新日本海新聞社発刊
日本海新聞「ひろば 散歩道」に掲載(2001年12月4日)
あきらめないでリハビリ
突然、病気が襲った。今年(注2001年)1月31日、脳出血であった。幸いにも生命は取りとめたものの、身体の右半分が麻ひ状態になった。なにぶんにもうっ血が脳の運動神経を覆い、麻ひさせてしまったので、無理かもしれないとのことであった。
東京で5月8日まで入院。さらに郷里、米子に戻り、9日から再入院し 、6月20日に退院。
ほぼゼロからのスタートであったが、関係者の暖かい激励もあり、徐々によくなってきた。しかし、まだレベルが低く、現在も右手足のリハビリが続いている。
定年後も洋紙関係の会社に勤務していたが、これを機に6月に退職した。
そこで病床で考えた。頭のほうも少し麻ひをしていたが、よくなってきた。今後どうすべきか。もちろんリハビリが最優先であるが、右手足とは、仲良く付き合って行こう。それとは別に何かをすべきだと思った。第二の人生である。
6月ごろから左手ではあるがパソコンのキーが打てるようになり、かねてから持ちたいと思っていた念願のホームページを開設した。
メインテーマは、「紙への道」でこれまで携わってきた洋紙関係が中心であるが、和紙についても載せている。
和紙については数年前から関心を持ち、勉強中であったが、これが今となって大きく役立ち、励みになろうとは思ってもいなかった。
定年前のリフレッシュ旅行で美濃和紙、越中和紙、越前和紙、石州和紙の産地を妻と一緒に訪れたり、その後も、再度、越前和紙の里、今立町を、また、小川和紙、軍道和紙を訪問した。それがホームページを飾っている。時折、追加・更新をしており、いわゆるメル友もできた。
今後とも各地の和紙巡りをしたいと考えているし、郷土の因州和紙も是非、見たいと思っている。そのために希望をもってリハビリに頑張っている。
そして発症が、単身赴任時であったが一人住まいでなく勤務中のときであり、発見、手当てが早かったことなど、まだまだ見捨てられていなかったんだ、と前向きに思う。