そして戦後、今は古紙の利用拡大
そして太平洋戦争。北海道から木材(針葉樹)が豊富な樺太や朝鮮、満州(中国東北区)に移っていた紙・パルプの主力工場をはじめ、すべての資産を敗戦により失いました。針葉樹と広葉樹に分類される材種のなかで、戦前は機械的処理や化学的処理が比較的容易でパルプ化しやすい軟質で摩砕しやすく、白くて良質な針葉樹(ソフトウッド、記号N、ドイツ語のNadelholz)だけしか用いられませんでした。硬質で樹脂分の多い広葉樹(ハードウッド、記号L、ドイツ語のLaubholz)は、砕木法やSP法によるパルプ化法では処理が困難で製紙用原料としては使用されなかったのです。
終戦後、針葉樹の供給源と工場を失ったわが国は紙・パルプ生産の低迷がしばらく続きましたが、戦後の立ち直りとともに経済が復興し、紙の生産高も軌道に乗り、量的に拡大するににつれ原木の入手が難しくなり、原木不足問題が生じてきました。
すなわち1950(昭和25)年6月に勃発した朝鮮戦争を契機とする特需景気によって、経済が復興するとともに新聞用紙の需要も増加しました。製紙・パルプ工場もフル操業し始め、製紙メーカー各社はいっせいに設備の増強に動き、紙・板紙の生産高も増え53年には176万1千tに達し、戦前水準を回復しますが、反面、原木不足が発生してきたわけです。これに対処し解消するために、さまざまな対策がとられますが、その対応とともに新聞用紙に使用されるパルプの製造法と種類は多様化していきます。
最初の技術開発は、国内にある未利用資源の活用でした。まず樹脂分が多く使用できなかった赤松の利用(GP)で行われ、次いでの未利用であった広葉樹の利用技術の開発でした。国産の広葉樹を用いたセミケミカルパルプ(SCP…半化学パルプに分類)が開発され、針葉樹が主体である機械パルプとともに使用されるようになり、1960年代の需要増に対応することができました。1970年代には原料の半分近くが広葉樹となりましたが、不透明度や強度の面で劣るこのパルプは1976(昭和51)年から49g/m2への第1次軽量化に伴ない、使用量が減ってきました。なお、1965(昭和40)年ころからSPの廃水公害が問題となり、KP(クラフトパルプ、硫酸塩パルプ)への転換が検討されだします。そしてSPは漸減していきます。
同じころ広葉樹の使用限界により、さらなる需要増を満たすために海外から専用船で木材チップを輸入するシステムが開発され、チップから製造法が出来上がっていきます。それが高歩留りパルプといわれるリファイナーグランドパルプ(リファイナー砕木パルプ、RGP)で、リファイナーでチップを常温下で摩砕して製造されるようになりました。
さらに1975年ごろからはRGPより強度の優れる加熱下で摩砕するサーモメカニカルパルプ(TMP)が開発されて、1980(昭和55)年から始まる第2次軽量化の際には新聞古紙を脱墨(だつぼく)した古紙パルプ(脱墨古紙パルプ、DIP=DeInked Pulp)とともに配合されるようになりました。まだこのころはGPがメインでしたが、GPは減少傾向を強めることになり、RGPも減り、半化学機械パルプ(ケミグランドウッドパルプ、CGP)は使用されなくなりました。
1990年代に入ると省資源、省エネルギー、地球環境保全の観点から古紙利用の機運が高まりした。90年代前半までは、新聞用紙や書籍用の本文用紙に使用していたエネルギー使用量の大きい機械パルプを古紙パルプへ転換すること、および新聞への古紙利用比率の向上などで省エネなどを図ることができました。さらに新聞用紙の古紙の利用率が高まったのは、古紙のインクを取り除く装置「脱墨パルプ(DIP)設備」の能力増強が製紙メーカー各社で活発化した1998年以降のことです。古紙パルプの製造技術の開発・改善が進み、古紙への転換のためにDIP設備の増設が図られ、積極的に配合されていくこととなります。
1992年は49%であった新聞用紙の古紙利用率は2001年の54%、02年は62%と大きく伸び、03年には69%とさらに伸び続け、04年は70%を超えました。その後は微増ないし横ばいで、平均で約70%というレベルで推移しています。ただ、製紙メーカーによって異なり、王子製紙(国内紙)は60%、日本製紙(国内紙)が75%、大王製紙(いわき工場)で100%のものもあると伝えられています。
古紙利用率の大幅増加の結果、古紙パルプ(DIP)は新聞用紙の最大の原料となり、現在はDIP配合主体でTMPとの2本立てとなり、かつて主原料であったGPは今では僅少。それ以外のKPもわずかで、RGPは極少となっています。こうした新聞用紙で大きく上昇した古紙利用は、GPのみならず化学パルプをも古紙パルプへ転換することによって総エネルギーの削減や、製紙業界が掲げている循環型経済社会の構築等(古紙の回収・利用促進など)に大きく寄与しています。
表3に明治初期から併せて、新聞用紙の製紙パルプの変遷をまとめておきます(内藤勉著「新聞用紙技術戦後60年の歩み」などから作成)。
年代 | パルプの種類 | 備考 |
---|---|---|
明治8(1875)年~ | ぼろパルプ | 当初はぼろパルプ |
明治15(1882)年~ | ぼろパルプと藁(わら)パルプ | ぼろと藁パルプ |
明治20(1887)年~ | 藁(わら)パルプ主体 | 藁パルプ主体 |
明治22(1889)年~ |
GP(グランドパルプ、砕木パルプ)、SP(亜硫酸パルプ、サルファイトパルプ) |
GP主体で未漂白SP混合(例えばGP80%、SP20%) |
昭和30~35年(1955~1960年) | GP、SP、KP(クラフトパルプ、硫酸塩パルプ)、SCP(セミケミカルパルプ) | GP主体のSP系、SCP・KPも |
昭和35(1960)年~ | GP、SP、CGP(ケミグランドパルプ)、KP、SCP | GP主体のSP系、CGP・KP台頭 |
昭和40(1965)年~ | GP、SP、CGP、SCP、KP、RGP(リファイナーグランドパルプ) | GP主体、CGP増、SP減(公害問題)、KP増、SCP・RGP登場 |
昭和48(1973)年~ | GP、RGP、SP、KP、CGP、SCP | GP主体、RGP・KP増、SP減 |
昭和54(1979)年~ | GP、TMP(サーモメカニカルパルプ)、KP、DIP(古紙脱墨パルプ)、RGP、SP、SCP、CGP | GP主体ながらも減少、DIP・TMP登場、SP・RGP・SCP・CGP減少、KP増加 |
昭和61 (1986)年~ | DIP、GP、TMP、KP、RGP、SP、CGP、(SCP) | DIP・TMP増加、他は減少 |
平成11(1999)年~ | DIP、TMP、GP、KP、RGP、(SP、CGP) | 同上傾向(DIP・TMP増) |
平成17(2005)年~ | DIP、TMP、GP、KP、RGP | DIP70%以上、TMP・GP・KP減少、RGP極少 |
これまで過去を振り返ってきましたが、紙の需要増や公害・環境保護・品質・コスト低減などの対応で新聞用製紙原料は、次々と新しいパルプ化法を開発することで多様化してきました。原料材種も大きく変わり、ぼろ布からわらへ、そして木材に、さらに古紙へと転換してきました。淘汰と進化の歴史とも言えます。
現在もそうですが、地球環境保護の高まりから森林資源保護の動きがあり、その安定供給には不安があります。さらに中国を中心にした経済発展と生産・消費増大もあり、世界的には紙需要が拡大し、今後はますます木材チップの需給が逼迫する懸念があります。そのため古紙の重要性は今まで以上に高まるものと考えられます。古紙の高配合化と適用品種への拡大は必須であり、さらなる植林等による人工造林育成、廃材の活用拡大、早期生長樹木の研究開発と普及、古紙回収などの対応策が地球規模で行われることが重要となってきています。
新聞の増ページと新聞用紙の軽量化
第二次世界大戦の戦時下において戦争への物資総動員の一環として、新聞用紙の配給・統制が開始されました。戦争の泥沼化とともに物資不足が深刻化し、新聞の大きさもタブロイド版の小型新聞になり、朝夕刊で16ページあった新聞のページ数は減少し、敗戦の時点では、わずか2ページのペラ新聞となりました。ちなみに終戦となった1945(昭和20)年の新聞用紙の生産量は7万4千tで、戦前の最高水準のわずか4分の1ほどでした。1950年代以降の経済復興とともに用紙統制が撤廃されたため、版型も現在のブランケット版に戻り、朝夕刊ワンセット制や専売制が復活し、主要各社ははげしい増ページ、部数拡大競争を繰り広げることとなります。
それまで2ないし4ページ建だった新聞は、1952(昭和27)年には朝夕刊あわせて12ページ建のものが登場。翌年には落ち込んでいた新聞用紙の生産量も戦前の水準まで回復しました。さらに1961(昭和36)年に朝夕刊セットで16ページ建に、1970年には大手新聞社が24ページ建に移行。現在は朝刊で40ページになっていますが、この新聞の増ページ化とともに進んだのが、新聞用紙の軽量化です。
新聞用紙の標準坪量(1m2当たりの紙のグラム数)は1975(昭和50)年までは52g/m2でしたが、1973(昭和48)年の第一次オイルショックに端を発した省資源・省エネルギーと新聞制作コスト削減、配達の利便性などのために軽量化が行われ、1976(昭和51)年から49g/m2への第1次軽量化の動きが活発化し、さらに78年の第二次オイルショック後の輸入針葉樹チップの高騰から、80(昭和55)年ごろから第2次軽量化として49g/m2から軽量紙46g/m2へ、続いて89(平成元)年からは第3次軽量化として超軽量紙43g/m2へと進んできました。また2000年10月に日本経済新聞社が試験的に、坪量40g/m2の新聞用紙(超々軽量紙)を採用し、徐々に拡大してきています。
その結果、2006年の新聞用紙は超軽量紙(SL紙、43g/m2)の比率が85.4%、超々軽量紙(XL紙、40g/m2)は6.6%、軽量紙(L紙、46g/m2)5.0%、重量紙(H紙、52g/m2)2.1%、普通紙(S紙、49g/m2)0.9%となっており、超軽量紙が主流で、全体のおよそ97%が軽量紙(46g/m2)以下の薄物化が進み軽量紙時代が定着しています。新聞のページ数が増えても、それほど重くなったと感じないのは、この用紙の軽量化によるものです。
なお、軽量化が先行している日本経済新聞社は、今年(2007年)9月1日に「全国で48ページの新聞を印刷できる体制へ」という見出しで今後の増ページ計画について発表しました。次のとおりです。
「2007年9月、全国で48ページの新聞を印刷できる体制を整えます。さらに2008年春には大都市圏を中心にカラー面も最大24ページに拡大します。経済・社会構造の変革に対応した紙面で、充実した情報を多彩な表現によって読者の手元に届けます。
2001年にスタートした首都圏・近畿圏11工場での輪転機6台連結による新聞の48ページ一連印刷は、2007年に新潟、金沢、弘前、札幌が加わって全国すべての地域に広がります。あわせて首都圏から近畿圏に至る地域では12ページだったカラー紙面を2008年春までに最大24ページに拡大する設備拡充を進めています。2007年には朝刊を週3回以上44ページで発行し、順次44・48ページ印刷の新聞を増やしていきます。読者の多様なニーズにこたえる“21世紀型の新聞"が着々と完成へ向かいます。また、環境に配慮した新聞製作にも積極的に取り組んでいます。古紙配合率が高く世界でも最も軽い40g/m2の新聞用紙、環境にやさしいエコインキの使用や印刷版に紙面を直接描画できるダイレクト製版機(CTP)の採用、印刷工場の環境ISO認証取得など、常に最先端の技術開発に取り組むとともに、実際の新聞印刷に生かしています」。このようにさらなる超々軽量紙(40g/m2)による増ページ拡大への日本経済新聞社の強い意気込みが伝わってきます。
現在の新聞用紙は43g/m2の超軽量紙が主流でスタンダードになっており、朝日や読売、毎日、産経の全国紙はこの超軽量紙を使っております。これらの最大ページは40ページですが、今後、日経のように超々軽量紙(40g/m2)への軽量化の動きとなるのか、そしてさらなる増ページ(40→44→48頁)となるのか、注目されるところです。