コラム(24) 〈資料〉 「トイレットペーパーから見た環境問題」白さはいいことか?

1997年9月27日講演 ハートピア京都(京都府立総合福祉会館)に於いて

1997年の講演資料ですが今でも参考になると思います

(2004年9月1日再録)

 

あいさつ

ただ今ご紹介に預かりました中嶋隆吉です。きょうはご多忙の中、多数ご参集頂きまして誠にありがとうございます。

本日は「トイレットペーパーから見た環境問題」…白さはいいことか?…をテーマに皆さん方と一緒に、学習をしていきたい思いますが、最近とみに球レベルでの環境保護問題がクローズアップしてきております。

環境問題は国、企業・団体および一人ひとりが関わりを持つ問題ですが、近年の環境問題は、単に一域の一企業や、一産業レベルの公害防止といった問題だけにとどまらず、熱帯林保護や球温暖化、酸性雨、海洋汚染、砂漠化対策といった全世界的な球規模の取り組みが必要になっております。そういう意味で1992年にブラジルで開催された国連環境開発会議(球サミット)において、環境問題は球全人類が取り組まなければならない課題であると認識されました。

次第に汚れていくこの球の将来はどうなるのだろうか、このまま進んでいけば、やがて球上には人間や生物が住めなくなるのではないか、ということからなんとかしなければいけないということで、球環境保全が今、世界全体の動きになってきております。

そして5年後の今年(1997年)12月に、ここ京都において開催される温暖化防止京都会議(気候変動枠組み条約第3回締約国会議、COP3)ですが、2000年以降、炭酸ガス(CO2 )などの温室効果ガスをどれだけ減らすのか具体的な目標が決定される予定になっております。またこの会議には、170を超える国から、約5000人の参加が見込まれ、国内最大クラスの国際会議になります。

この盛り上がりつつある最中に、今回このようなテーマでお話しできるのは大変光栄なことであり、本学習会を企画されました気候フォーラム京都ネットおよび京都消費生活有資格者の会の方々の卓見と、環境をより良くしょうとの努力の賜物であり、あらためて敬意と感謝を表するところです。

さて、紙は「文化のバロメーター」といわれておりますが、その紙を作っている紙パルプ産業は、逆に原料である木を伐採しているとのことで森林破壊産業であるとのイメージが強く、また、再生紙は悪い、汚い、高いとかで、古紙の活用が頭打ちになっております。本会では、これらの誤解を解くために、紙パルプ産業の環境への取り組みを紹介するとともに、トイレットペーパーを例にして、再生紙への理解を深め、古紙の回収とその利用拡大の鍵を握っているのは、われわれ消費者一人ひとりであることを学習して行きます。

 

講演後記

この講演後、京都消費生活有資格者の会の皆さん方が、一層熱心に勉強、努力、活動され大きな成果(例えば1999年11月に、調査研究報告書「再生紙は本当に環境に優しいか」…トイレットペーパーを例に…を発行)を出されたことを含めて、本学習会は思い出深いものとなりました。

 


 

(以下資料にて説明)

  • 紙および紙パルプ産業の位置付け
  • 紙パルプ産業を取り巻く環境問題とその対応
  • 古紙および再生紙など(上記資料省略)

 

再生紙の課題

(1)現代における再生紙は悪なのか。再生トイレットペーパーはなぜ売り悩んでいるのか。

紙が希少で貴重な時代には、再生紙も宝物のように使用された。昔、紙は大変貴重なものであったため、使用済みの紙の裏などを使用したり、再び漉き返して使ったといわれる。もちろん落し紙、今でいうトイレットペーパーにも使用された。

  • 奈良・平安時代から再生紙。紙は希少で貴重な存在。漉き直して使用。
    • [和紙…反故(古)紙~宿紙、薄紙、水雲紙]
    • また、「塵紙」という紙があるが、本来は手漉き和紙の材料である楮や三椏などを、前処理する際に取り除いた外皮などの屑を集めて漉いた紙をいい、鼻紙、落し紙、下張り紙などに使われた。
  • 江戸時代…江戸時代には、各で塵紙が生産されたが、江戸(東京)の浅草紙や京都の西洞院紙などは、古紙を漉き返した最下品で、落し紙や鼻紙に使用。当時は、脱色する脱技術がなかったから黒っぽい再生紙をトイレ用の落し紙や鼻紙として長年使用してきたわけである。
  • 明治時代…日本独特の紙である「和紙」の原料は「楮」「三椏」「雁皮」などであるが、明治の初め(1872年=明治5年)に欧米から伝わってきた洋紙の製造にあたっては、ぼろ布が主原料であった。その後、明治の中頃(22~23年)に木材から洋紙をつくる技術が確立され量産が可能となった。

貴重で、宝物のようであった再生紙が、現代では敬遠されているが、現在の再生紙は、悪くて汚いのか。再生技術・脱技術が向上しており、昔よりは数段色も白く、安全性が高く、パルプものと同じように品質管理をされ作られている再生紙が、なぜ敬遠されているのか。トイレットペーパーを例にして皆さんと一緒に考えて見たい。

新聞や牛乳パックなどの古紙の回収に協力しても、古紙原料とした再生物を買わないで、バージンパルプでできているものを買うという、総論賛成と各論反対の行動矛盾を指摘されているのが、トイレットペーパーである。

なぜ再生トイレットペーパーは、売り場から姿が消えつつあるのか。

再生物トイレットペーパーとパルプ物トイレットペーパーの需要推移を図・表(省略)で示す。

量的には伸びているものの少しずつ再生トイレットペーパーのウェイトが下がっている。なぜか。

それは、

①紙が豊富にあり、希少価値がなくなったこと

②生活レベルが上がり、贅沢になったこと

③技術レベルが上がり、良いものが作れるようになったこと

④古紙を原料としている再生紙は、悪く、汚く不衛生で、高いとの意識・イメージが、消費者サイドにあること

などが考えられる。

この中で、①と②③は、数量や生活レベル、技術レベルを落とすのは大変であるが、④については、今回のような学習会などを通じ、古紙・再生紙への理解を深め、再生トイレットペーパーだけでなく、再生紙全体のアレルギーを軽減することによって、古紙回収および利用が少しでも円滑に進んでいくものと考える。

 

(2)紙の機能と白さ

それでは、古紙および再生紙への理解をさらに深めるために話を進める。

戦後、まもなくはまだ、紙の生産量が少なく(1人当たりの年間消費量:昭和5~19年…8~19kg、昭和20~25 年…3~10kg、漸次増加し平成 8年…245kg )、貴重であったから、例えば、不要となった新聞用紙などは物を包んだり、落し紙などに使われたりした。また、当時は現在のような白いトイレットロールはなく、色の黒いちり紙が使われたものである。

ところが生産量が増え、1人当たりの消費量も増加するにつれ、豊富な紙の生活に慣れ、その中で消費者のニーズに応えて技術・品質対応してきた紙の中から、しかも沢山ある紙の中から、自由に選ぶことができるようになってきた。このことは紙を選択する場合、その機能だけでなく、プラス何かを付加して買う選択肢が増えたことを意味している。

トイレットペーパーについていえば、拭くということがその紙の機能であり、パルプ物か再生物か、色が白いか黒いか、カラーものであろうが、機能的には関係ないのでどうでもよさそうであるが、ものが種々しかも多々あり、メーカーが多数ある場合は(価格格差があるときも)、実際には、そのものの機能だけでは売れない。そのものが持つ機能以外に、品質、価格、安全性、外観、見栄え、サービスなどそれらを総合して消費者の欲求・満足度が満たされて初めて買われる。

同じ機能を持ちながら、再生トイレットペーパーより、パルプものの方が売れているのがその例である。

  • 悪い、黒くて汚いという、使う以前のイメージ・意識からか
  • 実際に悪い、黒くて汚い
  • 価格が高い(もっと安くすれば売れるのか)
  • 逆にパルプものが安いからか(確かに欧米と比較しても価格が安い、安すぎる)

白さへのこだわりがまだ残っているもののひとつに、衛生用紙であるトイレットペーパーがある。また、同じことが、一般紙、特に印刷・情報用紙についても白さへの強い要求があるが、次に紙・パルプの品種別の代表的な白さ(白色度)を示す。

印刷用紙の場合、主として・藍・赤・黄色の4色のインキを使って、印刷されるが、紙の白さも一つの色であると、一般的には白い紙が好まれる。これは、印刷効果、印刷後の出来栄えを引き出すために必要な要素で、それは印刷用紙に与えられた機能の一つである。

再生トイレットペーパーの白さも向上しており、現状は白色度75~80%と高くなっている。使う古紙も牛乳パックや上質系の模造・色上などの良質物が使用されているためである。トイレットペーパーは、新聞用紙などと違い、決して古紙として再生されることはない。まさに使い捨てである。再生されることのないトイレットペーパーであるが、売れない、使ってもらえないとのことで、白さが上がってきた。使い捨てで、拭くという機能から見たら無駄である。

 

(3)真っ白でなくてもいいじゃないか

「白」に対比されるのが、「黒」であるが、「白黒をつける、白黒をはっきりさせる」とか「容疑が灰色のまま釈放される」という言葉に見られるように、白の方がイメージがよい。また「色の白いは七難隠す」、すなわち肌の色が白ければ、少しくらいの欠点は隠れて、美しく見えるという諺があるように、白さが好まれる。白さへのあこがれがあるのも事実である。

確かに、以前は、悪い、汚い、不衛生、安全性に乏しいとの感覚から製品イメージを損なうと考えられ、古紙とか、再生紙とかいう言葉はほとんど表面に出ることはなかった。このようなこともあり再生紙は敬遠された嫌いがある。

しかし、近年は逆で、1989(平成元)年は「球環境元年」といわれるように環境問題がクローズアップし、(球に優しい)再生紙ブームが到来し、今また、温暖化防止、森林保護など球環境保全・育成のために、また、消化しきれない古紙の余剰対策として、すべての行政・企業・消費者を含めてといっていいほど、関心が高まり、実際面での動きになってきた(と思える)。

行政や企業・民間団体もイメージアップだけではなく、球環境保全のためにも再生紙への切り替えや、古紙配合率のアップなどが顕著になってきた。

大きな意識と行動の変化である。いや変革といってもよいほどの変わりようである。これが以前のようにブームで終わるか、定着していくかは、再生紙の意味合いをよく理解し、何もかにも真っ白でなくてもよいのではないか、と(みんなが)気付き、白さへの理解とこだわりと妥協しながら再生紙を受け入れることである。そうすれば、古紙の回収、そしてその使用、再生紙化というサイクルが円滑に定着するようになると考える。今ようやくその動きが出てきており、高まりつつある。

 

(4)意識改革を!!

しかし、このような動きの中で今まだ、定着しないのが消費者と直結している古紙入りの再生トイレットペーパーである。再生ものを伸ばすには、メーカー、販売する人のPRと消費者の理解と意識にひとえにかかっているといえる。

「環境にやさしい企業」としてイメージアップのために再生紙を使い自社をPRする企業が多いが、古紙を使えば(さらに古紙配合率が増えれば)、通常、紙の白さや塵レベルなどが低下する。これを知りながら、今までと品質は変えないで再生紙を作ってほしいと、強く固守するユーザーがまだ多い。

特に、品質意識・ニーズの強いわが国においては、品質に対する要求が強く、製品多様化の中で品質の高度化・特化が活発であるが、しかし、このことが日本が高度成長をし、技術が進歩し、外国製品に負けない体質ができた景にもなっている。今後ともこの体質を残しながら、再生紙と白さへの理解と妥協しながら対応を図って行く必要がある。

ところで世界第2位の生産国で、消費国になったわが国で、豊富な紙のある生活に慣れ、紙は空気のように無限にあるものだと安心しているのではないだろうか。その空気も二酸化炭素がどうのこうのと論議され環境保護が叫ばれる時代になってきた。

空気がないと生きていけないように紙のない生活も考えられない。このなくてはならない「紙」と永く付き合うためにも、「消費は美徳だとか」、特に「白さへのこだわり」をいう時代は終わったと認識する必要があると考える。「ものを大切に思う気持ち」と「白さへの妥協」がリサイクル化すなわち再生化の始まりであり、自然保護の原点ではなかろうか。

しかも、資源保護および再生化は一時のブームではなく継続して実行されなければならない永遠のテーマであり、廃棄物を出している一人ひとりの実行項目であり、企業および行政の責務であると認知し、実践していくことである。

そして古紙利用の拡大にあたっては、市況とともに紙パ産業の安定が前提になるが、より一層の古紙処理技術・脱技術の向上、再生紙への需要喚起、古紙回収システムの合理化などが急務であり、その中で肝心なのは消費者の理解と協力であり、さらに重要なことは、一人ひとりの意識の改革である。

 


 

ところで、逆に、もし「古紙」を、使わなくなったらどうなるのであろうか。想像するだけでもゾッとするが、世の中がパニック状態になるといっても大袈裟な表現ではない。

  • 家中、町中がゴミで溢れ、それこそ汚く、不衛生な状態になるか、
  • 紙ゴミの焼却ないし、埋め立てるなどの処理が必要となり、このために、莫大な焼却炉や埋め立てを確保しなければならなし、多くの人手とコストが掛かる。しかも、この処理法は、いわば原料(資源)を使い捨てにするというマイナス発想で、有効手段とは言えない。
  • また、製紙原料である木材は、製材時の廃材などを活用しており、古紙の活用と合わせて現在、バランスが取れているが、古紙がなくなると、現状の倍以上の木材が必要となる。これを植林で賄おうとする手があるが、膨大な植林用が必要であり、その確保と、使える木に成長するまでに掛かる資金は計り知れない。さらに成長するまでに10数年の歳月が掛り、その間は立派な立ち木を伐採し、使うことになる。これでは森林破壊になるとともに、二酸化炭素を固定できなくなり、球温暖化を促進することになる。まさに環境破壊である。これではなにをやっているのか分からない。このような状態になれば、世の中から「紙」が消滅するかもしれない。あるいは再び「紙」が貴重な時代になるのかもしれない。

それでは紙を使わなければ良いのではないか、という論が出てくる。紙を全く使わないというのは極論かもしれないが、減らすことは可能である。必要な紙は使うが、無駄な紙は、特に必要以上に過剰品質の紙も含めて、使わないことも重要であり、これからはそのような時代になったと認識する必要がある。この発想が「真っ白でなくてもいいじゃないか」と今、大きな動きになろうとしている。

こう考えていくと、一消費者として、使い終えた紙を少しでも古紙として分別仕分けをし、回収ルートに乗せること、かつバージンパルプ物よりも古紙を配合した再生紙を使ったり、買ったりすることは、球環境を守ることであり、紙と永く付き合うことのできる非常にやさしい(優しい、易しい)行動であるいえる。

まさに一人ひとりの意識の改革であり、行動が必要である。

意識改革…資源保護、再生は永遠のテーマ、しかし、すぐ実行しなければならない実践項目!!

 


 

以上、紙パルプ産業における環境保護への取り組みと、紙への白さのこだわりなどについて説明した。わが国は「和紙」の時代から明治以来の「洋紙」へと「紙」は基幹産業のーつとして、国民生活発展に果たしてきた役割は大きい。これからも、その位置付けを認識し、役割を果たしていかなければならない。球環境保護のために「森林保護」問題は、ますます重要になって行くであろう。その中で将来の「紙」原料を確保し、紙の安定供給のために「球にやさしい」産業として、公害対策はもちろん、球規模の環境対応とした森林の育成(造林・植林)、古紙再生化、省資源化、非木材パルプ使用などを積極的に、かつ強力に進める必要があるが、この基本になるのが一人ひとりの消費者であり、それを販売されている方々の、それぞれの理解と協力である。育てていくのだという前向きなご意見とご指導を今後ともお願いしたい。

 

24.紙と白さ(その2)(2004年9月1日記載)参照


更新日時:(吉田印刷所)

公開日時:(吉田印刷所)