(1999年)4月29日、和紙めぐりは五日目となった。きょうは朝から金沢市内を観光し、午後には福井県にある永平寺を拝観する。かなりきょうも強行軍である。
ここには和紙に関係ある金沢の金箔とあぶらとり紙(ふるや紙)および定年前の身にとって味わいのあった永平寺からのメッセージ「人生に定年はない」などについてまとめた。
(1)金沢市…金箔、あぶらとり紙(ふるや紙)
ホテルを出て金沢市内を通り、兼六園に行く。
注
兼六園…(宋の李格非の「洛陽名園記」にある宏大・幽邃(ゆうすい)・人力・蒼古・水泉・眺望の六勝を兼ね備える意で、松平定信(楽翁)の命名) 金沢市旧金沢城の東南の公園。文政(1818~1830)年中、前田斉広なりながが創設。嗣子斉泰が補修。水戸の偕楽園、岡山の後楽園とともに日本三名園の一。
広辞苑 第五版(CD-ROM版)…岩波書店から
石川県立伝統産業工芸会館
庭園のわきにある石川県立伝統産業工芸会館に入る。そこには輪島塗や加賀友禅、九谷焼、漆器、紬(つむぎ)、仏壇など石川県の伝統的な工芸品がきれいに並べられ展示されており目を楽しませてくれる。
そのなかに和紙と箔もある。ここで箔とそれに関係する和紙について少しまとめてみたい。
石川県立伝統産業工芸会館 展示品(一部)
金沢箔
金沢県の箔は金沢箔といい、国の伝統的工芸品にも指定されている。金沢市を中心に生産されているが、全国の約99%の量を誇っており、金閣寺や金色堂、首里城(沖縄)の修復などにその伝統技術とともに使用されている。その他、仏壇・仏具などに用いられている。
金はあらゆる金属の中で、最も展延性に富む物質であり、この性質を利用して金を叩いて薄く伸ばしたものが金箔である。
金箔は、純金では柔らかすぎるので、強度をつけるために銀や銅を少し混ぜた合金(地金)つくり、それを圧延機に掛ける。延して数十μmの厚さの延金とし、これを小さく切り(コッペという)、和紙(澄打紙)の間にはさみ、澄打機で厚さ千分の一ミリまで繰り返し打ち延ばす。これを仕切り澄みという。
この仕切り澄みを等分に切り(これを澄み切りといい、切ったものを小間という)、この木間(こま)を和紙(箔打紙)に一枚ずつはさみ、ある量まとめて袋革に包む。次にこの袋革を箔打機で打つ。発熱してくるので熱をさますために止める。この作業を厚さ一万分の一ミリの単位まで数十回繰り返し、薄く打ち延ばす。そして出来上がりの金箔の厚さが、一万分の二ミリまで延ばされる。こうして金箔ができあがる。
なお、この工程で和紙、コッペをはさむ澄打紙と木間をはさむ箔打紙が使われるが、これらの出来具合いできれいに同じ厚さに延びるかどうかが決まる。そのため丈夫で不純物のない和紙が使われる。
澄打紙は、加賀二俣和紙(金沢市)などが使用されている。苛性ソーダで煮たわらしべ(稲の穂の芯、わらくず)に楮を混ぜて漉いた楮紙で、繊維は長くて粗く強いので粗打ちに向いている。
その中で特に重要なのが箔打紙である。ここでは兵庫県西宮市塩瀬町名塩の和紙、地元特産の岩石の微粉(粘土)を混入した雁皮を原料にした名塩紙が、平滑性もよく箔打紙として多く使われている。「どろ入り」和紙であるが、これにより耐熱性が向上する。
この和紙に灰汁処理を施し、しなやかさと滑らかさとを与え、さらに箔打機で空打ちして、箔打紙として仕上げる。重要なことは、紙と箔材との間の摩擦が小さいことと、和紙の硬い繊維が局部的にうまく材料に押しこまれて材料の変形を助けることにあるという。
金箔づくりに5~10回(最大15回くらい)使われ、使い終えた箔打紙は、もう一度有効に活用される。「.あぶらとり(脂取り)紙」である。何十万回と打叩かれた箔打紙は「ふるや紙」ともいわれたり、顔を拭うと脂肪分が取り除かれ、ちょうど入浴をしたようになるため「風呂屋(ふろや)紙」ということもある。
この再生紙は、顔などに浮く脂を拭き取るのに使う化粧用紙として使われ、現在、特に若い人達に人気が出ている。(写真)あぶらとり紙(ふるや紙)
かつては廃棄される運命にあったものである。ここにも資源再利用の模範を見ることができる。
参照ウェブ
- いいねっと金沢…伝統工芸・技めぐり
追記
箔合紙について…金銀箔を保存し、使うときに一枚ずつはがれやすいように箔の間にはさむ紙のこと。いまは岡山県津山市が最大の産地で、同市の上横野はミツマタの原料に恵まれているため、箔合紙専門の紙郷になっている。ほとんど金沢市の箔打ち業者に納めるが、三椏紙は楮紙より滑らかで、箔を分離しやすい(和紙文化辞典 久米康生著、1995年10月 わがみ堂発行から)。
(2)永平寺
金沢から福井駅で京福電気鉄道に乗り換え永平寺駅で降りる。永平寺まで歩き拝観する。広くて大きい。さすがに大本山である。
このなかで心に留まったものがあった。ちょうど定年前であったので特に味わい深い言葉となった。それは次の「人生に定年はない」という永平寺からのメッセージである。
そのメッセージの前で、親子連れが何かしら話をしている。親は私と同じくらいの年齢である。きっと同じように定年を控えているのであろう。ともに幸あれ。
人生に定年はない安身立命(あんじんりゅうみょう) 人生に定年はありません 老後も 余生も ないのです 死を迎える その一瞬までは 人生の現役です 人生の現役とは 自らの人生を悔いなく生き切る人のことです そこには「老い」や「死」への恐れはなく 「尊く美しい老い」と「安らかな死」があるばかりです |
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大本山永平寺 高祖道元禅師からのメッセージ |
注
永平寺…福井県吉田郡永平寺町にある曹洞宗の大本山。山号は吉祥山。1244年(寛元2)道元の開山。波多野義重の創建。初め大仏寺と称したが、2年後に永平寺と改称。道元没後、その門流の内紛のために荒廃したが、寂円(1207~1299)門流によって維持され、江戸時代には大本山となった。広辞苑 第五版(CD-ROM版)…岩波書店から
追記
大本山 永平寺 高祖道元禅師七百五十回大遠忌記念と奉納襖絵について
今年、2002年は曹洞宗の開祖、道元禅師七百五十回大遠忌である。その記念のひとつに、日本画家の田淵俊夫、伊藤 彬両氏が描かれた水墨画、襖絵(各18枚、計36枚)が永平寺に奉納される。それに先立ち「永平寺奉納襖絵展」が、東京日本橋 高島屋をはじめ各地で巡回、開催される。永平寺のある福井県では、9月13日~10月14日に福井県立美術館で展示される。
なお、福井県立美術館での案内は次のとおり。
高祖道元禅師750回大遠忌記念 大本山永平寺所蔵絵画の名品展
- 2002年9月13日(金)~10月14日(月)
永平寺は鎌倉時代、曹洞宗の開祖道元禅師より福井の地に開かれた古刹です。以来、750年以上の長きにわたって、禅の道場として道元の教えを今に伝えてきました。本展は、今年が道元禅師の750回大遠忌にあたるのを記念して開催されるもので、永平寺に所蔵される絵画作品の中から、仏画や歴代の画像、そして大遠忌を記念して制作された現代日本画家による襖絵など、初公開の作品を含む名品の数々を一堂に展示紹介します。
また、この記念すべき大作に使われている紙は、特別な手漉き和紙(福井県今立産?)といわれる。
(2002年5月1日記載)
参照ウェブ
- 禅の里永平寺へようこそ
- 大本山永平寺
- 永平寺