トピックス短信(9) 大瀧神社(福井県福井県)NHK『夢の美術館世界の名建築100選』

◎大瀧神社(福井県福井県)NHK『夢の美術館 世界の名建築100選』

(出所)NHK BShi「夢の美術館 世界の名建築100選」(2008年1月27日)

越前和紙の里にある大瀧神社(福井県越前市…1843(保14)年に再建)がNHKの『夢の美術館 世界の名建築100選』に選ばれました。右はその写真です(NHKホームページ夢の美術館 世界の名建築100選から引用 …こちらもご覧ください)。NHKが専門家のアンケートにより世界中から100の建造物を選び出したものです[放送2008年1月27日(日)前編 14:00~18:00 (BS-hi) 、後編 同日19:00~23:00 (BS-hi)。再放送2008年2月11日(月) 前編 13:00~17:00 (BS2)、2008年2月16日(土) 後編 13:30~17:30 (BS2)]。

大瀧神社を私も2回訪問したことがあります(拙作ホームページ和紙紀行・夢の和紙めぐり(2) 越前和紙(福井県今立町))。なお、今立郡今立町は2005(平成17)年10月1日に武生市と合併し越前市となり、今立町という名はなくなりました。

大瀧神社・岡本神社写真(1999年5月筆者撮影)

参考

始祖神話の国・越前

京を東へ下り、山科を過ぎると穏やかに波打つ琵琶湖が見えてきます。東岸を北上し、彦根、長浜を経て、やがて愛発(あらち)の関を越えると、「み雪降る」と万葉集に歌われた「越の国」に入ります。越の国は後に、越前、越中、越後の三国に分かれますが、越前福井は「越の道の口」すなわち越の国の入り口と言われていました。もっとも都に近かった越前は、畿内文化の影響も強く受けた先進域でした。

今立町の「五箇(ごか)方」は、越前和紙で名高い旧岡本村であり、大滝、不老(おいず)、岩本、新在家、定友の5つの集落があります。五箇の中心は大滝で、今も“おみね"と呼ばれており、五箇区を一望できる山の頂には奥の院(上宮 じょうぐう)があり、大瀧神社と紙祖神 岡太(おかもと)神社の本殿がならび、山麓には下宮(げぐう)として本殿と拝殿があり両社の里宮(さとみや)として合祀(ごうし)されております。

また大滝には、越前和紙の中心であり、わが国のもっとも古い紙の始祖伝説が伝わっており、岡太神社には、この里に紙漉きの技を伝えた「紙の神様」である“川上御前"が厳かに祀られております。

この岡太神社は、今立町の大滝神社の後の山項近くに、奥の院として合紀されています。祭神は、材11如釦ど邦,胴が彬,水波能売命は火の神の暴威鎮圧のため、伊耶那美命イザナミノミコトの尿から生まれた水の神で、川上御前にあたると考えられています。水分神は山項の水(水)を配る神で、飲料水や灌慨用水を適正に配分する神です。何れにしろ、岡太神社は水神信仰の社でありその霊水で紙漉きを営んでいることに対する感謝を顕しているのでしょう。

大滝神社は中世には大滝寺と称し、台宗平泉寺の末寺として、辺りの白山信仰の中心となります。室町時代に入ると、大滝寺はこのの紙座の中核として強い権力を維待していましたが、 織田信長の一向一撲の討伐の際の兵火で焼失します。

岡太神社・大滝神社の所在は、かつて越前国国府が置かれた武生市の東部近郊に続く今立郡今立町大滝。いわゆる越前和紙のメッカであり、わが国の紙のもっとも古い始祖伝説がこのにあるのです。

紙の始祖神伝説

今から約1500年前、大滝の岡本(おかもと)川の上流に美しい姫が現れて村人に、紙漉きを教えたという言い伝えが残されています。それが紙の始祖神伝説です。

「男大迩王子(おおとのおおきみ、後の継体皇=在位、西暦507~531年)が越前におられたころの話じゃ。五箇村を流れる岡太川の上流にそれはそれは美しい姫が現れて、こういったんじゃ。『この村里は谷間にあって田畑も少なく、さぞ、暮らしに難儀をしていることであろう。しかし、この谷間の水は、いかにも美しい。この水で紙をすき、暮らしを立てるがいい』と言い、姫は上衣を脱いで傍らにかけ、里びとに紙のすきかたをねんごろに教えたんじゃ。喜んだ里びとが、『あなたさまのお名まえは?』と尋ねると、『岡本川の川上にすむ者』とだけ答えて、姿を消えてしまったそうじゃ。里びとたちは、それ以来、この女神を「川上御前」と呼んでこれをあがめ、そのに神社を建立、以後紙すきを神わざとして代々伝たわっているのじゃ…」。

これが岡太神社であり、岡太神社にはこの里に紙すきの技を伝えた「紙の神」である川上御前が祀られており、紙祖神 岡太神社といわれています(旧今立町商工観光課「越前和紙の里 今立」より)。

すなわち、村里の岡太川の上流に美しい姫が現れて丁寧に紙漉きの技を里人に教え、この教えを受けた村人は、この姫を「川上御前」と崇め、奉り岡太神社を建ててお祀りし、その教えにくことなく紙漉きの技を伝えて今に至っているということです。

 

◎越前和紙の歴史

伝説が示すように越前和紙は、日本に紙が伝えられたとされる4~5世紀ごろには既にすぐれた紙を漉いていたことが正倉院の古文書にも示されております。最初は写経用紙を漉いていたようで、そののち公家武士階が紙を大量に使いだすと紙漉きの技術、生産量も向上し、「越前奉書」など最高品質を誇る紙の産として、幕府、領主の保護を受けて発展してきました。明治新政府の「太政官金札用紙」が漉かれたのもこのです。さらには横山大観はじめ多くの芸術家などの強い支持を得て全国に越前和紙の名は知られています。

このような長い歴史と伝統の中に育まれた越前和紙の郷では、品質、種類、量ともに日本一の和紙産として生産が続けられています。

紙祖神「川上御前」を祀る現在の大滝神社・岡太神社社殿は、保14(1843)年に江戸時代後期の社殿建築の粋を集めて再建されたもので、1984(昭和59)年にその歴史記録の確かさと建築の美しさとから国の重要文化財に指定され、さらに1992(平成4)年に神門回廊等が、新たに造営されました。今もなお紙の業に携わる里人の心のよりどころとして、厚く信仰され、どの漉き屋も一段高いところに紙祖神「川上御前」の御分霊を祀り、そのもとで心を込めて和紙が漉かれています。紙祖神はかわいい稚児姿の神様です。

 

◎岡太神社大滝神社祭礼

(出所)和紙の祭り・神と紙の祀り・2009

摂社川上御前を全面に押し出した5月3日~5日の春祭りは「紙と神の祭り」として賑わう。例年はこの3日間ですが、2009年は33年に一度の大祭で2日から4日間の日程で開催。大滝神社の神々とともに、神体山の権現山山頂の奥の院から駕輿丁番と呼ばれる若衆のかつぐ神輿によって里宮に臨降される。

全国一の由緒ある紙の祭りとあって里人はもちろん全国の製紙関係者も威儀をただして参列する。

五日、祭りの終わりの日、神々はお山の奥の院に還御される。その前に、五箇それぞれの里宮に神行される。神をお山にお帰ししたくない里人と駕輿丁番との神輿の争奪戦は勇壮である。夜八時、奉送の神輿は万灯、狗の先達、神官、総代、区長、に続いて白法被姿の若衆によって、かけ声も勇ましく急な坂道を駆け上がる。

 

下記のホームページも是非ご覧ください。

 (2009年6月1日)

 

参考・引用文献

 


更新日時:(吉田印刷所)

公開日時:(吉田印刷所)