コラム(60-3) 初めての郵便切手、郵便はがきの発行と年賀郵便

初めての郵便切手、郵便はがきの発行と年賀郵便の特別取扱いの実施

それでは、ここで郵便に関係深い「郵便切手」と「郵便はがき」、「年賀状(年賀はがき)」の事始めに触れておきます。

世界最初の切手は、1840年にイギリスで誕生しました。日本で最初の郵便切手の発行は、それまでの飛脚制度にかわって、新しく郵便制度が実施された明治4(1871)年4月20日(旧暦で3月1日)です。発行された郵便切手は48文、100文、200文、500文の4種類で、竜の図柄が描かれていたため竜文切手(りゅうもんきって)と呼ばれています。「文」が単位になっていますが、これはまだ、通貨改革が行われていなかったため江戸時代の通貨による額面でした。翌年の明治5(1872)年には「銭」の単位が表示され、明治16(1883)年には「円」が表記されるものも発行されました。

 

「郵政記念日」について

郵便制度が新しく導入され、郵便切手が初めて発行された4月20日を記念して、毎年「郵政記念日」とし、郵政関係者の表彰、全日本切手展などの記念行事が実施されています。また、この日を含んだ一週間が、切手趣味週間となります。

制定は昭和9(1934)年ですが、当時の逓信(ていしん)省が、この日を郵政記念日と前身である「逓信記念日(ていしんきねんび)」に制定しました。しかし、昭和24(1949)年6月1日に逓信省が郵政省と電気通信省の二省に分割され、逓信記念日は郵政省に引き継がれたため、翌年からは郵政記念日と改称されました。

その後、郵政省の省名を逓信省に復帰させる動きがあり、一時、記念日の名称が再び逓信記念日が使われることになりました。2001(平成13)年の中央省庁再編に伴い郵政事業庁が設置され、また将来の公社化が予定されていたため、この年の4月20日からは再度「郵政記念日」の名称となりました。

 

それから郵便はがきは、明治6(1873)年12月1日に発売されました。当初は「郵便はがき紙」「郵便はがき印紙」「端書」「葉書」などと呼び二つ折りでした。しかし、宛先を書き間違える人が多かったため、2年後には7.8×16.5センチの単葉となりました(現在は10×15センチの単葉)。

郵便はがきの発売で、全国どこでも同じ料金で安く送れるようになったことや「年始の簡潔な挨拶状に適している」とことから、郵便で年賀状を出す風習が一気に広まったということです。

当時の年賀状は、遠方宛以外は元旦や二日の書き初めの日などに書いて差し出すことが一般的でした。すなわち、年賀状は「新年になってから書く(元日に書いて投函する)」ものだったようで、相手に届くのは三が日の後でした。

しかし、殺到する年賀郵便物を円滑に処理するため、明治32(1899)年12月に年賀郵便物特別取扱が開始されました。初めは一部の指定した郵便局で年賀郵便物の特別取扱いを実施し、12月20日から30日までに出された年賀状は、翌年1月1日の日付印を押して配達局へ送っておき、元旦の最先便から配達する仕組みでした。これが現在も行われている年賀状の元日配達サービスが取り扱われた最初になります。

また明治33(1900)年には、私製はがきの郵送が認められ、手作りの年賀状が送れるようになりました。徐々に取り扱い局が増えていき、明治38(1905)年には全国すべての郵便局が年賀状を取り扱うようになったのです。

さらに明治39(1906)年12月には「年賀特別郵便」の制度が整い、12月15日から28日までに投函された年賀状に翌年1月1日の消印が押されることになりました。この制度化により年賀状の取扱い量は年々増加の一途をたどっていき、「年内に書いて投函。元日配達」の習慣が定着し、現在の「年賀状は元旦に届く物」と言うのが当たり前になってきました。

 

昭和の時代になり、年賀状の風習が一般にも広がり、昭和10(1935)年には年賀状のための特別切手「年賀切手」が発売されました。ところが昭和12(1937)年、日中戦争とともに虚礼廃止と紙の節約のため、年賀の差出しを控えるよう閣議で申し合わせされ、翌年には年賀切手の発行が、さらに昭和15(1940)年には年賀郵便特別取扱いも停止され、年賀状が途絶えました。

その後、太平洋戦争に突入しますが、これらの発売が再開されたのは第2次世界大戦が終わって3年後の世の中が落ち着きを取り戻した昭和23(1948)年の正月ことです。

そして翌年の昭和24(1949)年12月には、今では当たり前となっている「お年玉付き年賀はがき」が新しい試みとして初めて登場しました。現在のものより一回り小さいサイズでしたが、物資の貧しい時代に夢を与える意味合いを持って発売され、爆発的な広がりを見せるようになり、次第に年賀状交換の習慣は復活していきます。

ところで、この年賀用のくじ付きはがきは、郵政審議会専門委員を務められた京都に住む林正治さん(当時42歳)によって考案されたものです。当時、同氏は全くの一般人で、大阪の心斎橋で用品雑貨の会社を経営していました。この年の6月にアイデアを思いついて、郵政局(現支社)へ行ったところ、本省(現本社)への紹介状を書いてくれたので、見本のはがきを作り、宣伝用のポスターを描いて、お年玉の商品案も携えて7月に上京しました。

当初、省の会議では「面白い案だが、日本は今、疲弊して食べるものも食べられない時代に、送った相手にくじが当たるなんて、そんなのんびりしたことが出来る状態ではない」ということで、時期尚早といった意見も強かったようですが、紆余曲折を経た末に、世界で類例のない制度がその年末に創設されたのです。

同氏は「終戦後、打ちひしがれた状態の中で通信が途絶えていました。年賀状が復活すればお互いの消息がわかるのにと思ったのが、最初の発想です。それにくじのお年玉を付け、さらに寄付金を加えれば夢もあり、社会福祉のためにもなると考えたのです」と昭和62(1987)年の週刊誌「サンデー毎日」の記事の中で、そのころを回想しています(ホームページ年賀はがきについて-「お年玉付年賀葉書」の誕生-から引用)。

 

そんなお陰もあり、年賀状は広く普及して、お互いの消息も判明し、お年玉や寄付金を付くことで、「楽しみながら社会福祉にも役立つ」ということになりました。

なお、最初の年(昭和25年用お年玉付き年賀はがき)の賞品は、特等がミシンで当時は高価で大半が月賦販売という高嶺の花でした。さらに1等は純毛洋服、2等は学童用野球クラブ、3等は学童用こうもり傘で、生活に密着し、必要で、夢や希望を与えるような品物でした。また4等葉書入れ、5等便せん封筒組合せ、6等切手シート(2円×5)というものでした。このお年玉付き年賀はがきが発売されるようになって、その取扱い数量は増加していき、賞品も次第に、その時代に沿って豪華になっていき、そして楽しみをもたらしながら、現在も続けられています。

 

しかし、年賀状の発行・販売枚数は減少中

その「お年玉付き年賀はがき」が、2007(平成19)年用として今年も11月1日に全国で一斉に発売されました。お年玉の1等は、ハワイ旅行や国内旅行、ノートパソコンに加え、DVDレコーダーとホームシアターのセット、およびデジタル一眼レフカメラとプリンターのセット(5点の中から1点を選択…当選本数7,620本)ですが、時代を反映した賞品になっています。

なお、来年10月の郵政民営化を前に、日本郵政公社として最後の年賀はがきで、節目の記念すべき発売ですか、残念なことに発売枚数は約37億9000万枚で前年より約2億9500万枚の減少(前年比92.8%)となりました

今年(平成19年分)の年賀状の発行枚数は、昭和25年(25年用)当時は1億8000万枚ですので、これと比較しますと大幅な増量ですが、それも平成16年の44億4780万枚をピークに3年連続の減少傾向です。

また、平成18年分の発行総枚数は40億8500万枚(当初発行40億2,000万枚+追加発行6,500万枚)で、そのうち実際に販売されたのは全体の92パーセントの37億6000万枚ということです。販売枚数も平成11年の41億9500万枚(過去最高)を記録した後、減少傾向にあります。

(追加情報)年賀はがき売れ行き不調、CM急きょ復活…asahi.com

2006年11月28日付け朝日新聞(asahi.com)によれば、日本郵政公社にとって年間最大の商戦となる2007年用お年玉付き年賀はがきの発行枚数は前年比7.0%減の37億9978万枚(追加発行分含む)だか、その売れ行きが今年は例年になく低調だ。これまでの販売実績は昨年同期の約9割にとどまり、危機感を強めた郵政公社は27日、テレビCMの復活を柱とする販売てこ入れ策を急きょ決めたと報じています。

 

このように最近の年賀状の減少は、パソコンや携帯電話での電子メールの普及により、新年の挨拶交換が増えていることなどが原因ではないかと考えられています。

その一例を紹介します。現在、私はリハビリのために通院しておりますが、そこでお世話になっている理学療法士で二十歳代の若い先生に訊いたところ、小学生のころは年賀状をたくさん出したものですが、今では年賀状をもらった人には、年賀状で返礼の挨拶を出すものの、携帯電話の電子メールのやり取りがもっぱらだそうです。そして、このような傾向は特に若い人に多いとのことであり、その理由としてテンポが速い時代で、しかもこの忙(せわ)しい12月に、電子メールだと年末ぎりぎりに出しても新年に間に合うのに、年賀状では手間隙がかかる上に、早めに投函しなければならず、時間的にも余裕がとれないのが大きいとのことでした。

 

従来は、12月20日ころまでに年賀状を投函するようにアナウンスされていましたが、社会環境の変化などから、次第に年賀状の投函のピークは遅くなり、2005年が前年12月25日、さらに2006年は前年の12月30日が投函のピークであったと報じられています。

このような年賀状の「遅出し」傾向の強まりで、全国で元旦に配達される年賀郵便物は年々、減少してきています(時事通信)。

 

また、親がとっている新聞で見るところはテレビ番組掲載面がほとんどで、他紙面を見なくても別に不便をほとんど感じないとの由。さらに、学生や就職しても独りで生活している人や、結婚している若いカップルもほとんどが新聞を購読していないとのことでした。

若者の「新聞離れ」のことは聞いてはいましたが、あらためて新年の挨拶にも「紙離れ」が進んでいることに、驚くとともに時代の流れを感じました。

 

それでも伝えたい「心」と「紙」の温かみ

それでは、あなたは年賀状派?それとも電子メール派?どちらでしょうか。私は年賀状派です。親しい友人、数人から新年のあいさつと近況を添えた電子メールをもらいますが、それには電子メールで返事をします。私のほうからは、年賀状で新年の挨拶を出しも年賀状替わりの電子メールはいたしません。普段の電子メールのやり取りは慣れておりますが、年賀状替わりには馴染めないからかもしれません。これは、先の若い理学療法士さんとは逆の事例ですね。

確かに電子メールの場合は、元旦の朝、メールを開いたときに新年のメールが届いているとすがすがしい気持ちになり、嬉しくなります。新年の年賀状が届く前のメールで新鮮さもあるからでしょう。

しかし、その後、配達され、手にとって触れて体感しながら見たり読んだりする「紙」の年賀状は、電子メールとは別の趣きがあります。

新年の風物として多くの人から親しまれてきた年賀状。虚礼的、儀式的な年賀状は止めたほうがよいと思いますが、私自身は、お正月の風物詩ともいえる年賀状がないと、寂しい思いがします。

親しい人からの新年のあいさつと近況を添えてある年賀状を手にすると、それぞれの個性ある紙面に温もりを感じ、顔を思い出しながら落ち着いてきます。多くは年に一回の便りながら、中学・高校あるいは大学時代から出したり、貰ったりしており、長続きしているものもあります。40年以上にもなるものもあります。また、会社勤め時代の先輩・同輩・後輩や知人で付き合いの長い人などの近況、消息が知れ、目に浮かび懐かしく感じられます。

印刷した年賀状に添え書きをすることにしていますが、病気で後遺症が残り、利き腕の右手が不自由なため、慣れない左手で書くため、あまりはかどりません。今では左手書きよりも左手によるパソコンによる文字入力が容易で速くて、情報伝達の有力な手段になっていますが、しかし、年始挨拶の年賀状は止められません。電子メールは不自由なく便利ですが、合いません。そのため現在も150枚、年賀状を準備し、送り届けています。伝えたい、そして伝えてもらいたい「心」と「紙」の温かさのために!!。

(2006年12月1日)

 

参考・引用文献、サイト

 


更新日時:(吉田印刷所)

公開日時:(吉田印刷所)