コラム(32-1) わが国の紙のはじまり(2)渡来人による伝来説

(つづきです)

 

わが国の紙のはじまりについては、中国・朝鮮からきた説と、これに対して日本に古くから紙があったとする考え方があります。さらに中国・朝鮮からきた説については、国交による人・ものなどの往来と、それらの国から来た渡来人(とらいじん)による説があります。

このうちの国交による説については、当時のことが記述されている「日本書紀」などの文献に基づいて上記[コラム(31) わが国の紙のはじまり(1)]のように紹介しました。

もうひとつの渡来人による伝来説と、日本に古くから紙があったとする説について、以下にまとめますが、まず渡来人による紙の伝来について触れます。

 

渡来人による伝来説…技術集団の秦氏

5~6世紀に渡来した技術集団によってわが国の紙は、はじめられたとする説が近年は優勢になっています。この時期、国の交流によって、多くの漢(中国)民族や朝鮮民族が来朝しました。その中の多くは母国に帰国することなくそのまま日本に定住しましたが、このように古代に中国、朝鮮より日本列島に移住してきた人達のことを渡来人といいます。

 

渡来人の移住と活動の段階については、世界大百科事典(日立デジタル平凡社)によれば、およそ(1)前2世紀~後3世紀、(2)4世紀末~5世紀初頭、(3)5世紀後半~6世紀、(4)7世紀後半、という四つの時期に分けられますが、なかでも(2)(3)の朝鮮から渡来した人々がもたらした武器・武具や農具類など金属器の鋳造技術と供給、あらたな土器製作・機織技術の伝播、乾田系農業技術、雑穀栽培などは当時の日本の政治力、軍事力、生産力および文化の発展に寄与したのみならず、その社会を根底から変質させる一大画期を現出させるもととなりました。

 

その渡来人の移住によって、日本に数多くの「渡来系氏族」が誕生しました。主な渡来系氏族としては、新羅の豪族だった弓月君(ゆづきのきみ)が始祖とされる秦(はた)氏、百済から渡来した阿知使主(あちのおみ)を始祖とする東漢(やまとのあや)氏、西漢(かわちのあや)氏、弓月君と同じころに百済から渡来した王仁(わに)を始祖とする西文(かわちのふみ)氏などがあります。

これらの渡来系氏族により、大陸の文化や技術が数多く日本に伝えられましたが、技術者集団としての面が強かった秦氏や東漢氏に対し、河内(大阪)方を中心に栄えた西文氏は文筆業を主としていました。なお、日本に漢字が伝えられたのは、この西文氏よるものだろうと言われています。

古代日本の各種技術はほとんど、中国あるいは朝鮮からの渡来人によって伝えられたことから考えて、「紙」もまた渡来人の技術集団のなかではぐくまれた可能性がきわめて強いと考えられており、中でも5世紀に渡来した技術集団、秦氏による紙造り説がとくに有力とされています。

 

秦氏は日本古代に朝鮮半島から渡来した氏族で、「日本書紀」には、応神皇のとき来朝、帰化した弓月君の子孫とされています。5世紀後半、雄略皇のとき全国の「秦民」を集めて秦酒公(はたのさけのおもと)に賜り、酒公は多数の秦部(はたべ)を管理し、織物の生産などにたずさわり、朝廷に絹を貢進したとあります。

さらに「日本書紀」によると、履仲皇4年(403)諸国に国史(くにふみ)を置き、同6年蔵職(くらつかさ)を建て、蔵部が置かれましたが、秦氏はとくに蔵部として重用されました。また雄略皇2年(458)史戸(ふひとべ)を置き、同15年大蔵官を置いて、秦酒公を長官ととしています。

大和政権の宮廷では渡来人の史部(ふひとべ)が文書の作成を担当しており、書くための紙が必要であり、それを調達するのは蔵部であったと考えられます。そしてその用紙もおそらく蔵部で物資調達を担当した渡来人の技術者(秦氏)がつくっていた、と考えられます。

 

秦氏の紙造り説について、森田康敬著「紙跡探訪 和紙発祥のを探る」…(財)紙の博物館友の会「かみはくニュースレター No.6」(2005年3月1日発行)に次のように記述されています。

 

我が国の紙造りは、之を得意とする新羅加羅出身の渡来氏族、秦氏によるとされている(なお、秦氏は農耕、治水、土木、建築、製鉄、養蚕、織物、須恵器、醸造、紙漉、芸能などの特技集団)。その祖、秦の始皇帝の末裔、弓月君(ゆづきのきみ)が応神16年(285年、歴史的修正年400年頃)127県の民を率いて渡来し、5世紀には山(やましろ、京都)一帯に強固な盤を固め、主に方豪族として後に「平安京」遷都の誘導造営に大きな力を発揮している。この秦氏の生活の中には紙が生きづいており、早くから氏族内で小規模な紙造りが行われていたのではないか。之がやがて朝廷の紙の需要に結びつき(例えば紙戸(しこ)や宮中での紙造り)、中央から方へ、折から紙の大きな需要を呼ぶ写経ブームと漸く整ってきた政庁並びに戸籍計帳用紙の需要が重なり、量、技(わざ)ともに飛躍的な高まりと軌道拡大の道を歩むようになった。(以下略)

 

として、わが国の紙造りは、渡来氏族、秦氏によるものとされています。

 

  次のページへ


更新日時:(吉田印刷所)

公開日時:(吉田印刷所)