写真朝日新聞に好評、連載されている <花おりおり>に「ツバキ 草紙洗い」が載りました。「草紙洗い」という言葉ときれいな「ツバキ」の花の写真に魅かれて、ここに引用させていただきました(文と写真…ツバキ 草紙洗い、下記参照)。
花おりおり ツバキ 草紙洗い(文・湯浅浩史 写真・鈴木庸夫)
冬花の乏しかった昔、ツバキはどれだけ明るさを与えてくれたことか。趣をこらした名にその一端がうかがえる。「草紙洗(そうしあら)い」は謡曲で知られるように、小野小町が大伴黒主に古歌の盗作と苦言され、黒主の証拠の草紙を水で洗い、落ちた墨から偽物と見破る伝承に、花のかすり模様を結びつけた。(2006年03月22日付朝日新聞朝刊)
ツバキは、日本の代表する常緑高木の花木で、観賞植物として最も広く利用され、親しまれており、冬から春にかけて開花します。漢字は「椿」ですが、春の木と書かれ、春にさきがけ寒中に花をつけて春の到来を告げる聖なる木とされています。
なお、「椿」はわが国の国字で、中国の椿(ちゅん)は「ツバキ」とは別の香りのある高木の名だそうです。そして「ツバキ」の中国名は山茶、海石榴(広辞苑)。
話が脱線しましたが、もう少し「草紙洗い」(そうしあらい)について調べてみました。
「草紙洗い」は、小野小町と大友黒主(大伴黒主、おおともの・くろぬし)にまつわる逸話として演じられる能のひとつです。ふたりは平安時代前期の歌人で、ともに「六歌仙」(和歌の名人)の一人に選ばれています。
「世界大百科事典」によりますと、「草紙洗い」は能の曲名。流派により《草紙(子)洗小町》とも称し、三番目物。鬘物(かずらもの、かつらもの)。作者不明とあります。
シテ(能の主役)が小野小町で、ワキ(脇、シテの相手となる役)は大友黒主。宮中の歌合(和歌の競技)で小野小町の相手と決まった大伴黒主は、前日小町の邸に忍び込んで、小町が和歌を詠じているのを盗み聞きします。当日は、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑(ツレ…連れ、助演的な役)らが列席して勝負が始まりました。小町の歌は帝から絶賛されますが、黒主が「その歌は古歌である」と訴え、証拠に同じ歌が書かれている万葉集の草紙(本)を突き付けるので、小町は窮地に立ちます。
しかし、よく見ると墨色がおかしいので、小町が勅許を得て水を入念に注ぎかけ、草紙を洗うと、はたして入れ筆で、その歌の文字だけが流れて消えてしまいます。
それは小町の創作を盗み聞きした黒主が、万葉集の草紙に書き込んだものだったので、面目を失った黒主は恥じ入り自害をはかりますが、小町の取りなしで事なく済み、人々の勧めで小町が和解の徳を讃え、祝う舞「中ノ舞(ちゅうのまい)」を舞い、めでたく席が閉じられるという王朝絵巻風な能です。
上記写真の「ツバキ」は、赤い花弁(はなびら)に白くかすり模様の紋入りをしており、この模様が伝承「草紙洗い」の墨流しに、似ていることから椿の一品種として「草紙洗い」と名付けられたわけです。なんとも意味深くて趣のある名称ですね。
注
- 三番目物…正式の5番立ての演能で、3番目に演ぜられる能。
- 鬘物(かずらもの、かつらもの)…能の曲種で、鬘(かずら、かつら)を用いる役すなわち女を主人公とするもの。狭義には、狂女物などを除いた優美な能。
- 入れ筆(いれふで)…後から書き足すこと。
補足説明
ここで草紙(そうし)は、草子とか、双紙、冊子とも書き、その意味は次のとおりです(広辞苑)。
①草は略の意で、書いてまだ整頓していない下書き。草案。また、練習の字や絵を書く帳面の類。
②仮名文の書。物語・日記・歌書の類…本文ではこの意味で用いられています。
③中世・近世の読物で、絵を主とした小説。多く短編。御伽草子・草双紙(くさぞうし)の類。御伽草子(おとぎぞうし)はご存知の一寸法師や、ものぐさ太郎、浦島太郎などの有名な昔話も含まれている室町時代から江戸時代にかけて成立した、短編の物語がたくさん収められている物語群です。その物語の多くは作者不明です。
④綴じてある書冊(書物・書籍・本)の総称。
また、草紙紙(そうしがみ)という用語がありますが、これは手習草紙の紙。漉き返しした紙のこと。なお、手習草紙(てならいぞうし)は手習いをするのに用いる冊子のこと、また漉き返しの紙は本来は、供養の目的で故人の書状を漉き返して作った紙のことで、後に反故(ほご)紙などを漉き返して作ったものをいうようになりました。宿紙(しゅくし)とか、還魂紙(かんこんし)ともいいます。いわゆる今で言う再生紙です。
(2006年5月1日)
参考・引用文献
- 朝日新聞(2006年03月22日付)「花おりおり」
- 世界大百科事典(第2版 CD-ROM版)…日立デジタル平凡社発行
- 「広辞苑(第五版)…CD-ROM版」(発行所:株式会社岩波書店)
- 和紙文化辞典 久米康生著、1995年10月 わがみ堂発行