今回はその2として紙器(しき)用板紙の生い立ちなどについて説明していきます。前回紙器用板紙について説明しました[コラム(74) 紙器用板紙について(その1)]。すなわち紙器用板紙は、分かりやすくいえば箱状の容器に使われる板紙のことで、品種分類上、原料構成、品質、用途などにより白板紙(しろいたがみ)、黄板紙(黄ボール)、チップボールおよび色板紙(色ボール)の4種類に分類され、さらに白板紙はマニラボールに、白ボールなどに区分されています。
紙器の名付け親は、
紙器とは、紙で作った容器の総称で、はっきりした定義はありませんが、紙袋や段ボール箱は含みません。紙器の原紙は板紙ですが、段ボール用板紙は使用せず、白板紙を使用します。。紙器は物品の保管や輸送にあたって物品が損失したり、傷つかないように収納保護する目的で使用されますが、さらに買手に内容物に対する購買意欲を増させるように、印刷したり外観を工夫します[世界大百科事典(第2版 CD-ROM版)]。なお、対応英語は「boxboard」(JIS P 0001)です。
さて本題に入りますが、紙器の歴史はホームページ紙器の歴史 東京紙器株式会社に詳しくまとめられており、そのなかで紙器というネーミング付けは次のとおりとされています[紙器とはなに? 東京紙器株式会社]。
「紙器」の名付け親は、明治末年に日本紙器製造所(日本紙業の前身)を起こした田島志一である。
田島は創業2年前の、明治43年にロンドンで行われた日英博覧会を視察ののち、ベルリンを経てアメリカに立ち寄り、欧米の紙器業界の発展ぶりをみて、その将来性に着目し、わが国への導入を思い立った。
当時の英国では紙器を「ペーパーウェア」(paper ware)と呼んでいた。田島はこれを直訳して紙器とし、これを社名につけた。
当時の日本では、「紙箱」や「紙函」が一般的な呼称で、すでに明治28年に本所・浅草・深川の紙加工業者で結成されていた組合は、「東京紙函製造同業組合」という名称であった。
そこへ田島が欧米の最新技術を導入して大々的に工場を起こし、急速な発展をとげたことも手伝って、「かみばこ」という語呂の悪い呼称は、「しき」という半分の子音ですむネーミングに押され、紙器はたちまち人口に膾炙し、固有名詞から普通名詞化していった。
そこで業者の組合もつぎつぎに紙器同業組合と呼称を替え、大正五年に凸版印刷の井上源之丞と四谷の紙器会社尚山堂の浅野鐵二らが提携して小石川区江戸川町に「東京紙器株式会社」を創立したときも、紙器の名を使用した。
一般人にとっては、紙器よりも紙箱のほうがわかりやすいであろうが、紙器は紙箱より広く板紙加工製品を総称した名称で、実態をよりよく表現している。事実、田島が始めた日本紙器製造所も、紙箱のほかに、紙皿・紙盆・紙コップ・煙草函・装身具や貴金属品の容器・商品宣伝用スタンド看板など、欧米で見てきた紙器製品の製造に心がけた。
現在紙器の英語名には、paper wareのほか、パーパー・コンテナー(paper container=ダンボール製大箱をさす)や、ドイツ語のカルトン(Karton)からきたカートン(Carton)がある。
いまはカートンが一般的で、万国語化し、日本でも英訳名として最も多く使われている。ちなみに最もポピュラーな紙器製品である折りたたみ箱はフォールディング・カートン「forlding carton」である。最近、瓶入り牛乳をしだいに駆逐しつつある紙箱入り牛乳はミルク・カートンである[紙器の歴史 東京紙器株式会社 紙器というネーミング付け紙器とはなに? 東京紙器株式会社(「紙器の歴史」(東京抜型工業会25年記念誌からの抜粋)]。
(さらに参考として)しかし、洋風紙箱の登場はもっと古く、明治はじめにさかのぼる。紙器もやはり文明開化の波にのって外国からやってきたのである。明治2年ごろ、芝の琴平町(現虎ノ門)に河原某が「紙函の元祖」という看板をかかげて商売をしていたといわれたが、うわさだけで、事実は明らかにされていない。
明治4年、横浜のイギリス商館一番館が、ねずみ色ボール紙2トンを輸入し、横浜中区本町の洋紙商稲本某に売りこんだ。稲本はこのボール紙で紙箱製造を始めたといわれる。これは記述がやや具体的で、信頼できそうだ。ちなみにわが国にボール紙が初めて輸入されたのは明治4年である(「神奈川県紙函工業組合沿革史」に拠る)[紙器の歴史 東京紙器株式会社 紙器とはなに? 東京紙器株式会社(東京抜型工業会25年記念誌からの抜粋)]、と記載されています。
最近の紙器用板紙の生産量推移
ところでコラム(74) 紙器用板紙について(その1)でも紙器用板紙の生産量推移を掲げましたが、ここで最近(2008年)の生産量を挙げ、併せてわが国の紙器用板紙の生産量推移を表に示し、改めて紙器用板紙およびその品種の位置づけ確認しておきます[日本製紙連合会「紙・板紙統計年報」、日本製紙連合会 統計資料]。
2000年 | 05年 | 06年 | 07年 | 08年 | 前年比 | |
---|---|---|---|---|---|---|
紙器用板紙 |
2,097 (16.4%) |
1,891 (15.7%) |
1,868 (15.5%) |
1,802 (15.5%) |
1,819 (15.4%) |
101.0% |
白板紙 |
1,851 (88.3%) |
1,682 (88.9%) |
1,663 (89.0%) |
1,606 (89.0%) |
1,635 (89.9%) |
101.8% |
黄板紙・チップボール・色板紙 |
246 (11.7%) |
209 (11.1%) |
205 (11.0%) |
196 (11.0%) |
184 (10.1%) |
94.0% |
段ボール原紙 |
9,676 (75.6%) |
9,311 (77.3%) |
9,322 (77..4%) |
9,423 (78.0%) |
9,219 (78.1%) |
97.8% |
板紙計 |
12,791 (40.2%) |
12,051 (39.1%) |
12,044 (38.7%) |
12,074 (38.7%) |
11,800 (38.5%) |
97.7% |
紙・板紙合計 | 31,828 | 30,952 | 31,106 | 31,265 | 30,625 | 98.0% |
08年の板紙生産量は減少しており、紙・板紙の中に占めるその比率は40%を下回り引き続き、年々少しずつ減少しています(08年実績38.5%)。板紙の中で大きなウエイトを占めており、僅かながら伸びていた段ボール原紙の生産量も08年は前年比97.8%と減少。しかし板紙あたりの構成比は78.1%であり、板紙の顔として引き続き大きなウエイトを占めています。
これに対し減少傾向のあった紙器用板紙の08年の生産量は前年比101.0%と少しプラスになりました。これは07年の価格修正で薄物化、省包装、軟包装へのシフトが加速し、板紙(段ボール原紙など)の生産量が減少したのの、紙器用板紙のうち白板紙が101.8%と伸びたためです。しかし継続的な黄板紙・チップボール・色板紙の減少傾向があり、紙器用板紙全体の構成比(15.4%)は引き続き漸減しております。
このように浮き沈みはありますが紙器として使用される紙器用板紙の生産量、需要は減少していくものと考えられます。
(2009年4月1日)
参考・引用文献
- 日本製紙連合会「紙・板紙統計年報」、日本製紙連合会 統計資料
- JISハンドブック「紙・パルプ」紙・板紙及びパルプ用語(日本規格協会発行)
- 世界大百科事典(第2版 CD-ROM版)…日立デジタル平凡社発行
- ホームページ紙器の歴史 東京紙器株式会社 紙器とはなに? 東京紙器株式会社 会社沿革 東京紙器株式会社
- ホームページ段ボール・紙器について