トピックス短信(10) 出雲大社で福神祭 紙垂を競い合う

◎出雲大社で旧正月を祝う福神祭

(出所)山陰中央新報(2009年1月27日)

旧正月を祝う福神祭が二十六日未明、出雲市大社町の出雲大社の神楽殿であり、県内外から訪れた三百六十人が、出雲大社教の千家達彦(みちひこ)管長(86)たちとともに一年の幸を願った。

福神祭は旧暦の元旦に行われ、子(ね)の刻の午前一時に始まることから、「子の刻神事」とも呼ばれている。前日の二十五日夕から参拝客が神楽殿に集まり始め、おこもりをして神事の開始を待った。

神事では千家管長が教話し、次代のために「幸せの種」をまく大切さを説いた。しめ縄につけて張り巡らされた福を授かるとされる紙垂(しで)を手に入れた同市大津町、自営業鐘築勲さん(64)は「良い年のなる」と喜んでいた(写真…家内安全などをもたらすとされる紙垂を持ち帰ろうと、手を伸ばす参拝者=26日午前2時半前、出雲市大社町、出雲大社神楽殿)。

 

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出雲大社

祭神は大国主命(オオクニヌシノミコト)。古くは杵築(きづき)大社と呼ばれ、創建時期は明らかではないが、日本書紀の斉明5(659)年の記事が文献上の初見とされる。記紀神話では、朝廷が大国主命から国を譲り受ける代償として、広大な宮を築いたとの経緯が語られる。現在の本殿は延享元(1744)年に造営され、高さ約24メートル(八丈)。縁結びの神様として知られ、全国から年間約230万人の観光客が訪れる(山陰中央新報)。

 

紙垂(しで)

神前に供する玉串(たまぐし)・注連縄(しめなわ、標縄)などに垂れ下げるもの。昔は木綿(ゆう)を用い、後には紙を用いる。垂・四手(広辞苑(第5版)…CD-ROM版。写真の紙垂も広辞苑から引用)。

昔は太陽の恵みを受けて育った植物から作られる「紙、特に白い紙」は、自然の生命を宿した神聖なものとして取り扱わた。特に「紙」が登場したころとか、紙が少なく、手に入り難い時代には、白い紙は、清浄でけがれのない神聖で、畏敬の念を持って貴重なものとして用いられた。神事に用いる榊(さかき)の木に付けられている白い紙も、紙のない当初は木綿(ゆう)といって、楮の皮をはぎ、その繊維を蒸し、水にひたして裂いて細かく糸にしたものだったが、それが麻糸となり、やがて紙になった。

また、お神酒とともに神前に捧げられる幣(みてぐら、ぬさ、御幣)に白い紙や、さらに新年に家庭や会社の門戸や神棚に張られている注連縄に垂れ下がっている垂(しで)。ここにも白い紙が使われている。

 

(2009年6月1日)

 

参考・引用資料

 


更新日時:(吉田印刷所)

公開日時:(吉田印刷所)