わが国における「鼻かみ・トイレ用」の紙について
ところで欧米よりは紙の歴史が長い日本には、西洋式のティッシュペーパーやトイレットペーパーに相当する鼻かみ用とかトイレ用に使われた紙が先行してありました。その一般呼称を拾ってみますと、主に次のものがあります。すなわち、「塵紙」「落紙(おとしがみ)」「鼻紙」「懐紙・畳紙」「化粧紙」などですが、次表に久米康生著「和紙文化辞典」や「広辞苑(第五版)」などをもとにそれらの用語説明をしておきます。
説明 | |
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塵紙 (ちりがみ、ちりし) |
一般に、鼻紙や落し紙に用いる下等な粗紙であるが、もともとは楮の外皮の屑で製し、表面に塵滓(かす)がある手漉き和紙のことである。また、屑紙(故紙、 今の古紙)で作られたものも塵紙ということがある。鼻紙や落し紙のほか、袋紙(包装紙)、壁の腰張り(壁紙)、襖(ふすま)や屏風(びょうぶ)の下張り紙 などに広く用いられた。 塵紙の名は永正三(1506)年の「実隆公記(さねたかこうき)」に見られる。安永六(1777)年刊の木村青竹(せいちく)編「新撰紙鑑(かが み)」には「およそ半紙の出るところみな塵紙あり、半紙のちりかすなり」とあるように、江戸時代には各地で種々の紙が生産された。また、その産地によって 名前が異なり、江戸の浅草紙や京都の西洞院紙(にしのとういんがみ)等は、故紙を漉き返した最下級品の物で落し紙などに用いられた。同じ塵紙でも、江戸の 桜花紙(さくらばながみ)や福岡県八女(やめ)市の京花紙(きょうばながみ)等は、純楮製の白くて薄手の上級品であり、遊里のちり紙等に用いられた。 その後、主として丸網抄紙機による機械すきが普及し、上質の古紙を原料として十分に脱色した白ちり紙と、着色した古紙を原料として漂白が十分でない 黒ちり紙が生産された。平判で、近年は古紙に多少化学パルプを配合して、柔軟性、吸水性、強度をもたせて、主としてトイレ用に使われているが、洋式トイレ の普及に伴い、減少傾向にある。
①女性用懐中紙の一種で、東京音羽の竹内林之助が、桜色の地紙に「貴婦人用さくら花紙」と印刷した商標をつけて販売した紙。小町紙・八重紙などと名づけて追随する紙問屋もあって、都市で流通したが、大正末期には京花紙に圧倒されて消滅した。 ②桜の樹皮で製した和紙。秋田県角館(かくのだて)付近で産した。寛政12(1800)年刊の人見子安著「黒甜瑣語」(こくてんさご)に、桜皮で桜紙をつくったことが記されている。 ③反古紙を漉きかえした、小判の薄い和紙。鼻紙などに用いる。 ④和紙の反古紙を漉き返して再製した薄い紙。この名は、楮を原料とした薄くて美しい吉野紙に似ているので、あやかって「吉野は吉野桜が有名」なことから吉野桜の連想から桜紙と名付けられた。 現在では、ほとんどが機械漉きになり、マニラ麻や化学パルプを原料とした紙が、桜紙の名で呼ばれている。 |
落紙 (おとしがみ) |
便所で使う紙。清紙(きよめがみ)ともいう。便所は昔厠(かわや)といい、川の上に板を渡してそこを足場にして掛け、そこに落としこむ紙の意である。また古代には便器を大壷といい、大便を拭く紙を大壷紙(おおつぼがみ)とも言った(本文参照…後述)。 なお、便所には厠(かわや)、閑所(かんじょ)、雪隠(せっちん)、後架(こうか)、背屋、〈かど〉、〈ふろや〉、御不浄、〈はばかり〉などの異称 が多い。このうち、「かわや」は「日本書紀」にもみられる古い語で、水上で用便し排泄物を川の水に流す原始的な自然水洗式(水洗便所)であったようであ る。いわゆる「河屋」とか「川屋」であるが、これが即「厠」の語源であるかというと、諸説入り乱れ、定かではない。 |
鼻紙 (はながみ) |
鼻汁などを拭うための紙。古代には鼻紙の名はなく、懐紙(ふところがみ、かいし)、畳紙(たとうがみ)を用いていた。すなわち古代から中世には、檀紙・杉 原紙・引合せ紙などの懐紙で鼻汁を拭ったのであるが、中世後期(室町時代)には鼻紙という言葉も出てきている。それは女房詞(ことば)で「やわやわ」ある いは「やはやは」と呼ばれていたが、奈良産の吉野紙・奈良紙で薄くて柔軟な肌触りのよい紙であった。それを簾中(れんちゅう)の高貴な女性が愛用したので 「御簾紙」(みすがみ)と呼んだのが転じて近世には三栖紙・美栖紙と書かれるようになり、美栖紙は鼻紙の最高級品であった。 近世には鼻紙の需要が増え、「延紙(のべがみ)」の名で各地でつくられたが、これは俗に「七九寸」ともいい、縦7寸(約21センチメートル)×横9 寸が鼻紙の標準寸法のようになった。延紙は柔軟な紙で鼻紙などとして用いられたが、中世に公家の懐中紙であった「吉野のべ紙」に由来している。 江戸時代には全国各地で漉き返し紙が作られるようになったが、「鼻をかむ紙は上田か浅草か」という川柳があるように、江戸の浅草近辺で作られていた 浅草紙や長野の上田紙などが有名で鼻紙などに使われた。なお、江戸時代に鼻紙袋(はながみぶくろ)が用いられたようですが、鼻紙・薬・金銭などを入れて懐 中する布または革製の袋のことで、鼻紙入、紙入に同じ。現在の携帯用のポケットティッシュ的な発想と同じで興味深い。 明治中期から九州産の京花紙が多く出回っていたが、明治末期から発展した機械すきで鼻紙などの雑用紙が量産され、手漉きの鼻紙は姿を消すことになる。 (注)
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懐紙 (ふところがみ、かいし) |
畳(たた)んで懐に入れておく紙で、檀紙・杉原紙・奉書紙または半紙などが用いられた。「ふところがみ」「かいし」「畳紙・帖紙(たとうがみ)」とか「鼻紙」と称した。「源氏物語」紅梅の巻に「この君のふところ紙に取り混ぜ、押したたみて」とあり、平安貴族たちは常に懐に紙をたたんで入れていた。懐紙は今日のポケットティッシュやハンカチのような用途の他に、その上に菓子を取ったり盃の縁を拭うなどに用いたり、詩歌を記したり、貴族の必需品であった。 後に和歌・連歌・詩などを正式に詠進する際の用紙である詠草料紙(和歌などを書き記す料紙)を意味するようになり、男性が檀紙を、女性が薄様を用いるのが慣わしとなり、正式の詠草料紙には色の違う薄様を二枚重ねて用いた。春には上が紅梅、下が蘇芳(紫蘇の色)の「紅梅がさね」、夏には上が白、下が青の「卯の花がさね」に和歌を書き記したという。和歌懐紙では歌題・作者名・歌の順で書き、女房は歌を散らし書きにする。連歌・俳諧懐紙では、百韻連歌の場 合、料紙4枚を用い、1枚ずつ横に二つに折って折り目を下にし、右端を水引でとじる。初めの懐紙を初折(しょおり)、以下二の折・三の折・名残(なごり) の折という。 なお、畳紙(たとうがみ)とは①檀紙・鳥の子などの紙を横に二つ、縦に四つに折ったもの。幾枚も重ね、懐中に入れておき、詩歌の詠草や鼻紙に用いる。ふところがみ。かいし。折紙。②和服や結髪の道具などをしまうための厚い和紙に渋や漆を塗り、四つに畳むようにして折目をつけた包み紙のことをいう。 |
化粧紙 (けしょうし) |
化粧紙には、①相撲で、力士が土俵で身体を拭い清めるのに用いる切紙。力紙。②おしろいのむらを直すのに用いる薄い紙。また顔の脂肪分を拭って化粧するの に用いる風呂屋(ふろや)紙の別称。「おしろいがみ」の類がある。金箔づくりに使われた箔打紙は、②の用途の「あぶらとり(脂取り)紙」として、もう一度有効に活用される。何十万回と打叩かれた箔打紙は「ふるや紙」とか、顔を拭うと脂肪分が取り除かれ、ちょうど入浴をしたようになるため「風呂屋紙」といわれる。独特の技術と加工で金箔をつくる際に生み出された「打ち紙」は、肌に優しく皮脂吸収力が高いところから古くから貴婦人のあいだで「化粧紙」として愛用されてきた。現在も若い女性や男性にも人気が出ており、特に京都の「舞妓さん」に重宝がられているのはよく知られている。 なお化粧紙は、以前は化粧落し用高級ちり紙と考えられていたが、現在はいわゆるティッシュペーパー(フェーシャルティッシュ facial tissue)と同義的に用いられることがある。 |