コラム(25-3) 紙と白さ(その3)強度劣化について

強度劣化について

次は紙の保存性の問題です。紙の長期保存で、もうひとつ劣化するものに強度(紙力)があります。それは長い期間のうちに紙が黄変化し、遂にはボロボロになる「劣化」という現象です。

 

ところで、町田誠之著の「和紙の道しるべ―その歴史と化学ー」(淡交社刊)には、「これらの外的条件の変化のない状態におけば分子の平衡関係が保たれて安定した形を続ける」とあり、続いて「正倉院の文書類は、恒温恒湿の宝庫の中で、桐または杉材で造られた唐櫃(からひつ)に防虫、防黴の処置を施して保管されている。その内部の湿度は年中あまり差がなく、夏でも最高約70%である。防虫防黴剤は、平時代から「えいこう」と称する漢方薬が使用されたと伝えられるが、明治時代以後は、沈香(じんこう)、丁香(ちょうこう)、白檀(びゃくだん)、甘松香(かんしょうこう)、薫陸(くんろく)の五味を調合した芳香薬品が当てられている。光エネルギーの遮断も効果的である。平あるいはそれ以前の紙もこの状態で千古不易(せんこふえき)の姿を保っている」とあります。

聖武皇の遺愛品や、東大寺の寺宝・文書など7~8世紀の東洋文化の粋9千余点を納め、それを伝える「正倉院」にこそ、「保存の極め」をみる思いがします。そして(正倉院の例から)「紙は、その造り方や取り扱い方を正しくすれば永続性を保つことが証明されている。和紙は的確にそれを実証している」とあります(「和紙の道しるべ」から)。

現在、長期保存すべき紙については、種々の延命対策が採られています。しかし、一般的には紙は劣化します。特に洋紙はそうです。外界からの空気・日光・熱・温度・湿気などに影響され、それらに曝されると化学反応を起こし、その作用で紙の保存性は悪化していきます。

 

紙の種類・組成などによって差

劣化の程度は退色性と同様、紙の種類・組成などによって差がありますが、原料繊維の種類やリグニン含有量の多少などのパルプの純度や使用薬品などの性質と量に大きな影響を受けます。

例えば、世界最古の紙として中国で発見された紀元前2世紀ごろの紙や、わが国最古の印刷物である「百万塔陀羅尼経」(西暦 770年)の原料が麻類であることから判断しても、長繊維で、セルロース分が多く、リグニンが少ない繊維純度の高いものの保存性が大きいことを示しておりますが、逆に機械パルプなど繊維中にリグニン分などが多いパルプを原料にしている紙は保存性が低いため、長期用でなく用済み的な一時的に活用される紙にしか向きません。

新聞紙がその代表ですが、最近、明治、大正時代の新聞が発見され話題を呼んでおります。保存の難しい新聞だからこそニュースになったのでしょう。紹介します。

ひとつ目は、東京大学総合研究博物館で発見された新聞です。明治初期・大正・昭和初期の古新聞が同館の植物部門の収蔵庫から大量に見つかり、現在は入手困難な新聞資料が多数含まれており、当時を伝える貴重な歴史的資料として公開されました(展示会期2004年4月29日~8月29日)。これらの新聞紙は押し葉標本の保存乾燥用として使用されており、保管条件が良かったのでしょう。そして今後とも、まだある「古新聞紙」の資料化事業を継続して行かねばならないとしています。

もうひとつは、方の新聞からの情報です。81年前の関東大震災を伝える当時の新聞が発見されたというものです(2004年9月2日付け日本海新聞)。

1923(大正12)年9月1日に関東方一円を襲った「関東大震災」の生々しい惨状を伝える当時の新聞が、鳥取市内で見つかったもので、紙面は震災一色で「全滅した小田原」など、家屋が倒壊し悲惨な状況を伝える見出しや写真が大きく扱われ、国民が受けた衝撃の大きさや様子が分かるという。それではもう少し本紙から話を続けますと、古新聞を見つけたのは、同市紙子谷の宮司、大沢邦彦さん(59)。大沢さんは八頭郡内で「古文書を読む会」の講師を務めるなど、古文書の研究を続けており、各から持ち込まれる古いふすまや屏風(びょうぶ)の表紙をはがして、内側に張られている紙に書かれている古文書などを分析されているとか。

震災の様子を伝えた新聞は、持ち込まれたふすまの一部に張られていたもので、日本海新聞の前身である「鳥取新報」や「大阪朝日新聞」など4紙で、日付は「鳥取新報」が9月7日、「大阪朝日新聞」が同月9日。

発見された新聞もふすまの内部に張られており、保管環境が良かったことになります。そして日の目を見たこれらの保存については、発見者の大沢さんは「新聞の保存はとても難しいが、なんとか保存できるようにしたい」と話しているとのことです。

 

紙のpH(酸性度)

発見された古新聞については以上ですが、紙の保存性にもうひとつ大きく影響するは紙のpH(酸性度)です。

中国で発明された紙は、ヨーロッパに伝播していきますが、普及していく過程で変化していきます。抄紙機の発明と導入、木材パルプの使用などですが、その中で今でいう酸性抄紙の導入も忘れてはなりません。

中国の紙とか、わが国の和紙は筆、を用いて書くために「にじみ」はあまり気にしませんが、欧米ではペンを用いてインクで書く習慣がありましたから、インクの「にじみ」を防ぐために、紙ににじみ止めをする必要がありました。そのため紙を作るときに初めは、膠(にかわ、ゼラチンが主成分)を表面に塗布する表面サイズ処理をしましたが、後に松ヤニを加工したロジンサイズ剤を紙の内部に入れるようになりました。しかしロジンサイズはセルロースと反発し合うので、そのままでは紙繊維中に留まらないため、定着剤として礬土(ばんど、硫酸ばんど、アラムとか硫酸アルミニウムともいわれる)を一緒に添加します。これが後に主流になるロジンサイズ・硫酸アルミニウム系のサイズ法ですが、この硫酸アルミニウムが紙を酸性にします。そして長い間に紙の中に残った酸が紙を構成しているセルロースを痛め、強度低下を起こし、遂にはボロボロにしてしまうのです。このような製法で作られた紙が酸性紙ですが、1850年ころから欧米で普及し、わが国に伝わり、1874(明治7)年に初めて抄造された洋紙です。それから100年ぐらい経った1980年初めに図書などの紙がボロボロになったり、なるとの心配で騒ぎになったわけです。

しかし、いまでは強酸である硫酸アルミニウムを使わずに、繊維に定着するサイズ剤ができました。これを使ったものが中性紙で、印刷・筆記用紙では中性紙の比率が高まっています。紙の保存性にも配慮されているのです。

 

なお、詳しくは「25資料.酸性紙・中性紙について」をご覧ください。

(2004年10月1日)

 

参考・引用資料

  • 広辞苑(第五版)…CD-ROM版(株式会社岩波書店発行)
  • 世界大百科事典(第2版 CD-ROM版)…日立デジタル平凡社発行
  • 中嶋隆吉著「」(その7)…日本製紙連合会 機関紙「紙・パルプ」(2002年10月号)
  • 町田誠之著「和紙の道しるべ―その歴史と化学ー」(淡交社刊)

 


更新日時:(吉田印刷所)

公開日時:(吉田印刷所)