新しい年を健やかにお迎えのことと思いますが、親しい人への新年の挨拶は「年賀状」でしたでしょうか、それとも「電子メール」でしたでしょうか。
インターネットの普及にともない、特に若い世代を中心にして「活字離れ」「紙離れ」が進んでいるようです。その代表といえるのが、手紙・はがきなどの「郵便」であり、「新聞」です。
しばしば紙の消費量は、その国の文化の程度を測る尺度に使われており、「紙の消費量は文化のバロメーター」と言われてきました金言(きんげん)が、今後とも通用するのでしょうか。今回は、2回に分けてこのことを考えて見ます。なお、参考したり引用しました文献、ウェブは次回にまとめて記します。
電子メールの日
まず、話の発端として「電子メールの日」と「ふみの日」について触れます。「きょうは何の日」じゃないですが、1月23日は「電子メールの日」だそうです。あまり知られていないようですが、「1(いい)23(ふみ)」(いい文、E文)の語呂合わせということで、日本電子メール協議会が1994(平成6)年に電子メールの普及を目的に制定された記念日です。まだ、今ほど電子メールの普及していない時代に、その利用拡大を図ったわけです。
なお、日本電子メール協議会は97年に電子メッセージング協議会と改称。さらに2000(平成12)年10月にサイバービジネス協議会と統合し、Eジャパン協議会となりました。総務省管轄の外郭公益法人である財団法人マルチメディア振興センターに事務局を置いて、任意団体として高度情報通信社会に向けて、アプリケーションの研究・開発、ネットワーク向上に関する調査や啓発などの活動していましたが05年8月をもって解散しています。
ふみの日
また、23日は「ふみの日」でもあります。「ふ(2)み(3)」の語呂合わせで毎月の23日を、郵政省(現日本郵政公社)が1979(昭和54)年に「ふみの日」に制定しました。「電子メールの日」の制定よりは15年前のことです。
「もっと手紙を書いてもらいたい。手紙によって心を伝える楽しさ、手紙を受け取るうれしさを多くの人に知ってもらいたい。そして文字離れが進む現代、文字文化を継承し、さらに向上させようとの狙いがあり、その一助となるように」との趣旨で定められました。
しかし、そのころは電話がようやく国民一般に行き渡ってきたころで、コミュニケーションの主役が手紙から電話に移ろうとしていた時期です。電話がなかったり、まれなころは、遠くに住む人とのコミュニケーションは手紙しか手段がなく、手紙の普及に対する心配はありませんでしたが、これからますます普及するであろう電話に対する郵政省側の危機感もあり、手紙への理解と普及の願いを込めて、「ふみの日」を制定したと言うことだそうです。
「電子メールの日」が拡大という攻めの制定であるのに対して、「ふみの日」はどらかと言えば、新しいメディアである電話に対する守りの制定であると言えます。
一般家庭へ普及する固定電話の危機感から「ふみの日」が制定されましたが、15年後には今度は電子メールの脅威に曝されることになります。当時、このことを誰が予測したのでしょうか。技術の急速な進歩です。
なお、毎月の「ふみの日」の中でも、特に11月23日は「いいふみ(良い文)の日」で語呂合わせが良いこと、また7月が陰暦で文月(ふづき、ふみづき、ふつき)と呼ばれることから、7月23日の「ふみの日」には、特に「文月ふみの日」として重視され、運動の一環として「ふみの日切手」が発行されるほか、さまざまなイベントが行われています。
紙の消費量は文化のバロメーター
ところで紙は、私たちの生活に必要不可欠な素材として密接な関わりを持っております。経済が発展し、生活が豊かになり、文化レベルがあがり充実するほど、種々の用途に使われる紙の消費量も増加してきました。これまで生活向上とともに、紙は文化の担い手としてその需要は拡大してきました。そして消費は着実に伸び続けてきました。
それ故、「紙の消費量は文化のバロメーター(指標)」と言われてきました。これからもそう言われるのでしょうか。
これまでにも「紙の消費」は環境に悪いとか、悪であるとかと言われたこともありました。しかし、それも「適正でバランスの取れた生産と消費」ならばと理解されてきました。
また、オフィスの電子化によって、一時期「ペーパーレス時代」の到来がまことしやかに言われたこともありました。が、紙の需要は一層拡大するばかりでした。
ところが今度はインターネット時代の到来です。特に紙媒体が持つ機能のひとつである情報伝達分野で脅威になりつつありますが、これからも「紙の消費量は文化のバロメーター」となり得るのでしょうか。
紙・板紙の消費の動向…戦前から電子メールの日制定年まで
消費量の表示には総量を示すものと、一人あたりに換算して表すなどがありますが、絶対数量を表す総量は消費する人数によって影響されますので、ここでは広く用いられている「国民一人あたりの紙・板紙の年間消費量」で見ていきます。
わが国の消費量を挙げる前に、比較しその国の生活レベルを推定し、理解を深めるために、まず世界における代表的な国々の実績(2005年)を掲げておきます[資料:日本製紙連合会「紙・板紙統計年報」(平成17年版)、機関紙「紙・パルプ」2006年11月号、および特集号…紙・パルプ産業の現状]。
上位から見ていきますと、世界では日本の一人あたりの紙・板紙の年間消費量は246.3kgで第6位ですが、1位はルクセンブルクの358.3kgです。なお、ルクセンブルクは、西ヨーロッパにある人口46万人弱の小国で、経済が豊かで一人あたりの国民総所得(GDP)は世界一位を誇っています。さらに2位はベルギーで353.8kg、次いでフィンランドが3位(324.4kg)、米国が4位(300.6kg)、スウェーデンが5位(255.4kg)と続いています。
その他の主な国での消費量はドイツ232.7kg、英国206.5kg、イタリア198.5kg、フランス177.8kg、台湾215.1kg、韓国171.5kgなどで、多く消費されています。
一方、人口・土地が大きく、最近、経済成長が著しい中国の紙・板紙の生産量および消費量はともに絶対数量が多く、わが国を追い越して米国に次ぐ2位に伸し上がってきました。しかし、一人あたりの消費量では45.1kgと、まだ世界の平均(56.3kg)に達していません。中国の顕著な経済の伸びは、人口大国(約13億万人)であり、面積も広く国内全体が一様に発展しているわけでなく、都市と農村の経済格差の拡大など多くの課題も抱えているようです。
それを示す資料かありました。最近の日本経済新聞(2006年12月26日付け)に「中国『貧富の差深刻』89%」という見出しで載っていましたが、それによりますと、12月25日付の中国紙、中国青年報は、同紙などがこのほど実施したインターネットによる世論調査で、89.3%が「中国の貧富の格差は極めて深刻」であると伝えています。
約1万人に聞いた調査の結果ですが、貧富格差については72.4%が「弱い群集と特殊利益集団(特別な利益獲得者)」の間で広がっていると回答。67.5%は「権力を持つ者と持たない者」、50.1%が「被雇用者と雇用者」、38.7%は「都市部住民と農村部住民」、また34.6%が「エリートと一般大衆」の間で拡大していると答えています。
そして調査対象者の80.7%が、貧富格差が拡大しつつある社会は「必ず改善しなくてはならない」と述べています。さらに同紙によると、人口の10%の最も裕福な層が、国家の富の45%を保有し、世界銀行統計では1億3千万人が1日1ドル以下の収入で暮らしているということです。最近、急成長しており何かと脚光を浴びている中国ですが、まだまだ取り残されて遅れている裏側があるようです。
ところで、中国の他に紙・板紙の年間消費量が世界平均以下の主な国はブラジル38.7kg、ロシア36.3kg、インド6.5kgなどかありますが、まだ1桁以下の貧困な国も多くあります。
それでは、わが国の国民一人あたりの紙・板紙の年間消費量の推移を見ていきます。太平洋戦争に突入した昭和16 (1941) 年の国民一人あたりの紙・板紙の年間消費量は19.0kg、翌昭和17年15.0kg、昭和18 年12.7kg、さらに敗戦前年の昭和19年は8.3kgと漸減していきます。「贅沢は敵」、「欲しがりません、勝までは」の世情で、このころは「文化」どころではなかったのでしょう。
そして終戦の1945(昭和20)年は3.6kgまで落ち込みました。その翌年はさらに最低の2.8kgとなりましたが、昭和22 年3.7kgとなり、漸次、増加し、8年後の1953(昭和28)年には20.2kgとなり、生産量、消費量とも戦前のピークであった1937(昭和12)年の19.5kgを超え、経済の復興を成し遂げました。その後は経済の成長・発展とともに、ゆとりもできて世界へ羽ばたいていきます。
さらに「ふみの日」が制定された1979(昭和54)年の国民一人あたりの紙・板紙の年間消費量は、150.9kgとなり、その後も懸念された電話の脅威もさほどなく、「郵便」への影響もなく、紙全体の消費は増えていきます。また、「電子メールの日」が定められた1994(平成6)年は230.6kgとその間多少の動きはありましたが、順調に伸びています。