今年の新聞週間は去る10月15日から1週間行われました。今回で58回目になります。今年の新聞週間の標語は、「『なぜ』『どうして』もっと知りたい新聞で」ですが、私自身、日刊紙3紙を購読し、新聞から多くの情報を得ています。インターネットにもお世話になっていますが、温かみのある紙からのほうが落ち着きがあります。
今回は「新聞」という語の由来と、わが国における初期の「新聞」についてまとめてみました。なお、まとめにあたって朝日新聞(ことば力養成講座 新聞…10月3日付)や、日本経済新聞「漢字コトバ散策 新聞(興膳 宏著)…10月16日付」およびインターネット語源由来辞典にある新聞(しんぶん)…語源由来辞典、世界大百科事典(第2版 CD-ROM版、日立デジタル平凡社発行)などを参考・引用させていただきました。
「新聞」という語の起源・由来について
「広辞苑(第五版)」によれば、「新聞」の意味として、①新しく聞いた話。新しい知らせ。新しい見聞。ニュース。および②新聞紙の略。社会の出来事の報道・解説・論評を、すばやく、かつ広く伝えるための定期刊行物。多くは日刊で、週刊・旬刊のものもある、と2通りがあります。
この①新しく聞いた話。新しい知らせ。新しい見聞の意味が「新聞」の発端です。すなわち、「新聞」という語は、もともと文字通りの「新しく聞いた風聞、新たな話題」を意味する漢語で、中国の唐時代、地方で起こった出来事を記した随筆体の読み物「南楚新聞」において最初に使われました。そして江戸時代の作家・滝沢馬琴の手紙にも使われていると、先の朝日新聞にあります。
わが国で発行された「新聞」について
それでは新聞の起源はいつでしょうか。一般に新聞の起源は、紀元前59年ローマの執政官になったカエサルの命令によって、元老院の議事録を「アクタ・セナトゥス acta senatus」、民会の決議を「アクタ・ポプリ acta populi」として公示したこととされています(《アクタ・ディウルナ》)。これらはいわば一種の公報で、新聞類似物にすぎません。これが新聞の起源とされるのは、新聞の特性である記録性、現実性、公開性、定期性を備えていたとみられるからでです。
しかし中世になると新聞類似物は存在せず、ようやく中世末期の15世紀になってから、貿易・通商活動の発達に伴って商業情報を主とするニュースへの需要が高まり、ニュースを手書きで複製し販売した〈手書新聞〉、手紙の形で送った〈書簡新聞〉が生まれました。15世紀半ばのグーテンベルクの活字印刷の発明以後は、ニュースを1枚刷りにした〈フルークブラット Flug blatt〉が街頭で呼び売られました。
これらは不定期の発行でしたが、社会の動きを定期的に報道する近代の新聞が誕生したのは、17世紀初めのヨーロッパにおいてです(世界大百科事典)。
日本で最初に発行された「新聞」は、後記のように「外国人が外国人のために外国語で発行した新聞」で、江戸時代の1860年代の初めです。そして「新聞」という語が「newspaper」の訳語として採り入れられたのは、さらにその後の幕末のころのことです。「newspaper」(ニュースペーパー)は、もともと「新聞紙」のことですので、「新聞」という言葉は「新聞紙」の略称だと言えます。当時も「新聞紙」という訳語も使われていたとのことですが、発行される新聞名が固有名詞で「○○新聞」というように多く用いられたため、明治20(1887)年代から「新聞紙」は単なる紙としての性質を意味するようになったとのことです。
江戸時代の17世紀初めから19世紀後半まで、わが国では社会的事件が起きたときに、文字または文字と絵でそのニュースを伝える1枚摺りのビラが大都市で売られました。これを「瓦版」(かわらばん)あるいは「読売」と総称されます。
注
「瓦版」とは、粘土版に文字・絵画などを彫刻して瓦のように焼いたものを原版として一枚摺りにした粗末な印刷物。実際は木版摺りのものが多い。また、「読売」は、社会の重要事件を瓦版一枚摺りとし、街上を読みながら売り歩いたもの。のちには歌謡風に綴り、節をつけて読み歩くようになりました。
このような「瓦版」あるいは「読売」という情報伝達媒体があり、今日の新聞の役目を果しましたが、日本で発行された初の新聞とされるのは、外国人が外国人のために外国語で発行した新聞(居留地新聞)です。1861(文久1)年6月、長崎でイギリス人ハンサード A. W. Hansard が週2回刊の「ナガサキ・シッピング・リスト・アンド・アドバタイザー The Nagasaki Shipping List and Advertiser」(英字紙)を創刊したのが始まりですが、ほかに「ジャパン・ヘラルド The Japan Herald」(1861年)、「ジャパン・コマーシャル・ニュース The Japan CommercialNews」(1863年)、「ジャパン・タイムズ The JapanTimes」(1865年)などがあります。
次いで翌年には、日本語初の新聞が徳川幕府により発刊されました。すなわち1862(文久2)年1月発行の「官板バタビヤ新聞」(かんぱんバタビヤしんぶん)ですが、これは幕府がバタビア(現在のジャカルタ)のオランダ総督府機関紙「ヤファンシェ・クーラントJavaansche Courant ヤバッシェ・クーラントJavasche Courant」(マカオやバタビヤなどの雑誌)を翻訳・編集した冊子です。これは日本における新聞出版の初めとされています。
このほかに外国の新聞が次々と翻訳・刊行されましたが、これらの諸新聞はすべて木活字印刷で書籍スタイルの単行本でしたので、現在のような新聞とはかなり体裁が異なっていました。
この幕府の手による外国新聞の翻訳出版事業は、この年の文久2年度のみで中止されました。その後、64(元治1)年ジョセフ・ヒコ Joseph Heco(浜田彦蔵)が外国の新聞を翻訳した「海外新聞」を、さらに67(慶応3)年イギリス人宣教師ベーリー Buckworth M. Baily が「万国新聞紙」を創刊しました。これらは外国のニュースだけの新聞でしたが、68(明治1)年になると、日本人による、日本国内の論評,ニュースを中心とした新聞が、東京、大阪、京都、長崎などに誕生。その代表的なものが柳河春三の「中外新聞」です。
そして現在のような定期刊行の近代的な新聞は、1870(明治3)年12月8日横浜で創刊された「横浜毎日新聞」で日本最初の邦字による日刊紙です。その横浜毎日新聞は従来の新聞が和紙に木版で印刷されていたのに対し、はじめて洋紙に活版で印刷(1枚刷り)されました。
ところで横浜毎日新聞は1879年に買収され、本社を東京に移し、同年11月から「東京横浜毎日新聞」と改題。さらに86年5月「毎日新聞」、1906年7月には「東京毎日新聞」と改題し、さらに1907年に「報知新聞」の経営するところとなり、1940年には「帝都日日新聞」に吸収され廃刊となりました。
なお、「横浜毎日新聞」創刊後、1872(明治5)年には「東京日日新聞」(毎日新聞の前身)、「郵便報知新聞」(報知新聞の前身)、現存最古の地方紙「峡中(こうちゅう)新聞」(山梨日日新聞の前身)など後の有力紙が続々と創刊され、今日につながる新聞の幕開けとなりました。
(2005年11月1日)
参考・引用文献
- 朝日新聞「ことば力養成講座 新聞」…2006年10月3日付
- 日本経済新聞「漢字コトバ散策 新聞(興膳 宏著)」…2005年10月16日付
- インターネット語源由来辞典にある新聞(しんぶん)…語源由来辞典
- 世界大百科事典(第2版 CD-ROM版)…日立デジタル平凡社発行
- 「広辞苑(第五版)…CD-ROM版」(発行所:株式会社岩波書店)