コラム(69-3) 紙・板紙「書く・拭く・包む」(4)トイレットパーパーのはじまり

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ヨーロッパで珍しかった日本の鼻紙

ここで日本人の使う鼻紙が西洋人にとって、いかに珍しかったかを知るエピソードを紹介します。江戸時代の初期、すなわち17世紀始めのことです。奥州仙台の伊達政宗が、支倉常長一行を慶長18(1613)年にヨーロッパへ親善使節(慶長遣欧使節)として派遣しました。同年10月28日、支倉常長一行は現在の宮城県の月の浦港を出港し、1年後にスペインに上陸しました。一行は、スペインからイタリアに向かう途中に嵐にあって南フランスのサン・トロペに避難しました。その時のことです。支倉常長一行が使った鼻紙を見物に集まった人々が争って拾ったと言うことです。この時の様子がサン・トロペ侯爵、同侯爵婦人らの手によって記録され、それが、パリの国立図書館と南仏のカルパントラ図書館に現存しています。侯爵夫人は、次のように記録しています。

「彼らは、ほとんど掌の大きさほどの、中国の絹の鼻紙で洟(はな)をかみ、1枚の鼻紙は二度とは使いませんでした。洟をかむたびに上に紙を捨てますので、見物に集まったこのの人々が拾い集めるのを見て面白がっておりました。彼らは胸にたくさんの紙をはさんでいましたが、長途の旅に充分なだけを持ってきていましたので、こんなことができたのです」。一行の鼻紙は、イタリアのローマでも珍しがられ、ローマのアンジュリカ博物館と人類学博物館に、今もなお"支倉の鼻紙"とされるものが保管されているそうです[山内昶著『「食」の歴史人類学』(人文書院1994年)]。

支倉常長の一行はたしなみとして、伊達藩の紙漉きがつくった鼻紙(懐紙)を十分に用意して日本を出発したのですが、これがヨーロッパで意外な反響を引き起こし、彼らが無造作に使い捨てる鼻紙が、あまりに上質なのに人びとはびっくりしたわけです。

当時の日本では、各で紙(和紙)づくりが盛んになっていました。仙台市にも柳生(やなぎゅう)和紙があります。そのホームページ(手すきの里 柳生和紙など)によると、柳生和紙は流漉き法による漉き方ですが、今からおよそ400年前(慶長年間)に、仙台藩主伊達政宗は米作り以外の産業を盛んにするために福島県伊達郡茂庭村から4人の紙すき職人を柳生によんで、和紙づくりの指導にあたらせました。そして作られた和紙は藩の御用和紙として使われていた、とあります。支倉常長一行が持っていた鼻紙が柳生和紙であったか定かではありませんが、身近にあり豊富に良質の紙が充当できたものと考えられます。

これに対して、そのころのヨーロッパでは紙はまだまだ貴重品で、しかも粗悪でした。亜麻や木綿のぼろ布を原料にした旧式の溜漉き法による製造で厚手の硬い紙でしたので、鼻をかむのに上流階は布(ハンカチ)で、一般庶民はもっぱら手か服の袖などが使われていたということです。そのため「日本人たちは、紙で洟をかむとその紙を二度と使わずにすぐに捨ててしまった。見物人たちは、その紙を我先にと競って拾い、手に入れていた」とびっくりしたわけです。「紙で洟をかみ、その紙を使い捨てる」という習慣が非常に珍しく贅沢に感じられたのです。

それからおよそ240年後の1854(安政元)年、江戸幕府は215年にわたる鎖国をときました。開国により、多くの欧米人が日本を訪れたのですが、そのときも日本人が捨てた鼻紙を物珍しそうに拾ったたそうです。欧米人たちはハンカチは持っていましたが、鼻紙のようなものは持っていなかったので、日本人が鼻をかんで捨てたり、ちょっと汚れたところを拭いて捨てたちり紙などを珍しがって拾って歩いたということです。このころも日本の鼻紙は外国人には珍しかったわけですが、わが国の当時の紙(和紙)は世界でも先行しており、非常に誇れるものだったのです。


トイレットパーパーのはじまり

ちょっとわき道に逸れましたが、それでは次にトイレットペーパーの誕生について触れていきます。その前にまず最初に触れなければならないのは、用便後の始末に紙以外のいろいろな物が使用されているということです。


用便後の紙以外の始末もの、紙は今だ三分の一?

直接手を用いていたとか、川で排便したとか、水、葉っぱ、砂、布切れ、ロープなど様々な物が用いられました。しかも最近もそれらのものは使われていると言うことです。そのことが西岡秀雄著「トイレットペーパーの文化誌」(1987年刊)にまとめられています。次表に示しますが、実は「紙でお尻を拭く」という習慣は世界でもわずか1/3弱で、残りの2/3強の人たちは、紙以外のいろいろな物で排便後の処理をしているのだそうです。20年前の資料ですので、現在ではさらに紙への普及が進んでいると思われますが、「紙」が当たり前と思っていましたのでびっくりものです。

なお、関野 勉氏も2003年1月発行の紙の博物館「百万塔」第116号「大壷紙からトイレットロール迄 (尻始(紙)末記)家庭紙史の一断面」で西岡秀雄著「トイレペーパーの文化誌」のこのくだりを紹介されていますが、その中で尻始末の用具で現在水に次いで多いのは「紙」、即ちトイレットペーパーですが、それでも全世界の60億人の三分の一の人しか使用していないと言われる、と記述されています。このように最近も世界の半分以上の人は紙以外のものを排便後の始末に使用しているようです。

世界中の人たちがお尻を拭くもの

(西岡秀雄著「トイレペーパーの文化誌」(1987年刊))

お尻を拭くもの主な製品国名補足
ヨーロッパ、アメリカ、アジア、オーストラリアなど各国 色、質は様々。
指と水 インド、インドネシアなどイスラム教圏やヒンズー教圏 暑くて川の近いところは、川が自然の水洗トイレ。お尻の始末は、川の水。
指と砂 砂漠帯の砂 サウジアラビア他砂漠 砂漠の砂は細かくて痛くない。指もお尻もすぐに乾燥して、砂は自然に落ちてしまうとのこと。
小石 平らな石 エジプト エジプトなどラクダを引いて歩いている人たち。拾ってポケットに入れて冷やしておいた小石で拭き取る。
土板 パキスタン
葉っぱ 大きな葉っぱ、フキ ソビエトの一部、日本他 乾燥させてしんなりさせたり、塩水につけて柔らかくしたものを使う。
ロープ・ナワ 中国(黄土帯)、アフリカ諸国(サバンナ帯) 2本の杭にロープを張りお尻をこすって拭いたりする。
茎やわら 日本、韓国
海綿 中海諸国
トウモロコシ トウモロコシの先の毛・芯 米国コーンベルト
木片・竹べら 日本、中国 中国、日本でも戦後まで使用されていた域があったようだ。
樹皮 ネパール他
布切れ ブータン
海草 日本

なお、このように紙以外のものを使用している国でも都会のホテルや、余裕のある家庭では紙を使用しているとのことです。


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更新日時:(吉田印刷所)

公開日時:(吉田印刷所)