和紙紀行・夢の和紙めぐり(6) 〈資料〉 美濃和紙関係2

美濃[市] みの

世界大百科事典(第2版 CD-ROM版)…日立デジタル平凡社発行

岐阜県中南部,長良川中流部にある市。1954年美濃町と洲原,下牧,上牧,中有知(なかうち),藍見,大矢田の 6村が合体,市制。人口 2万5969(1995)。中心市街の旧美濃町は古くは上有知(こうずち)と呼ばれ,近世初期に佐藤氏,金森氏が居城した城下町であった。長良川水運の河港としても栄え,近世以降美濃紙の集散でにぎわった。市街には古い町屋が多く,屋根の妻を一段と高くした防火構造の〈うだつ造〉や土蔵造が見られ,小坂家住宅は重要文化財に指定されている。長良川の支流板取川流域は牧谷と呼ばれ,美濃紙の生産として古くから知られた。今も各種の和紙が生産されるが,和紙需要の減退により,機械すき紙が主流となっている。本美濃紙製造技術は重要無形文化財。美濃和紙の里会館がある。南部の大矢田は牧谷と武芸(むげ)谷(武芸川町)の中間にあり,室町時代には紙を中心とする六斎市が開かれ,紙座を結成した近江商人が紙の購買を独占した。大矢田神社には特殊神事〈ひんここ〉が伝わり,神社の社叢は楓谷(かえでだに)のヤマモミジ樹林として然記念物に指定されている。北部に然記念物の洲原神社ブッポウソウ繁殖もある。長良川鉄道線,名鉄美濃町線,東海北陸自動車道,国道156号線が通じる。

高橋 百之 (c) 1998 Hitachi Digital Heibonsha, All rights reserved.

 

武芸川[町] むげがわ

世界大百科事典(第2版 CD-ROM版)…日立デジタル平凡社発行

岐阜県中南部,武儀郡の町。人口6639(1995)。長良川の支流武儀川が町内を南東流し,川に沿って低が開けるが,町域の大半は山である。武儀川流域は古くから武芸谷と呼ばれ,板取川流域の牧谷とともに美濃紙の主産で,かつては農家の副業として手すき和紙製造が盛んであったが,現在は機械製紙が中心となっている。農林業を主とするが,美濃,関,岐阜の 3市に隣接するため 3市の発展に伴って機械,金属研磨,木工業などの工場の進出がみられる。北部は寺尾ヶ原千本桜などの名所があり,奥長良川県立自然公園に属する。

上田 雅子 (c) 1998 Hitachi Digital Heibonsha, All rights reserved.

 

美濃本 みのぼん

世界大百科事典(第2版 CD-ROM版)…日立デジタル平凡社発行

美濃紙を二つ折りにした大きさの和書をいう。美濃紙は書院紙,直紙(じきし)ともいわれ,平安時代から和書の主要な料紙であったので,美濃本は和書の標準的な大きさとなっている。美濃紙にも大直,中直(上美濃ともいう)などいくつかの大きさがあるが,書院美濃ともいわれる小直は縦 9寸 2分,横 1尺 3寸 7分(279mm×415mm)で,美濃本は,おおむねその半截判と考えてよい。美濃本と並んで多いのは〈半紙本〉であるが,これは大奉書紙(縦 1尺 3寸,横 1尺 7寸 5分(394mm×530mm))を半截した半紙二つ折りの大きさで,美濃本よりひとまわり小さい。また,美濃本よりも大きい本は大本(おおほん)といい,美濃本の半分は中本(ちゅうほん),半紙本の半分およびそれ以下を小本(こほん)という。枡型本(ますがたぼん)∥豆本 竹上 深

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判型 はんけい

世界大百科事典(第2版 CD-ROM版)…日立デジタル平凡社発行

書籍,雑誌のほか,事務用品など紙加工品の仕上がり寸法を指す。判形とも書き〈はんがた〉とも読む。元来,用紙の大きさに由来し,和紙と洋紙に大別される。和紙による和装本の代表的な大きさには,美濃判,半紙判がある。美濃紙(書院紙ともいう)を用い,長辺を二つ折りにした大きさの本(300mm×210mm)を美濃判または美濃本という。半紙を用い,長辺を二つ折りにした大きさの本(250mm×170mm)を半紙判または半紙本という。また,美濃本より大きい形の本を大本(おおほん)といい,美濃本の半分の大きさの本を中本(ちゅうほん),半紙本の半分以下の大きさの本を小本(こほん)という。ほかに,枡(ます)のように正方形または正方形に近い形の枡形本がある。なお古書店では,半紙判の本を中本ということもある。

 

洋紙による洋装本の大きさには,四六判,菊判および規格判の A列本判, B列本判の系列がある。四六判は,明治初年に輸入されたイギリスの規格(クラウン)が基礎になったもので,日本工業規格(JIS)ができあがるまでは菊判とともに洋紙寸法の基準になっていた。原紙寸法は 788mm×1091mmで,規格の B列本判(765mm×1085mm)に相当し,長辺を順次折ることによって,四六判系の書籍,雑誌その他の紙加工品がつくられる。原紙寸法が美濃判のほぼ 8倍の大きさに近いことから,はじめは〈大八ッ判〉といわれていた。また原紙寸法を32に裁断して仕上げると,横 4寸 2分,縦 6寸 1分の本になることから,〈大八ッ判〉に代わって,いつしか〈四六判〉といわれるようになった。したがって,四六判というとき,原紙寸法を指すときと,判型の大きさを指すときがある。なお四六判は,規格のB6判(128mm×182mm)に当たり,その 2倍の判型を四六倍判(188mm×254mmが標準)といい,規格のB5判(182mm×257mm)に当たる。菊判の原紙寸法は 636mm×939mmで,規格の A列本判(625mm×880mm)よりやや大きく,長辺を順次折ることによって,菊判系の書籍,雑誌その他の紙加工品がつくられる。日本工業規格ができるまでは,四六判とともに洋紙寸法の基準になっていた。原紙寸法を16に裁断した大きさの本を菊判(152mm×218mmが標準)といい,規格のA5判(148mm×210mm)に近い。菊判の倍の大きさを菊倍判(218mm×303mmが標準)といい A4判(210mm×297mm)に当たる。また,菊判の長辺を二つに折った大きさの本を菊半裁判(109mm×151mm)といい,A6判(105mm×148mm)に当たる。菊判というとき,四六判と同じく,原紙寸法と判型の大きさを指す場合がある。菊判の名称の由来ははっきりしないが,一説によると,もともと新聞用紙として1882年ころに輸入されたものらしい。輸入商の川上正助商店では新聞の〈聞〉は〈キク〉とも読むことから,菊花印のラベルを添付して売り出した。その菊花印から菊判といわれるようになったものだという。

 

洋紙の仕上がり寸法の規格は(図参照),1929年12月に制定された,〈紙ノ仕上寸法〉(日本標準規格第92号)に始まる。A 列,B 列からなり,A 列はドイツの DIN(Deutsch Industrie Normen)の A 列をそのまま採用し,面積は1m2,縦と横の長さの比が1:塹となるように841mm×1189mmを基本として,これ A 列0番とした。そして,長辺を二つ折りにしたものを A 列1番(A1判)とし,以下長辺を二つ折りにし順次 A 列12番(A12判)までとし,各大きさはすべて相似形となる(B列も同様)。 B列は, A列との面積の比は1:1.5,縦と横の長さの比は1:・2とし,1030mm×1456mmを基本にして,これを B 列0番とした。そして,長辺を二つ折りにしたものを B列1番(B1判)とし,以下長辺を二つ折りにし順次 B列12番(B12判)までとした。また,〈紙ノ仕上寸法〉に対し,原紙寸法が次のように制定された。 A列 625mm×880mm(許容差+6mm)。B列765mm×1085mm(許容差+6mm)。40年に小判の原紙寸法が追加された。A 列本判,B 列本判に対する規格寸法のことで,本判は製本などの加工に必要なゆとりが見込まれている。それに対し小判は,便箋や罫紙など枚葉のまま使われ,加工に際してゆとりを必要としないものに用いられる。A 列小判は608mm×856mm,B 列小判は745mm×1047mmである。日本標準規格は57年に若干手直しされ,日本工業規格別表に引き継がれて現在にいたっている。なお規格外のものとして,四六判,菊判のほか,A20取,B40取(新書判,仕上がり寸法103mm×182mm ),AB 判(〈ワイド判〉ともいい,グラフィック誌に多用されている。原紙寸法880mm×1085mm,仕上がり寸法 210mm×257mm)などがある。

矢作 勝美 (c) 1998 Hitachi Digital Heibonsha, All rights reserved.

 

中本 ちゅうほん

世界大百科事典(第2版 CD-ROM版)…日立デジタル平凡社発行

書誌学用語。〈ちゅうぼん〉とも読み,中形本,美濃半切本ともいう。美濃判を縦二つ,横二つに折った寸法の本。若干の差異があるが縦18cm,横13cm程度の寸法。半紙本と小本(こほん)との中間の寸法。近世後期の絵入り小説たる草双紙類は多くこの形態をとるが,そのなかでもとくに滑稽本,人情本の異称ともなる。

宗政 五十緒 (c) 1998 Hitachi Digital Heibonsha, All rights reserved.

 


更新日時:(吉田印刷所)

公開日時:(吉田印刷所)