文房四宝(ぶんぼうしほう)とは、硯(すずり)・墨(すみ)・筆・紙のことをいいます。もともと、中国が発祥で、中国の文人が書斎(文房)で使用する文具(文房具)のうちで、もっとも重要なこれらの4種をいうわけです。文房四玩とか、文房四友あるいは文房四侯ともいわれます。
中国で特に、文具に興味をもち出したのは漢代までさかのぼるようですが、唐代には良質の硯ができるようになって文具愛玩も強まり、宋代には文房四宝として硯、墨、筆、紙が特に尊重されるようになったということです…世界大百科事典(第2版)…CD-ROM版 日立デジタル平凡社発行(1998年)から。
さらに中国の文房四宝は、わが国には朝鮮を経て渡来しました。紙と墨については、朝鮮・高句麗から僧侶曇徴(どんちょう)と法定(ほうじょう)が伝えたと日本書紀に残されています。すなわち、「推古天皇の18年の春三月、高麗王、僧曇徴、法定を貢上る。曇徴五経を知り、且た能く彩色および紙墨を造り、并せて碾磑(てんがい)を造る。蓋し碾磑を造るは是の時に始まるか」(推古天皇18年の条)とあり、西暦610年に相当する推古天皇の18年春三月に、高麗の王が曇徴と法定という二人の僧を遣わし、曇徴は儒教、仏教に通じている上に、絵の具や、紙や墨の製法も心得ており、水臼も造ったというものですが、これが記録されている初見とされております(参照)FAQ(1)「紙」という漢字の語源もご覧ください。
そして大宝元年(701年)制定の大宝律令には、中務(なかつかさ)省の図書寮に造筆手10人や造墨手4人、造紙手4人を置くことを定めてあり、筆、墨、紙が官庁寺社を中心に必需品として、わが国に定着していったものと考えられます。
なお、対となる硯と墨は、共に発達したと考えられます。わが国へは古墳時代(2世紀から6世紀半ば)の壁画などに墨、朱、緑、黄などの彩色が用いられており、墨や硯は、紙もそうですが、史書などに記録される以前の早い時期に中国、朝鮮から伝えられたとされていますが、はっきりしたことは明確ではありません。
また硯、墨、筆および紙の「文房四宝」は、「書道」と一体のものです。もともと、書道は、漢字もそうですが、中国から伝わってきました。書道は元来、中国において古典や詩歌などの作品を毛筆により芸術的に表現する手法として発展したものですが、漢字の移入とともに日本にもその文化がとり入れられ、大和・奈良の時代から、貴族、僧侶、さらには武士などの最も基本的な教養形成の方法として盛んになりました。
そして江戸時代の寺子屋などで「読み書き算盤(そろばん)」を教えたとされますが、仮名、和歌、漢字などの手習いとして書道の基礎教育を町人の子弟達は学んだといわれます。硯で墨を磨(す)り筆で紙に書いたもので、貴重なため紙は黒くなるまで使ったとのことです。
これで思い出されるのは、小学生のころ、「習字」の時間に真っ白な「半紙」は清書用として、練習には新聞紙を使い、何回も書いたものでした。今思えば、戦後まもない物が少ないころで「紙」も貴重な存在だったわけです。
因みに、紙・板紙の国民一人当たりの年間消費量は、統計によれば、終戦(第二次世界大戦)の1945(昭和20)年は3.7kg、入学した1946年から卒業までの6年間の平均数値は7.2kg(2.8~13.3kg)ですので、現在の240~250kgレベルから比べると非常に少なく、矢張り、当時は希少価値があったわけです。
ところで、わが国では国(経済産業大臣)により、現在、全国で198品目の「伝統的工芸品」が指定されていますが、その中で「文房四宝」に関する「伝統的工芸品」は、紙(和紙)で9品目、筆3品目、墨1品目、硯2品目、それに文房四宝ではありませんが、文具である算盤(そろばん)が2品目指定されています。次にそれらの名前と生産県名を掲げておきます。
和紙は、内山紙(長野県)、美濃和紙(岐阜県)、越中和紙(富山県)、越前和紙(福井県)、因州和紙(鳥取県)、石州和紙(島根県)、阿波和紙(徳島県)、大洲和紙(愛媛県)、土佐和紙(高知県)の9品目。そして文具は、算盤を含めて、豊橋筆(愛知県)、熊野筆(広島県)、奈良筆(奈良県)、鈴鹿墨(三重県)、雄勝硯(宮城県)、赤間硯(山口県)、播州そろばん(兵庫県)、雲州そろばん(島根県)の8品目です。
なお、「伝統的工芸品」とは、「伝統的工芸品産業の振興に関する法律(伝産法)」で定められており、一般の「伝統工芸」などの呼び方とは別に決められており、「工芸品の特長となっている原材料や技術・技法の主要な部分が今日まで継承されていて、さらに、その持ち味を維持しながらも、産業環境に適するように改良を加えたり、時代の需要に即した製品作りがされている工芸品」という意味で使われています。
また、法律上、「伝統的工芸品」に指定されるには、製造過程の主要部分が手作りであることや、伝統的技術または技法によって製造されること、伝統的に使用されてきた原材料であることなどの要件が必要であると規定されています。
しかし、「文房四宝」は進化しております。例えば、「墨」です。「墨」は、本来は固形のもので、これを水とともに「硯」で磨って黒色の液をつくるのですが、すぐに使えるようにした既製の「墨汁(ぼくじゆう)」の登場です。「墨汁」は、日本独自で開発したものですが、明治の中頃、小学校の先生が、「子供達が寒い冬に墨をするのがかわいそう」と思いついたのが開発の始りと言われております。
このすでに液体になっている「墨汁」の出現で、水を使って「硯」で「墨」(固形墨)を磨らずに済むようになりました。なお、「硯」(すずり)は、すみすり(墨磨り)から転じたものだそうですが、その墨を磨ることが少なくなっている今日、「硯」を使うことは珍しくなってしまいました。このように「硯」は一般的に使われなくなってしまい、「墨」(固形墨)とともに本当の「宝物」になってしまいました。
また「紙」も、そして「筆」も変わってきています。生活様式の変化で、洋式の普及・発展です。「紙」の主流は、「和紙」から「洋紙」へ、「筆」は、「毛筆」から鉛筆(ペンシル)・シャープペンシル・万年筆・ボールペンなどの「ペン」になっています。このため「文房四宝」という言葉もピンと来なくなっています。
なお、蛇足ながら、ふで(筆)は、墨・絵具などを含ませ、手に持ち、文字または絵などをかくところから、文手(ふみて)の意があり、呼称はこれから転じたものです「広辞苑(第五版)…CD-ROM版」(発行所:株式会社岩波書店)から引用。
それでは、今の「文房」の宝は何でしょうか。
多様化している現代。書くこと、記録をするための文房具もいろいろと増えておりますが、重宝な「文房」の宝は何でしょうか。筆記・記録には、まず、書くための「筆」、それに「筆」につけて文字や絵などを表現するための有色の、今で言う「インク」と、その媒体である「紙」は必須でしょう。
そして、これを当てはめれば、「筆」は、伝統ある「毛筆」と広く普及した「洋筆」、すなわち「ペン」であり、万年筆などを含みます。「インク」は、これも「書道」、「書画」などで今なお、愛用されている「墨」(固形墨)と「硯」、それに「墨汁」や万年筆用のブルーブラックインク、ボールペンの糊状油性インクなどの筆記用インクです。さらに「紙」は、「和紙」と「洋紙」ですが、これらはそれぞれ人によって、また用途や趣などにより、選択に違いがあるでしょう。
このように選ばれる「宝」は、多様化していますが、これが今の「文房」の宝であり、さらに「電子文房具」類の普及により、人により、「電子手帳」や「パソコン」、「携帯電話」などが加わるのではないでしょうか。
みなさんは如何ですか。
(2003年5月1日付け)