コラム(73-4) 紙・板紙「書く・包む・拭く」(8)戦後、大きく伸びた段ボールの生産

戦後、大きく伸びた段ボールの生産

それでは、ここで第二次世界大戦後(1945年)における段ボールの動向を見ていきますが、その前に全体的な紙・板紙の動きを知るために、まず国民一人当たりの紙・板紙の年間消費量(以下、紙・板紙の年間消費量)と紙・板紙の生産量推移を掲げます。それと併せて段ボール原紙の生産量推移を表1に示します。比較のために新聞巻取紙(新聞用紙)と塗工紙(微塗工紙含む)[以下、塗工紙という]のデータも載せました(資料:日本製紙連合会「紙・板紙統計年報」)。[注]明治時代に初めて段ボールが作られたときの原紙はボール紙(黄ボール)が用いられましたが、今は段ボール原紙という専用紙です。なお、戦前の板紙の分類では段ボール原紙でなく、抄合(すきあわせ)包装紙という品種でした。

表1.国民一人当たりの紙・板紙の年間消費量と段ボール原紙などの生産量推移

(単位:紙・板紙の年間消費量…kg/人、その他生産量…千t、

下段の( )値は紙・板紙全体に対する構成比)


1945年

(昭和20)

1950年

(昭和25)

1955年

(昭和30)

1960年

(昭和35)

1965年

(昭和40)

2006年
紙・板紙の年間消費量 3.6
10.2
23.8
46.5
73.6
246.8
紙・板紙 272
871
2,204
4,513
7,299
31,106
板紙

39

(14.2%)

184

(21.2%)

590

(26.8%)

1,645

(36.5%)

3,079

(42.2%)

12,044

(38.7%)

段ボール原紙

6

(2.2%)

21

(2.4%)

181

(8.2%)

827

(15.3%)

1,795

(24.6%)

9,324

(30.0%)

新聞巻取紙 74
132
460
732
1,184
3,770
塗工紙(微塗工紙含む) (不明) 13
34
119
232
6,842

 

以下説明します。わが国は1945(昭和20)年に終戦を迎えますが、その年の紙・板紙の年間消費量は3.6kgでした。翌年は戦後最低の2.8kgとなりますが、その後漸次、増加し、1953(昭和28)年には、生産量、消費量とも戦前のピークであった1940(昭和15)年の数量を超え、経済の復興を成し遂げていきます。このときの紙・板紙の年間消費量は20.2kgですが、その後もさらに経済の成長・発展とともに、ゆとりもでき世界へ羽ばたいていきます。ちなみに1940(昭和15)年の紙・板紙の生産量は1,545千t、紙・板紙の年間消費量は19.2kgで、戦前の最高ですが、太平洋戦争突入とともに漸減していきます。なお、終戦前の1944(昭和19)年の紙・板紙の生産量は626千t、紙・板紙の年間消費量は8.3kgとピーク時の4割ぐらいに減ってしまいます。

このような状況の中で終戦となった1945(昭和20)年の段ボール原紙の生産量は、およそ6千tで紙・板紙全体の2.2%と、現状(06年)の生産量9,324千t、30.0%の全体比率から比べると、ごく僅かなものでした。ただ、紙・板紙全体のなかで戦後直後の板紙の比重は低く、全体の15%足らずで、洋紙の新聞巻取紙と印刷用紙が主流であり、それだけで半分(50.1%)を占めていました。その後、紙・板紙の生産量は次第に増加していきますが、板紙のウエイトが高まっていきます。その大きなきっかけになったのは「朝鮮戦争」でした。1950(昭和25)年は、その6月に朝鮮動乱が勃発し「朝鮮特需」と言われるように、わが国では工業生産が急速に伸びて好景気となり、戦後の経済的復興に弾みがついた年で、板紙の生産量は紙以上に増加しました。段ボール原紙は紙・板紙全体の2.4%とまだまだ低いものの、量的には大きく伸び、その後も急速に伸びていくことになります。それとともに紙・板紙全体のなかでの位置付けも次第に高まっていきます。

それではそれを数値的に見ていきます。戦後の混乱が落ち着いてきた1950年を基準にした2006年の生産量の伸びは、紙・板紙全体が約36倍、また紙は28倍、ちなみに新聞巻取紙は29倍であるのに対して、塗工紙の伸びは1950年のおよそ520倍余という驚異的な成長をしております。これは本コラム(65) 「書く・拭く・包む」シリーズ(1)塗工紙(微塗工紙含む)で紹介したものですが、これを段ボール原紙に適用し、塗工紙・新聞巻取紙と対比して1950年を基準年とした段ボール原紙の生産量の伸び推移を表2に示します。

表2.段ボール原紙の生産量の伸び推移(基点:1950年)
 1950年55年60年70年80年90年2000年05年06年
段ボール原紙
(基準年) 9倍 39倍 179倍 241倍 394倍 460倍 443倍 444倍
塗工紙(微塗工紙含む) (基準年) 3倍 9倍 63倍 117倍 247倍 406倍 518倍 526倍
新聞巻取紙 (基準年) 3倍 6倍 15倍 20倍 26倍 26倍 28倍 29倍

 

新聞巻取紙も比較に載せていますが、新聞は早くから定着しており、終戦時(昭和20(1945)年)でも新聞巻取紙は紙・板紙のなかですでに大きなウエイト(構成比27.2%)を占めています。そのこともあり、表2のように1950年を基準にした現在までの新聞巻取紙の伸びは30倍くらいで、紙全体なみになっています。これに対して、歴史の新しい塗工紙は戦後順調に伸び、紙の中でも桁違いの06年で526倍という大きな伸びています。また、段ボール原紙も大きく伸び、2000年までは塗工紙に優る大きな成長をしています。ただ、両者ともにそれまでのピークであった2000年以降は動向が少し違いがあります。塗工紙は回復して、現在(06年)は2000年の生産量のピークを超えていますが、段ボール原紙は少しずつ回復しているものの、現在も2000年のピークに達していません。しかし段ボール原紙は今でも紙・板紙のなかでなくてはならない重要で、かつ主要な位置付けを占める品種といえます。

それにしても段ボール原紙は1955年9倍、60年が39倍、70年は179倍、80年241倍、90年394倍、そして2000年は460倍と驚くように大きな急成長していますが、これをもう少し事例を紹介しながら触れていきます。

 

段ボール拡大のきっかけは

わが国における段ボールの歴史は1世紀近くに及び、今ではなくてはならない包装資材になっていますが、広く普及しだしたのは戦後の今から50年足らずに過ぎません。すなわち日本の段ボール産業は、朝鮮戦争時に米軍によって調達物資として指定されたことによって需要が拡大し始め、高度成長期に入って木箱から段ボール箱への移行が急速に進んだことで、包装資材として重要な位置を占めるようになりました。もう少し説明します。

第二次世界大戦前は片面段ボールでの用途が最も多く、両段を使う段ボール箱は少ないものでした。段ボール箱がわが国で急速に普及したきっかけは、ひとつは朝鮮戦争であり、もうひとつは政府による木材資源保護対策であり、さらに段ボール原紙を供給する製紙会社による大幅な品質改善と量産化でした。これがその当時、全盛期であった木箱から段ボール箱への移行を促がす契機となり、木箱に替わって段ボール箱か全国に拡大していきました。

 

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更新日時:(吉田印刷所)

公開日時:(吉田印刷所)