コラム(49) 随想「ゆでガエル現象」

随想「ゆでガエル現象」を下記に掲げます。この随想は1988(昭和63)年発行の王子製紙株式会社社内報「ひんしつ」(VOL.8)に掲載されたものです。

書類を整理していたら出てきましたが、工場で勤務していた今から18年前に執筆したものです。当時、面白いと言って、わりと反響がありました。ここに転載しました。どうぞ気楽にお読みください。

 

随想

ゆでガエル現象

例えの一つに「ゆでガエル現象」と言われるものがある。鍋に水を入れ、そこにカエルを入れて徐々に温めていくと、カエルは居心が良くなって飛び出そうとせずに、最後にはゆであがって死んでしまう。ところが、既に沸騰している鍋に入れられたカエルは、瞬時に飛び出し、結局は助かるというものである。

これは環境が徐々に変化しているときには往々にしてその変化に気付かないし、気付いたときには既に対応が手遅れになってしまうことが多く、得てして、致命傷になることへの警鐘である。

この教訓から、企業ないし個人一人ひとりが生き延びていくには、変化を素早く認識するアンテナが必要であり、それに対応するピジョンの保持と改善・変革の実行が重要であることを教えられる。

一つの商品についても変化・革新が必要であり、それを怠ると衰退を余儀なくされる。

ダルマ』の愛称で親しまれてきたサントリー「オールド」が、近年の売上げ不振をばん回しようと発売以来三十九年目にしてモデルチェンジに踏み切った。

かつては「重役の酒」とまでいわれ、サラリーマンのあこがれの的だった高酒も、現在ではごく普通の特ウィスキーに過ぎない。ここにきて、サントリーは変革を求め、かつての「日本ウイスキーの代表作」であるオールドの品質改善と、新しい消費者層を開拓する作戦でイメージを刷新し国産品・輸入品との勝負に出た。結果はこれからであるが、新生「ニュー・オールド」となるか、ファンとして楽しみであり、他山の石となる。

新製品開発・品質改善・クレームなどへの対応として停滞は退歩であり、革新が必要である。

「失敗しないのは前進していないこと。つまずかないのは歩いていないこと」を肝に銘じ、大胆にかつ慎重に前進していこうと思う。

 


 

「随想」は以上ですが、以下に蛇足として付記しておきます。

 

「ゆでガエル現象」について

カエル(蛙)を「水の中に入れ、ゆっくりと温めていってもカエルは気づかずに、熱湯になっもそのまま跳び出さず、しまいには茹(ゆ)で上がって死んでしまう」という、いわゆる「ゆでガエル」は本当にありえるのでしょうか。

 

われわれ人間は、気温が上がったり下がったりしても体温を一定の温度に保つことができます。このような動物を恒温動物といいますが、これに対して、ヘビやトカゲは体温が環境の温度とともに変化することから変温動物と言われますが、カエルも変温動物です。変温動物はまた、緩やかな温度変化には鈍いとされていますが、外界の温度に適応して体温調節をおこないます。例えば、気温の上がる夏季時の体温にくらべて、冬の体温の方が低くなります。つまり気温が低くなると体温が下がり、さらに下がると体のほとんどの働きが不活性化します。そのため、冬の間は土のなかにもぐって、半分死んだような状態で過ごすことになります。いわゆる冬眠をします。

 

さて、ここで本題の「ゆでガエル」になる、ならないのどちらでしょうか?

 

「ゆでガエル現象」については、「ベイトソンのゆでガエル」と言われる有名な実験があります。ベイトソンは、フルネームをグレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson,1904~1980)といい、英国生まれの思想家で、ケンブリッジ大学で生物学を学び、人類学に転じました。

ベイトソンがおこなったのは生きたカエルを使った2つの実験です。ひとつめは、沸騰した熱湯の中にカエルを入れます。すると、カエルは熱さにびっくりして熱湯の中から跳び出し、死なずにすむというものです。

ふたつめは、冷たい水の中に入れ、ゆっくりと下からあたため温度を上げていくのです。すると、カエルは冷水が徐々にぬるま湯となり心よいので、飛び出そうとはしません。その心よさにひたっていると、しだいに温度が上がっても逃げ出せず、最後には“ゆでガエル(boiled frog)"になって死んでしまったというものです。

変温動物のカエルは、温度の上昇とともに体温が上がっていき、環境の変化に気づかぬまま、とうとう最後に熱湯のなかでゆであがって死んでしまったわけです。

生き物を使った残酷な実験ですが、急激な変化に対してはすぐに反応して助かることもできるが、ゆるやかな変化に対してはすぐに反応できず、気がついた時には「時すでに遅しで助からないことを教えてくれているのです。

 

この説に対して異を唱えている学者もいるようです。ゆっくりと水温が上昇したとしても、いかに変温動物であるカエルでも自身の持つ温度センサーが働き、自らの生存の危機にいたる高温に達する以前にその湯槽から飛び跳ねて出てしまうというものです。

いずれにしても「ゆでガエル現象」は、「ゆでガエルの法則」とも言われています。例えとしも、便利な比喩として多くの分野でよく使われています。

急激な変化は目につきやすく対応も取りやすいのですが、徐々に進行する環境の変化には気づくことなく、じわじわと悪くなっても手が打てず、気がついたときには事態が深刻になっており、取り返しがつかないということがあります。

「ゆでガエル現象」は、このような事態にならないように状況や環境への即応性が大切であるという例証としてよく用いられています。

 

あなたは今、ぬるま湯にどっぷりと浸かっていませんか?マンネリ状態に陥っていませんか?じわじわとゆっくり環境が変化していても、それに気づかず、何もしないでいませんか?覇気も意欲も持たず、現在の境遇に甘んじてぬくぬくとしてませんか?

このような状態が続けば、ぬるま湯がいつのまにか熱湯に変わり、「ゆでガエル」のようになってしまい、いつかは取り返しがつかなくなってしまいます…教訓「ゆでガエル現象」。

 

「サントリーオールド」について

サントリーオールドは、サントリーが出しているウイスキーブランドの一つで、サントリーウイスキーの中の代表的な存在です。ここでサントリーの社名の由来について触れておきます。

 

社名の由来…サントリー (SUNTORY) は、大阪市北区堂島浜に本社を置く、洋酒、ビール、清涼飲料水の総合企業てすが、1899年に鳥井信治郎が鳥井商店を創業。さらに1921年に壽屋(寿屋、ことぶきや)を設立しました。サントリーという社名の由来は、サントリーのHPによれば、当時鳥井信治郎が寿屋のヒット商品だった「赤玉ポートワイン」(現在は「赤玉スイートワイン」)の「赤玉」を太陽に見立ててサン(SUN)とし、これに自分の姓である鳥井=「トリイ」をつけて、サントリイ→サントリーと名づけました。そして日本ではじめての本格ウイスキーにその名称を用いました。1929年(昭和4年)4月のことです。これが社名の由来で、サントリービールを発売した1963年(昭和38年)に、会社名を寿屋からサントリーに変更し、現社名となりました。ところで、一説に創業者の "鳥井さん"⇒さん鳥井⇒サントリーになったとの説がありますが、これは間違いのようです。

 

わが国のウイスキーの歴史を拓いた壽屋(現サントリー)の創始者・鳥井信治郎は、1929(昭和4)年、日本ではじめての本格ウイスキー「サントリーウイスキー白札」をこの世に誕生させたのち、日本人の味覚に合う繊細な味わいの高国産ウイスキーづくりに取り組みました。

研究を重ねた結果、遂に1940(昭和15)年に、角瓶の上をいく高ウイスキーとして「サントリーオールド」を完成させ、発表しましたが、折りしも時代は太平洋戦争開戦直前で発売を見送らざるを得ませんでした。

そのため実際の発売はそれよりも10年遅れの、戦後復興が始まった1950(昭和25)年のことになります。このように「サントリーオールド」は、歴史を負った酒でもあります。以来現在に至るまで56年の間、漆器をイメージしたボトルの丸みを帯びた黒い独特の形状から「ダルマ」の愛称で親しまれているロングセラーブランドとなっています。

 

現在でこそ手ごろな値段で手に入りますが、現行以前の酒税法の時代には相対的に値段が高く、国産を代表する高ウィスキーのシンボル的存在として君臨しました。

第2次大戦後は経済の成長とともに、生活水準の上昇、生活の洋風化が進み、50年代はウィスキーブームといわれるほどウィスキーに対する需要が増加しました。当時の小売価格は1800円で大卒初任給3000円の半分以上と高根の花でした。さらに日本が高度成長を遂げた60年代に入っても1900円で大卒初任給2万3000円から見れば高く、あこがれのウイスキーとして尊ばれ、バーなどでたしなまれました。

その後71年に洋酒の輸入自由化が実施され、ウィスキーもスコッチをはじめアメリカ、カナダなどのものが輸入されるようになり、その後の円高や貿易黒字是正のための輸入促進の動きがウィスキー輸入を増大させることとなり、量、種類とも増加しました。

 

それとともに国内で、国産品・輸入品が入り乱れて競争が激化していきます。その結果、国内のウィスキー市場は1983年をピークに縮小傾向が続きました。そして上記「随想」にあるように、サントリーオールドも売上げ不振となり、ばん回しようと発売以来39年目にしてモデルチェンジに踏み切ったわけです。

 

しかし、その後もバルブ経済の崩壊に伴う景気低迷により、飲食業界の低迷や、焼酎やワインの低アルコール飲料などを求める好みの多様化から、さらにウイスキー市場の縮小が続き、ピークのおよそ1/5に減少しています。「オールド」についても2005年の販売は前年比15%減の612万本(700ミリ・リットル換算)にまで落ち込み、最盛期であった1980年の販売数1億4000万本の約1/23と大幅減となっています。新生「ニュー・オールド」も流れに叶わなかったわけです。

 

ウイスキー市場が縮小する中で、サントリー(株)は、2年ほど前からウイスキー市場の活性化策をスタートさせ、主に高ウイスキーの分野で市場拡大に取り組んできました。

そのせいもあって、とりわけ高価格帯の「プレミアム」商品に人気が集まり、ウイスキーに復権の兆しが見え始めてきました。

そしてサントリー(株)は、今年(2006)3月に看板商品の「オールド」(正式名 サントリーウィスキー オールド)のデザインや味を刷新し、全国発売しました。

現在約1,000万人いるといわれ、大きな消費市場として注目されている"団塊世代"は、日本の高度経済成長期に20~30代を過ごし、物質的にも精神的にも豊かさの追求心が強い世代といわれています。70年代の高酒の代表であった「オールド」は、「いつかオールドが飲めるように頑張ろう」「出世したらオールドが飲める」と若かりし団塊世代の憧れの存在でした。そして70年代後半から80年代にかけて「オールド」を愛飲し、「オールド」に人生の思い出があるという人が多いと言われています。「オールド」は"団塊世代"とともに歩んできたといえます。新デザインのオールドの写真

 

そのため今回の「オールド」のリニューアルは、来年から一斉に定年を迎える「団塊の世代」に狙いを絞っています。商品名のネーミングは、現在つくり得る"最高のオールド"という意味をこめて、「ザ」(The)という定冠詞を付し、「ザ・サントリーオールドウイスキー」とし、印象を強調しています。

 

味は上質で本格的な味わいを求める"団塊世代"の嗜好に合わせ、"リッチさ"と"まろやかな飲みやすさ"を追求しました。シェリー樽で熟成したモルト原酒の比率を高めて「甘く、さらに口当たり良く、まろやかなで香り高い味わい」に仕上げ、従来よりも飲みやすく改良したとのこと。

 

また、デザインは掌になじむ丸く黒い「オールド」のボトルは、発売当初、日本の伝統工芸の漆器をイメージしてデザインされました。またラベルに記されている「寿」の赤文字は発売当時の当社の社名「寿屋」を表しています。こうした「オールド」のデザインがもつ伝統や歴史を踏襲しつつ、パール感のあるキャップシールや、「The」の文字を優雅な書体で配するなど、現代的な高感を追求しました。また、日本を代表するウイスキーとして多くのお客様に愛され続けるよう、「The Japanese Tradition」と新たに表記されています(右上写真参照)。

 

さらにテレビCMには、イメージキャラクターとして70年代から音楽の世界で活躍し、同世代に圧倒的な人気を得ているアーティスト、井上陽水さんを起用するなど、販売促進策も「徹底して団塊世代を対象にする」ということです。そして団塊の世代の約8割がオールドの飲用経験があるという調査結果をもとに、"団塊世代"に「もう一度オールドを飲んでみよう」と思わせるイベントや宣伝を打ち出すとのことです。そしてこの「ザ・オールド」の投入によって、今年(2006年)は前年比10%増の678万本の売り上げを目指すとしています。さて、今度こそ思わく通りになるのか注目したいものです。

(2006年5月1日)

 

参考・引用文献

 


更新日時:(吉田印刷所)

公開日時:(吉田印刷所)