」(2003年7月1日発行)
  • 財団法人 紙の博物館「百万塔」(第100号) 植松達也著「洋紙発祥の・王子」(平成10年6月30日発行)
  • 日本製紙連合会 機関紙「紙・パルプ」…植松達也著「東京都北区王子はわが国製紙産業発祥の」(その1、その2・完)2002年7、8月発行
  • 「紙の文化と産業 製紙業の100年」…王子製紙株式会社・十条製紙株式会社・本州製紙株式会社発行(凸版印刷株式会社 昭和48年6月1日発行)
  • 財団法人 紙の博物館ホームページ紙の博物館
  • ホームページ江戸旧聞および、今昔王子飛鳥山界隈
  • JISハンドブック2004 紙・パルプ(日本規格協会発行)
  • 「広辞苑(第五版)…CD-ROM版」(発行所:株式会社岩波書店)
  • 世界大百科事典(第2版 CD-ROM版)…日立デジタル平凡社発行

参考・引用文献

 


更新日時:(吉田印刷所)

公開日時:(吉田印刷所)