コラム(90) 「紙はなぜ」(10) 紙はなぜ紙と呼ぶようになったのでしょうか?

紙はなぜ紙と呼ぶようになったのでしょうか?

今回のテーマは「紙はなぜ紙と呼ぶようになったのでしょうか」です。このテーマの答えとして、「紙」という漢字の語源と、「紙」を訓読で「かみ」、音読で「し」と読んでいますが、その由来についても触れます。

 

「紙」という漢字の語源について

 

まず「紙」という漢字の語源についてです。「紙」という漢字は、紙発祥のである中国で生まれました。すなわち、紙という漢字の成立ちは、後漢の許慎(きょしん、西暦30~124年)が著した中国最古の辞書(字書)といわれる「説文解字」(せつもんかいじ、西暦100年成立)に見られます。それによりますと、「紙絮一苫也」とあります。ここで「紙絮一苫也」とは「紙は絮の一苫なり」で、紙は「絮を洗って、これを簀でこしたもの」と説明されています。そして絮(じょ)とは、「蔽緜(へいけん)なり」とあって屑繭(くずまゆ、古真綿(きぬわた))、すなわち「ふるいわた」のことです。また苫(せん)は菅(すげ)、茅(かや)などを菰(こも)、簾(すだれ)のよう編んで作ったもので、ここでは簀(す、すのこ)のことで簀くことをいいます。従って、紙とは屑繭の懸濁液を簀で漉きとり、簀の上に残った繊維の薄層を乾かしてできたものであり、その物質の表記に「紙」の字を当てたわけです。なお、右の写真は「説文解字」に表されている紙という文字です(ホームページWelcome to SHIROKIから引用)。

 

 

「紙」という漢字は形声文字といわれるもので、二つ以上の漢字を組み合わせて、一方は意味を、もう一方は読み方を表した漢字です。そこで「紙」という字を分解してみますと、意味を表わす「糸」という字と読み方である発音を表わす「氏」という字の組み合わせになっています。紙という字の偏(へん)である「糸」は、蚕糸(絹)を撚り合わせた形を表す象形文字で、本来、繭(まゆ)から取り出した細い糸の意を表します。

また旁(つくり)の「氏」は、匙(さじ)の形を描く象形文字で、薄く平らにのばすことを表します。すなわち、蚕糸を匙のように薄く平らに漉き、かつ滑らかにしたものが紙(糸+氏)であるとしています。

(注)なお、「紙(し)は砥(し)なり、その平滑なること砥石(といし)のごとき」と後漢の劉煕(りゅうき)著、「釈名(しゃくみょう)」のなかにあります。

 

中国では当時の紙の製造法が屑絹糸を原料にして平面に漉いて、滑らかにしたものを書写材料にしたことから「紙」の字が成立したというわけです。しかし、絹は非常に貴重なものであったため、それより安価な麻などの植物繊維を材料とするようになり、後漢の蔡倫(さいりん、蔡侯)が、紙を作り西暦105年に帝に献上したと記録に残っています。その文献は中国の史書で宋の笵曄(はんよう)が編集し、西暦432年頃成立した「後漢書」です。

すなわち、後漢書の蔡倫伝の中に「自古書契多編以竹簡、其用縑帛者謂之為紙、縑貴而簡重、並不便於人、倫乃造意、用樹膚、麻頭及敝布、魚網以為紙、元興元年奏上之、帝善其能、自是莫不従用焉、故下咸稱蔡侯紙」(抜粋)と記載されております。これを解釈しますと、「古来より書契(書籍)の多くは竹簡を編むことによって行われた。絹布を用いたものは紙といった。しかし、縑は高価で竹簡は重いし、人には不便である。そこで倫(蔡倫)は考えて樹の皮や、麻の上枝、麻織物のぼろ、および魚網を用いて紙を造り、元興元年にこれを皇帝に奏上した。帝はその才能を誉めたたえ、以後、この紙を用いないことはなかった。故に世の中の人びとはこれを蔡侯紙といった」というものです。

 

  • 縑帛…けんぱくと読み、絹布のこと
  • 倫…蔡倫のこと
  • 樹膚(じゅふ)…樹の皮
  • 麻頭(まとう)…麻の上枝
  • 敝布(へいふ)…麻織物のぼろ
  • 元興元年…西暦105年、皇帝…後漢の和帝
  • 蔡侯紙…蔡倫は後に土を与えられて龍亭侯に命じられ、蔡侯といわれた

 

なお、中国の紙漉きの技術が、わが国に伝えられたのは、朝鮮・高句麗から僧侶曇徴(どんちょう)と法定(ほうじょう)が来朝した西暦610年であると日本書紀に記録されています。これによれば、「推古皇の18年の春三月、高麗王、僧曇徴、法定を貢上る。曇徴五経を知り、且た能く彩色および紙を造り、并せて碾磑(てんがい)を造る。蓋し碾磑を造るは是の時に始まるか」とあります。すなわち、推古皇の18(西暦610)年の春三月に、高麗の王が曇徴と法定という二人の僧を遣わした。曇徴は儒教、仏教に通じている上に、絵の具や、紙やの製法も心得ており、水臼もつくったというものです。

これがわが国へ伝来した製紙の始まりとして記録上、残されている初めてのものですが、紙そのものはそれ以前からわが国に伝わっていたとされております。中国で発明、改良された紙は朝鮮半島を経由して、わが国には3~4世紀頃には、すでに渡来人によっていろいろな文化とともにもたされたとされています。すなわち、西暦3世紀代には当時北九州にあった倭奴国と、中国(漢代)との間に国書が往復し、使節が往来していましたから、当然漢字も伝来し、中国産の紙も舶来していると思われ、その頃に日本人は「紙」という漢字と、そのものを知ったものと考えられています。なお、現在、世界で「紙」という字を使用している国はわが国と中国、台湾だけです[ただし、中国は糸偏の下の方が横一棒の簡略字体]。

 

「紙」の読み方について、その由来は

それでは次に「紙」の読み方とその由来について触れていきます。「紙」の読み方は漢字を和語にあてて読む訓読と、中国の読み方である音読があります。「紙」の訓読は「かみ、カミ」、音読は「し、シ」です。

まず「かみ、カミ」の由来です。これは紙以前の書写材料であった簡(かん=木簡、竹簡)の字音であるカン [kan] が、カニ [kani] →カミ [kami] と、変化してきたものと推察されています。倭言葉として「カミ」と発音(和音)するようになったのは奈良時代になってからといわれます。その語源については諸説があり、「カミ」と言う日本語は、「語源難語」の一つと考えられており、定説がありませんが、竹簡・木簡の「簡」(カン、カヌ)からカミに転韻したものか、樺(かば)の木の樹皮に書いたことから、カバ→カビ→カミと変化したものなどがあります。また、音読みである「し、シ[shi]」は、中国語の紙 [zhi](ジイ)よりきたものです。

(2009年12月1日)

 

参考・引用資料

 


更新日時:(吉田印刷所)

公開日時:(吉田印刷所)