段ボール事業の開始から現在まで
1909(明治42)年に試作され、段ボールと命名されたこの国産品は、今で言う「片面段ボール」ですが、電球、化粧品や薬の瓶など「易損品(いそんひん)」の保護用緩衝材として使われ始めましたが、当初は赤字続きで、経営も順調ではありませんでした。赤字続きに業を煮やした出資者は次々と去っていってしまいますが、この年の暮、井上貞治郎は「独立自営」を決意して、事業所を京橋に移し、名称を「三盛舎」から「三成社」に改め、再起を図ります。ちょうどそのころ、苦心して組立てた機械とその製法を実用新案特許として出願していたが、翌年の1910(明治43)年に認可されたので、製品の名も「特許段ボール」として市場に出すことになり、見本帳を作って注文取りに走り回ります。
その後、小型だった製造機械は徐々に大型化し、より速く、より良質な製品を量産できるようになっていきます。注文が徐々に増え、生産が間に合わなくなってくると、井上貞治郎は思い切って3千円もするドイツ製の動力(モーター)付きの巻取り段ボール機を輸入・購入して、大量注文に対応、生産能力を上げます。品質も向上し安定していたので、大手ユーザーの評価が高かったということで、例えば用途の代表例が、東京電気(現東芝)のマツダランプ、平尾賛平商店の瓶入り化粧品(レート印)や、やがて輸出用陶磁器(ノリタケ)にも使われるようになりました。
しかし、この時はまだ段ボールのシートのみで、段ボール箱を初めて作るのは、「段ボール」を作り始めて5年後の1914(大正3)年のことです。香水瓶半ダースを入れる箱の注文を受けた時のことで、この時は手作りでしたが、その後ドイツ製の製箱機一式を輸入し、「段ボール箱」の量産態勢を整えます。翌年には大阪に子会社を2社を設け、名古屋には分工場を置き、東京の本社・工場は本所区の太平町(現JR錦糸町駅前)へ移し、東京電気の川崎工場の近くに三成社の川崎工場を建て、この「段ボール事業」は業績も順調に伸びていきました。
さらに1920(大正9)年5月には「三成社」と共同で事業を行っていた「栄立社」、「東紙器製作所」など5社が集まり、株式会社組織の「聯合紙器」(れんごうしき)とし、聯合紙器株式会社が設立される運びとなりました。なお、この「聯合」とは、諸説があるようですが、段ボールが表の紙(ライナという)と中の波状の中芯(中しん)と裏の紙(ライナ)を重ね、貼り合わせて作られており、すなわち「紙を聯(つら)ね合わせてできている段ボールから包装容器をつくる会社」の意を持つ「聯合紙器」になったということです。
そして1959(昭和34)年に創業50周年を迎えますが、これを機に井上貞治郎社長が自叙伝「生涯の一本杉」を発刊したところ、日本経済新聞が同紙の「私の履歴書」欄に執筆を依頼。青少年時代の波瀾万丈の人生は読者を魅了し、さらに朝日放送が半年間(毎週28回)の連続テレビドラマ「流転」を放映し、高い視聴率を上げることになります。また三浦洸一によるその主題歌は日本全国に愛唱され映画化、劇場化等相次ぐことになります。翌年、石浜恒夫が小説「流転」を発刊し、大阪・道頓堀の中座で芝居となり、松竹映画「流転」も人気を集めました。さらに毎日放送が森繁久彌主演でテレビドラマ化(3部作)されるなど、空前のヒットを放ち、「流転ブーム」をまき起こしました。こうした中、1963(昭和38)年に「日本の段ボールの父」井上貞治郎は大きな業績を残して、82歳の生涯を閉じることになります。
聯合紙器は、その後も段ボール以外の様々な加工紙や包装機械の製造などにも事業を拡大していきますが、総合的包装企業に成長したことや、「聯合」が読みづらいことなどから、「レンゴー」と親しみやすいカタカナ(片仮名)にして1972(昭和47)年1月に、社名を現在のレンゴー株式会社に変更しました。
さらに会社は発展します。1990年には海外にも進出し、現在マレーシアや中国など6カ国、25カ所に工場があります。また、1999年4月にはセッツ株式会社と合併しますが、同社は1947年攝津板紙として創立された大手板紙メーカーであり、1986年セッツに改称していたものです。新しくなったレンゴー株式会社は合併時点で生産シェア14.6%(1999年暦年、日本製紙連合会資料)の板紙トップメーカーとなりました。その後もトップの座を維持してきましたが、2002年10月に王子製紙の板紙製造部門と高崎三興製紙、中央板紙、北陽製紙の3社が合併し、板紙の生産・販売が王子板紙株式会社(2001年5月設立)に一元化されると、それ以降は王子板紙が首位となっています。しかし、段ボールの歴史はレンゴー株式会社の歴史でもあります。創業者である井上貞治郎が日本で初めて段ボールを製造されたのが1909年、レンゴー株式会社はまもなく誕生100年を迎える段ボール産業の創始企業であり、わが国の段ボール業界のみならず板紙の総合企業として板紙業界の中心勢力としてこれからも強い影響力を及ぼしていかれることでしょう。