FAQ(45) わら半紙について

ご質問

『わら半紙』について教えて頂きたく、メールさせて頂きました。

B5判、無線綴じの古い台本の修復依頼がありました。使用されている用紙は、茶色の粗悪な物のようで、作成された年代から「わら半紙」とか「ざら半紙」と言っていたもののようです。 使用されている材料と当時どの辺りで主に製造されていたのか?教えて頂けないでしょうか。

(YHさん)

 

回答

ご質問の『わら半紙』について、私自身知っているつもりでしたが、不正確なところもあり、改めて調べましたのでお答えいたします。

使用されている材料と当時どの辺りで主に製造されていたのか?教えて頂けないでしょうか。

「藁紙(わらがみ)」は、原料に稲わらないし麦わらが用いて製造された紙です。また、「半紙」とは、和紙の一種。もと横幅1尺6寸(約48センチメートル)以上の大判の杉原紙を縦半分に切って用いたことに由来しますが、後に縦24~26センチメートル、横32.5~35センチメートルの大きさ(通常、寸法は縦24cm、横33cmが基準)に製した紙のことを一般的に半紙と呼びます。もともとコウゾを原料とした和紙の一種ですが、現在は化学パルプの機械すきが多くなっているとのことです。

そして「わら半紙(藁半紙)」とは、もとは藁の繊維に小量のコウゾやミツマタの繊維を混ぜて漉いた粗末な半紙のことですが、さらに化学パルプ・砕木パルプで作った安価な紙、機械パルプを原料とし、これに少量の化学パルプを加えて製造した下印刷紙のことも言います。すなわち機械パルプが60パーセント以上、残りは化学パルプを用いて抄造した下紙、いわゆる「更紙(ざら紙)」のことも言うようになり、紙面は表裏があり、表は比較的平滑ですが裏はざらざらしており、新聞やまんが週刊誌、雑誌などに用いられると説明されています。

日本における藁パルプの製造は、明治時代のことです。「製紙会社(王子製紙の前身)」(抄紙会社改め)の大川平三郎(渋沢栄一の娘婿)が稲藁からパルプを製造する方法を開発し、1882(明治15)年に稲藁パルプの製造が開始されました。これにより明治20年初頭の製紙工場は稲藁のみをパルプ原料とするか、あるいは主原料とするようになりました。

高知県などで稲藁パルプを製造するようになり、「藁半紙」や「板紙(はんがみ)」の製造が盛んになったということです。ここで板紙(はんがみ)とは江戸時代に、木版印刷の書物用、また表紙・包装に用いた粗製の楮紙のことを言います。

現在、「わら半紙」はほとんど生産されておらず、わら半紙とし販売されている商品は、「わら」ではなく、多くは漂白処理を行わない機械パルプや再生紙からの再生パルプを使った紙、すなわち、下の紙で、ふつうは「ざら紙」という名で売られている紙で、半紙寸法のものを言っているようです。

小学校などの教育現場で多く使用されており、学校への納入を行っている文房具店や、多くの種類の紙を扱っている包装用品店などで入手することが可能ですが、ホームセンター等での入手はほぼ不可能であるとのことです。

長くなりました。回答になっていないかも知れませんが、まず紙製品見本帳で各社の「ざら紙」と修復予定の古い台本の紙質を比較されたらいかがでしょうか。それから次のステップが始まると思います。

 

なお、長くなりますが、ご参考までに経験例を下記に紹介いたします。この体験記は、横浜市中央図書館からの質問を紙の博物館が広く会員に回答を募りましたが、それに回答したものです。質問の件名は「紙を古く見せる方法について」(新刊図書の外観を、古書のようにみせる方法について)てす。それではその文章を載せます。

 

「紙を古く見せる方法について」

紙の博物館発行「かみはくニュースレター」(2004年11月刊)

掲題について紙の立場から私が経験したお話しを参考に供したいと思います。

「紙を古くすることは大変なことですので、掲題のように紙を古く見せる方法について考えるのが妥当と考えます。ただ、ご質問が紙そのものを古くするということでしたら、意にそわないと思いますので悪しからず御了承願います。

私が経験したのは、明治、大正時代の音楽(童謡)関係の図書や書簡で、それに似せて復刻版を作るということでした。表紙や本文、見返しなどがあり、紙の種類は当時の上質紙アート紙、今でいうファンシーペーパー、裏ねずの板紙、和紙などいろいろとありました。

そこで印刷会社の各関連しそうな部門の人たちと一緒に、復刻する図書などのある学校や博物館、図書館に行き、現物を見せていただき紙質や印刷状況などを観察し、計測できるものは実際に調べました。

もうお分かりでしょうが、風合い・面質・手肉感・厚み・色合い(退色を加味)など当時の紙に近いものを選定し、それに印刷・装丁で古く見せようとするわけです。

例えば昔のアート紙は今のアート紙では品質レベルが全然違います。

そこで紙代理店の協力を得て、コート紙、軽量コート紙や微塗工紙の各社紙サンプル帳を取り寄せて、その中から近い紙を選び出します。このような作業を各紙について行ないます。

そして明治、大正時代の印刷、筆記に合わせ印刷をするわけです。もちろん、製本・装丁などもすべて当時のものに近いようにします。結構、時間と手間の掛かる仕事でした。しかし、よい思い出になりました。

こうして出来上がったのが鳥取市にある「わらべ館」(童謡館)に展示されている懐古調の復刻版です。」

(2003年10月21日記)

 

これは関西営業支社に勤務していたときの経験ですが、ここに出ている印刷会社とは凸版印刷株式会社(関西)です。また、この文章は紙の博物館発行の「かみはくニュースレター」(2004年11月刊)に掲載されました。まずは、ご参考までに。以上です。

 

ご質問者からのご返信

早速、ご回答を頂き誠にありがとうございます。貴返信をそのまま関係者に回覧しましたところ、これほどまでの詳細が入手できるとは!と、大いに喜ばれました。また、普通では知り得ない貴重な体験報告も頂き、ありがとうございます。頂きましたアドバイスを元に修復作業に掛かります。

 


更新日時:(吉田印刷所)

公開日時:(吉田印刷所)