今回は、まず新聞関係の技術面および品質面の変遷から説明します。
進化する新聞用紙、新聞印刷と新聞
日本における近代的な新聞は130年以上の歴史があります。当初の用紙は西洋からの輸入紙(洋紙・西洋紙)でした。明治の文明開化による欧化主義や近代化にともない抄紙機を欧米から輸入し、わが国で紙(洋紙)が製造されるようになりますが、わが国最初の洋紙生産は1874(明治7)年6月に東京で開業した有恒社でした。これが日本における機械抄紙の始まりですが、新聞用紙のわが国初めての生産開始は1875(明治8)年12月と言われています。抄いたのは現王子製紙の前身である「抄紙会社」(東京府豊島郡王子村、現東京都北区王子)でした。表1に当時の抄紙機、抄紙速度、日産能力や製紙原料の種類などを整理して掲げておきますが、現状から見れば非常に小さい規模で、製紙原料もぼろ布でした。
有恒社(東京日本橋蠣殻町) | 抄紙会社(東京府豊島郡王子村=現、東京都北区王子、王子製紙の前身) | |
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開業年月 | 明治7(1874)年6月 | 明治8(1875)年12月 |
型式 | 長網抄紙機(英国製) | 長網抄紙機(英国製) |
抄紙速度 | 20m/分 | 30m/分(設計最高抄速) |
抄紙幅 | 60インチ(1,500mm) | 78インチ(1,980mm) |
日産能力 | 約1.5t | (約3t)…[注]左記の能力から比例算出 |
製紙原料 | ぼろ布(非木材) | ぼろ布(非木材) |
そして時が経った今日、第二次世界大戦後の復興期と現状レベルを対比して、表2にわが国の新聞用紙、新聞印刷および新聞の変遷を簡単に示します。
項目 |
戦後復興期 (1945~1955年) | 現状レベル | ||
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新聞用紙 | 坪量 | 52g/m2のみ | 43g/m2主体(40g/m2の軽量化も、52g/m2は全体の約2%へ) | |
白色度 | 44~46% | 一般紙55%ぐらい[60~70%の高白新聞用紙も登場] | ||
原料パルプ | GPと未漂白SP(国産針葉樹) | DIP(古紙)主体…70%以上、他にTMP。GP減少、SPなし | ||
古紙配合 | 洋紙全体で2~3%ぐらい* | 平均約70%(紙全体は約38%) | ||
抄紙PH | 酸性抄紙 | 中性抄紙化も普及 | ||
抄紙機 | 型式 | 長網多筒(単層) | ツインワイヤー多筒(2層) | |
抄速 | 300m/分程度 | 最大1,800m/分 | ||
抄幅 | 約3.3m(A巻2本取り) | 最大8.130m(A巻5本取り)[網幅9.1m] | ||
生産量 | 約13万t/年(1950年) | 約370万t/年(2006年) | ||
新聞印刷および新聞 | 印刷機 | 凸版輪転印刷機 | オフセット輪転印刷機(タワープレス型多色印刷機の採用) | |
印刷方式 | 凸版印刷 | オフセット印刷 | ||
印刷速度 | 実質6~7万部/時程度(公称8万部/時(4頁建)) | 17万部/時(4頁建)(18,20万部/時も登場) | ||
印刷色数 | 単色(黒一色) | 4色(多色カラー化の進展) | ||
最大ページ数 | 4ページ | 三大全国紙40ページ(日経48ページ) |
(注)*当時の新聞用紙への古紙配合率不詳。
現状レベルの新聞用紙や新聞印刷および新聞の生産規模・能力・技術などの水準を明治初期当時と戦後復興期(1945~1955年)とを比較すれば、現在は非常に大きくなっており雲泥の差があります。例えば、第二次世界大戦が終わったのは1945年ですが、戦後まもなくの新聞印刷は凸版方式の黒一色で4ページ建、印刷速度は実質6~7万部/時程度(公称8万部/時)、用紙の坪量は52g/m2でした。それが今日は、印刷方式はオフセット印刷に変わり、紙面のカラー化、印刷速度は最高17万部/時、さらに18万部/時の印刷機も登場しています。用紙の坪量も減少(軽量化)し、今では43g/m2主体となり、もっと軽い超々軽量紙と言われる40g/m2も全国紙で使用されています。また、新聞の最大ページ数も48ページを筆頭に、全国紙は40ページ、地方紙で28ページと増ページになっています。その新聞用紙を抄く抄紙機や生産量なども同様に、規模・能力などは非常に大きくなっており、進化・発展が顕著です。
このように新聞用紙と新聞印刷はそのときどきで変化し、進化してきており、それとともに新聞も進化しています。それでは以下に、新聞用紙の使用原料の変遷や新聞の多ページ化と軽量化、オフセット印刷化と印刷輪転機の高速化、紙面のカラー化などについて具体的にまとめていきます。