コラム(35-1) 板紙発祥の地 1

前回の洋紙発祥のに続いて、今回はわが国の板紙発祥のについて触れます。

 

紙(洋紙)と板紙の区分には明確な定義はありませんが、一般的には米坪の大きいもの、すなわち厚手の紙を総称して板紙(ボード、paperboard)といいます。板紙は俗にボール紙ともいわれております。品種として板紙は段ボール原紙(ライナー、中しん原紙)、紙器用板紙(白板紙…マニラボール、白ボール、黄板紙(きいたがみ)など)、建材原紙、紙管原紙、ワンプおよびその他板紙に分類されています。

板紙の用途は、大部分が箱・容器などの包装・紙器資材であり、その他に表紙、台紙や、また厚みがあることから建築資材などの一部としても使われています。板紙は多層抄きの抄き合わせで製造され、多くの古紙が使われています。

 

わが国で最初に誕生した板紙は黄板紙(黄ボール)ですが、当時の製紙原料は「藁(わら)」(最初は麦わら、後に稲わら)のみで、黄土色をしていることから、黄板紙は俗に馬ふん紙などと呼ばれることがあります。

それでは板紙発祥のについて説明していきます。なお、末尾の参考・引用文献などからまとめました。

 


 

わが国の板紙発祥のは、東京府北豊島郡千住南組174番(現、東京都荒川区南千住6ー35)です。1888(明治21)年8月10日、このに東京板紙会社社長佐久間貞一が工場を建設し、翌1889(明治22)年6月に稲わらを原料として板紙の生産を開始しました。これがわが国における板紙生産の始めとされています。

そして創業百周年に当たる1989(平成元)年5月に、東京板紙株式会社南千住工場の跡に千住製紙株式会社ゆかりの人々と所有者である十条板紙株式会社によって、「板紙発祥の」の記念碑が建立されました(「板紙発祥の」記念碑 右写真参照…ホームページ彫刻天国荒川区画像から引用させていただきました)。なお、この記念碑は完成後、荒川区に寄贈され、維持管理は荒川区によって行われています。

「板紙発祥の」記念碑の碑文には、次のように刻まれており、わが国の板紙業発展のもととなった足跡が残されています。

板 紙 発 祥 の

明治21年8月10日東京板紙会社社長佐久間貞一が、このに工場を設立し、翌明治22(1889)年6月新式抄紙機械を英国から輸入するとともに外国人技師を雇い、稲藁を原料としてボール紙の生産を開始した。

わが国に於いて本格的にボール紙(板紙、段ボール原紙等)を機械製造したのは、これが最初のことである。以来需要は年を追って増加し、昭和63年(1988)には、1,000万噸を超えるに至った。

原料も古藁工品(空俵類)から古紙へと変遷した。その間に多くの関連業界が成長して、域の発展にも寄与した。

このたび、荒川区のご協力により旧工場跡に製造開始100年を記念するとともに先人達の苦労に深い敬意と感謝を表しこれを建立した。

平成元年5月

ご 案 内

紙は、和紙・洋紙・板紙に大別できます。和紙の発祥は福井県今立町の岡太(おかもと)神社といわれ、洋紙発祥記念碑は、東京都北区の紙の博物館際にあります。

なお、記念碑の碑文に「洋紙発祥記念碑は、東京都北区の紙の博物館際にあります」と刻まれていますが、今は前回紹介しましたように紙の博物館が移転しており、かつ区画整理されていますので、「洋紙発祥記念碑」の現在はJR王子駅脇サンスクエア敷内ということになります。

また「板紙発祥の」には、この「洋紙発祥の」のある北区王子から都電荒川線に乗って荒川区市役所前で降りて徒歩およそ20分で着きます。

 

わが国における板紙生産の始め

板紙の始めについて、もう少し詳しく説明します。板紙製造の事始めはヨーロッパです。中国の紙が西方に伝播し、ヨーロッパで改良され、洋紙として育まれていきますが、それに大きく寄与したのが抄紙機の発明です。

イギリスのフォードリニア兄弟が改良し、現在の形に近い長網抄紙機を作ったのは1807年のことです。その後、長網抄紙機は洋紙発展に多大な貢献をしていますが、それを称えて今日でも長網抄紙機のことをフォードリニアマシンとも呼ばれています。

この主に薄・中物を抄く長網抄紙機に対して、主として厚紙、板紙を抄くのに適している丸網抄紙機は、1809年にイギリスのディキンソンが発明しました。そして板紙は1817年にイギリスで市場化されましたが、このときの製紙原料は麦わらでした。

 

それから約70年後になりますが、わが国においても板紙の生産が始まりました。佐久間貞一(さくまていいち)によってです。

佐久間貞一は1848(嘉永1)年5月15日、江戸日本橋小伝馬町に生まれました。若いころは幕末の浪士にすぎませんでしたが、維新後に実業界を志し、さまざまの事業を行ったのちに今日の大日本印刷株式会社の前身、秀英舎を東京板橋に創立して初代舎長になり、その経営にあたりました。

さらに東京板紙会社や日本図書株式会社をつくり、移民事業そのほか、多くの実業を行ないました。また、明治24年に印刷雑誌社を興し、「印刷雑誌」をもって印刷技術研究の資としたことも特記すべき一つです。

 

ところで、秀英舎は板紙生産の発端と深い関わりがありますので、それについて述べます。秀英舎は、佐久間貞一によって興された活版所で、1876(明治9)年10月9日に創業されました。これは佐久間貞一がヨーロッパで発達した活版印刷業に着目し、印刷の将来が当時主流であった木版印刷ではなく活版印刷であり、やがてわが国文運発展のためになるとの見通しのもとで設立されたものです。

創業直後は、まだ活版印刷の設備を整えるのも困難な時代で、充分に仕事が回らずに苦しい経営状態が続いていました。

そのころのことです。中村正直(なかむらまさなお、明治前半期の啓蒙思想家・教育家・文学者、号は敬宇)がイギリス人サミュエル・スマイルズの著書「Self Help」(自助論)を訳し、1871年に「西国立志編」としてすでに刊行されていましたが、その「西国立志編」再版の企画がもちあがったのです。

その話を聞いた佐久間貞一は中村正直に頼み込み、その仕事をもらうことになりましたが、その代わりに中村正直は、本の装丁を洋式のクロース表装にし、出版することを求めました。

そのころの日本では洋式装丁の方法も分からず、その芯(しん)に使う板紙も製造されていなく、わずかに輸入板紙が売られているに過ぎませんでした。

そのため佐久間貞一は板紙の製造方法の研究を始め、まず、輸入品の板紙を分析し、その原料が麦わらであることを発見しました。そこでこんどは麦わらを買い、これを細かく切り刻んで、ソーダを加えて煮た後、石臼で引いて水と糊を混ぜ、液状にして、手漉き和紙を漉く要領で漉き上げ、日で乾燥すると、輸入品の板紙に似た紙ができたということです。

そこで佐久間貞一は友人と相談して、試験的な小規模工場を設け、2、3人の職工を雇い、自分で考案した手漉き器具で板紙を製造しました。1876(明治9)年10月のことですが、これがわが国における手漉きによる板紙製造の最初とされています。

 

その後、佐久間貞一は板紙製造の拡大を図るため、友人たちと相談して、1886(明治19)年にわが国最初の板紙生産会社である東京板紙会社(資本金1万円)を設立しました。

そして埼玉県新座郡片山村(現、新座市)に工場を新設、これが第一工場ですが、洋式機械により麦わらを原料にして板紙製造(日産1t)を開始しました。しかし、当時は河川の水量も少なく、冬期は渇水・凍結などで条件にも恵まれず、失敗に終わり中止せざるを得ませんでした。

そのため1887(明治20)年に資本金を17万円に増資して、1888(明治21)年8月に東京府下千住南に第二工場を建設しました。

翌1889(明治22)年6月に板紙を抄く新式機械、スコットランド製の85インチ長網抄紙機を英国から輸入するとともに英国人技師を雇って、稲わらを原料として板紙の生産を開始しました。これがわが国における(機械抄き)板紙生産の始めとされており、板紙発祥とされています。そして今日の板紙業の先駆けとなりました。

 

なお、板紙は円網式抄紙機で、しかも抄き合わせして造られるのが普通ですが、当時は長網抄紙機の単層でした。また、洋式による板紙製造を開始したとき、西洋では麦わらが原料でしたが、東京板紙会社は国内事情から、稲わらをもってしました。稲わらを原料にして製造した板紙をわが国では黄板紙または黄ボールといいますが、書籍の表紙や、紙器容器、蒸気車および馬車の切符用紙などに用いられました。これらの需要は好調で、その後、富士製紙の入山瀬工場(静岡県)を始め、新規に参入する企業が多くなりました。

用語説明
用語説明対応英語
黄板紙(黄ボール)

現在では、「稲ワラ、古紙を主原料として抄き合わされ、黄土色のもの」との定義付けされている板紙です。

かつては板紙の主流を成した紙で、英語でストローボードといわれるように、わらを原料とした下品。坪量は450~850g/m2と極めて厚い紙で す。稲わら、麦わらなどのわらや屑ボールを原料とし、円網式抄紙機で抄き合わせして造られますが、黄土色をしていることから、俗に「馬ふん紙」などと呼ば れます。

耐折性は劣るが剛度が高く、普通は上質紙、着色紙などの外装紙を片面または両面に貼り合わせて使う芯(しん)ボールとして用いられ、貼り函、組み立 箱や、便箋裏表紙、ブックケースなどに使用されます。なお、裏面が白色になるように白色紙料を抄き合わせたものを裏白黄ボールといいます。

現在は稲わらの集荷が難しくなり、黄板紙はチップボールに代わり生産は板紙全体の0.1%くらいで僅少になっています。

straw board
チップボール

戦後、黄板紙に代わってチップボールの生産も行われるようになりました。全層、主原料として下古紙(新聞紙等)や黄しん(わら)などの古紙を使 い、主に円網抄紙機で抄き合わせた低板紙で、チップしんボール、裏白チップしんボール、黄しんボール、裏白黄しんボール(ダイレクトボール)がありま す。

比較的低密度で、-般に400g/m2以上のものが多く、用途は製函用で、箱のベースとなり、その上からプリントされた紙やビニールなどを貼り合わせ ることが多い。また、比較的大箱用にも使われるが、原料が悪いため割れが発生しやすく、高品用途には不向きです。さらに、書籍表紙などの芯(しん)ボー ルとして使用されることもあります。

なお、チップ(chip)の言葉に、①パルプなどの原料にする木材などの小片と、②古紙を原料とする板紙の意味があります。

chip board

 

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更新日時:(吉田印刷所)

公開日時:(吉田印刷所)