日本経済新聞社「私の定年後」手記に入選!
日本経済新聞社の「私の定年後」手記に応募したところ、
最優秀作品10点のひとつに選ばれました(2003年9月20日発表)。
テーマ「私の定年後」…いま、こんなことをしています
リハビリしながら「紙」情報を発信
中嶋 隆吉
定年前に考えていた「定年後」…ホームページを開設し、長年、仕事として付き合ってきた愛着ある「紙」を、さらに勉強しながら紹介すること。洋紙だけでなく、数年前から関心を持ち始めた和紙についても、全国各地の産地巡りをして発信しよう。そして執筆もして、講演などにも積極的に参加しようと、まだ漠然ながら、いろいろと可能性を思った。
それが打ち砕かれた。突然の病気である。脳出血であった。2001年1月31日の勤務中のことである。幸い生命は取りとめたものの、身体の右半分が麻痺状態になった。なにぶんにも溢血が脳の運動神経を覆い、麻痺させてしまったので、無理かも知れないとのことであった。東京で入院。さらに郷里、米子に戻り、再入院し 、およそ5か月ぶりの6月20日に退院。これを機に、定年後も再就職していた洋紙関係の会社を退職した。
ほぼゼロからのスタートであったが、まだレベルは低いながらも、リハビリにより右手足が動き出した。頭のほうは少し麻痺をしていたが、よくなってきた。そこで病床で考えた。今後どうすべきか。もちろんリハビリが最優先であるが、右手足とは、仲良く付き合って行こう。それとは別に何かをすべきだと思った。満62歳、第二の人生のスタートである。
真っ先に、ホームページ開設のことが浮かんだ。右の利き腕が使えないので、左手で書けるように練習もした。そしてパソコンが使えるように左手一本で、時には箸などを口にくわえてキータッチをしようと、訓練をした。が、結構大変で、あまり作業が進まない。
そんなとき新たに転院したところで、リハビリの先生から、「ソフトキーボード」のあることを教えてもらった。それ以来、「ソフトキーボード」をパソコン画面上に出して、左手一本でキー操作が出来るようになった。これにより左手で書いたり、直接、キータッチをするよりもパソコンへの入力が楽になり、こうして、その年の7月末に念願のホームページ「紙への道」を開設することができた。(アドレスhttp://homepage2.nifty.com/t-nakajima/)
開設当時の月当たりの訪問者は2桁であったが、次第に増え、今は600人/月レベルになっている。地味なホームページで、地方からの発信であるが、全国の沢山の方々に見て頂いている。有り難いことである。そして、もう一つは2002年4月から日本製紙連合会の依頼で機関紙「紙・パルプ」にテーマ「」を執筆(連載)しているが、反響があり、ともに概ね好評である。自信を得た。また、紙関係や地元のジゲおこしインターネットのメーリングリストなどで、電子メールを介して交流しているが、新たな人達ともつながりができた。
右手足が不自由で、あまり歩けなく、行動範囲では大きな違いがあるが、「定年後」の思いが実現できつつある。さらに継続的に、もう少し活動的にと思う。これらが、同じようにリハビリをしている方々にとっても勇気付けになればと願い、少しずつは良くなっている筈だと信じて、リハビリに根気よく頑張って行くつもりでいる。
[注](1)この文中に「新たに転院したところで、リハビリの先生から、「ソフトキーボード」のあることを教えてもらった」とありますが、その病院と先生とは、米子市にある山陰労災病院の作業療法士 早川泰詞(はやかわ たいじ)さんです。
今でも非常に感謝をしているところです。
(2)なお、日本経済新聞社の書籍「定年後大全」(2003年2月発売)の続編として、「定年後を極める」(1400円、税別)が11月12日に発行されました。
この中には、各界の第一人者12人による「定年後」のノウハウとともに、入選作品10点を含めて手記応募者71人の体験記があり、「定年後」の楽しい生き方がいろいろと掲載されています。
どうぞお読みください。