湿し水とエッチ液について
「湿し水を制する者はオフセットを制する」といわれます。それほど湿し水は重要です。
それでは湿し水(しめしみず)とは何でしょうか。
湿し水とは
湿し水とは、オフセット(平版)印刷において親油性の画線部と親水性の非画線部を明確に区別するために版面上での濡れ性向上を目的とし低い表面張力、適度なインキ乳化性、印刷版の整面性などの機能を持った希釈済みの循環使用水のことです。
注
オフセット(平版)印刷は、版に凸凹版のように高低差はなく、ほぼ同一平面で構成されているため金属平版の非画線部(親水部、不感脂部、白紙部分)に水を与え、また、画線部(親油部・感脂部、絵柄部)にインキを盛り、ゴムブランケットに接触転移させ、さらにブランケットから紙に転写させる間接印刷方式です。
湿し水の温度は20℃以下に保つ必要があり、水舟内で7~15℃くらいがよく、冷凍機によって一定に保たれています。PHは5.5~6.0に設定しておけばインキ乳化が抑えられます。 なお、使用する水質も重要で水質検査は雨期(梅雨時)と乾燥期(冬季)および通常期に測定してデータを保有しておくとよりベターです。
湿し水にエッチ液を添加するときは、添加量に関係なくPHは5.5~6.0にするとよく、特にPHが低くなり過ぎるとインキ乾燥が遅れ、裏移りの原因にもなりやすいので要注意です。また、湿し水の交換/循環装置の水槽、フィルターの掃除は最低1回/月は実行したらよいでしょう。
湿し水の管理としては、エッチ液の選択、濃度管理のほかに、湿し水循環装置の保守管理が特に大切です。
湿し水の役割について
湿し水の役割は、
- 非画線部にインキが乗らないようにすること
- 非画線部の親水被膜が弱くならないように常に親水被膜を強化すること。このためにエッチ液を添加します。
- インキローラー上でインキの中に取り込まれ、エマルジョン(油中水型、乳化)を形成し、これによってインキの転移性をよくさせること
- 非画線部を薄い水膜で均一に覆い、不感脂化を維持してインキが着かないようにすること、などです。
エッチ液とは
ところでエッチ液とは、版面に供給される湿し水自体を指す場合もありますが、一般的には湿し水に添加する薬品のことをいいます。 エッチ液の主成分は樹脂(アラビアゴム)、溶リン酸・塩酸などの酸(有機・無機)とか、防腐剤、酸化防止剤などです。
原水(水道水、地下水など)に対し1~5%の濃度で添加される機能製品であり、表面張力の調整助剤として、IPA(イソプロピルアルコール)と併用されることがあります。なお、近年の環境問題から湿し水中のIPAの削減が大きなテーマとなっています。IPAの使用は、5%を超えると労働安全衛生法の有機溶剤中毒予防規則(有機則)に触れるので、湿し水量の5%を限度とします。また、IPAは消防法(危険物)の規制を受けています。
IPAには湿し水のPH値に対し、ほとんど影響を与えないで湿し水の表面張力を下げる役割があります。表面張力が下がることにより、湿し水(エッチ液のみ)の被膜がさらに薄く均一となり、湿し水を減少させることができます。IPAを添加することにより、水の粘度が上げられるため、少ない水の量で版面上により薄い膜厚で濡らすことができるからです。
注
環境問題(VOC対策)
VOC(Volatile Organic Compounds、揮発性有機化合物)は大気汚染の原因として抑制が要望され、改正大気汚染防止法において印刷業界でもオフ輪、グラビア工場は規制の対象となっています。また、業界においては日本印刷産業連合会のグリーンプリンティング(GP)認定制度や環境保護印刷協議会(E3PA)のように自主規制運動が進行しています。いずれにしても、社会性を考慮してVOCの削減努力は急務となっています。
このような状況において湿し水ではIPAのより一層の削減が重要であり、薬品メーカーは、湿し水エッチ液の機能、性能の向上のため、さらなる開発を推し進めています。
なお、現在のノンアルコール湿し水(エッチ液含有)にはアルコール代替物質としてグリコールエーテル系の化合物が添加されており、この添加剤についても難揮発性物質への転換が必要と考えられてます。
PH値と印刷の関係
①PH値が小さすぎる(酸性が強すぎる)場合
湿し水は酸性の場合の方が汚れを除く力は強くなります。しかし、あまり酸性になると(たとえば、PH3以下)非画線部の金属が溶かされて逆に汚れの原因となります。また、インキ乾燥が遅くなったり、刷版の耐刷力がなくなったりして版持ちが悪くなります。
②PH値が高すぎる(アルカリ性が強すぎる)場合
非画線部の親水被膜が壊れやすくなり、汚れが出やすくなります。インキと水が混じりやすくなり、汚れやその他のトラブルを引き起こす原因となります。
湿し水のPH値と乾燥時間には、明確な相関関係があり、PHが低いほど(酸性値が高い程)乾燥時間が多くかかります。PH5.5とPH4.5とでは後者の方が前者に比べて、約3時間長く乾燥に時間がかかります。
ただし、インキの乾燥には、温度と湿度も影響をもたらします。温度は10℃の変化で乾燥時間が約2倍(温度高い程早い)。湿度は高くなればなるほど乾燥時間は遅くなり、相対湿度(RH)60%のとき、10時間くらい掛かったものがRH80%になると16時間以上もかかります(湿し水のPH値と乾燥時間(019)から引用)。
では、どうして水だけじゃダメなのでしょうか?
水、普通にいう水道水だけでも印刷はできるだろうかと問われれば、答えは「YES」です。しかし、残念なことに水道水だけでは非画線部が何らかの要因で感脂化の方向にある場合、「不感脂化への修復」ができません。また、版面の微妙な「キズの修復」もできません。従って、画線部周辺での吹き溜まりのような微量なインキ絡みが「画線部(画像)」の太りとなってしまいます。
さらに起こりやすいトラブルとして、水道水だけで長時間印刷を行った場合や水の量が多すぎた場合によく見られる現象として、ローラーストリップ現象が起こりやすくなります。これは、インキの抱え込める水の量には限界があるため、それ以上の量の水分はインキの表面に押し出され、この押し出された水分が今度は印刷機をさかのぼって極端な場合はすべてのローラーに付着し、親水性の吸着層を形成してインキを受け付けなくなってしまいます。
なお、水だけで印刷できればよいのですが、トラブルの未然防止や発生の損失を考えますと、現時点では非常に難しいと考えます。
※現在では、連続給水装置が主流となり、版面への湿し水をさらに薄い膜にしなければ印刷インキと水のバランスができませんので、エッチ液、IPAを使用しないと管理が難しくなってしまうという状況にあります。
水とインキのバランスについて
オフセット印刷方式を一言でいえば、水と油の相反発する力を利用した方式です。PS版上の感脂化された部分と不感脂化された部分を湿し水によって分けて印刷しています。そのため、水の量が必要以上に多くなると、インキは乳化という現象を起こしやすくなり、浮き汚れや乾燥性の低下などのトラブルを引き起こし、汚れたり光沢のない印刷物になってしまいます。
注
- PS版…あらかじめ感光剤が塗布されているプレート、これをPS版(Presensitized Plate)といいます。
- 乳化…乳化とは、水と油を混ぜて振ると、一時的に混ざりますが、すぐに分かれてしまいます。ところが、そこに界面活性剤を入れて振ると、白く濁ったようになって、混ざってしまいます。この現象が乳化です。
- 乳化率(含水率)とは、インキ中の水分量(重量費)。100gのインキに10gの水が含まれているとき、含水率が10%であるといいます。
- 界面活性剤…このような界面(表面)に働いて、界面の性質を変える物質のことをいいます。石けんがおなじみです。水と油は、混じり合わないものの代表のようにいわれています。混じり合わない水と油の間には界面が存在していますが、界面活性剤は、この界面に働いて界面の性質を変え、水と油を混じり合わせることができるのです。
また、反対に水の量が少ないと地汚れなどのトラブルを引き起こし、結局、使いものにならない印刷物を作ってしまうことになります。もちろん、トラブルが発生するにはさまざまな要因が潜んでいて、本当の原因を見つけ出すためには苦労するものです。
水とインキそれぞれの表面張力の問題、原水のPHの問題、紙の問題、温湿度の問題など諸要素は山積みですが、それにしてもPS版の版面に形成されるミクロン単位の薄膜により水はインキをはじき、インキは水をはじきながら印刷されるオフセット印刷方式という絶妙なバランスを保つことで成り立つ方式だということが分かると思います。
従って、「必要最低限の水を版面に送ること」。これに尽きます。では、どのようにすれば最低限の水で印刷を可能にすることができるのか。これが最大のポイントになります。これを探求し、終始「最低限の水量」で印刷の品質を維持する方法を確立することが必要となります。いずれにしても、オフセット印刷をトラブルもなくうまく成立させるには、版面の非画像部に適量の水、画像を形成するインキの中にも適量の水が要ること、これが忘れてはならない点です。
(2009年11月1日)
参考・引用文献