コラム(32-3) わが国の紙のはじまり(2)わが国の紙祖神ないし紙祖について 2

越前の紙祖伝説…川上御前

また、越前(今の福井県の東部)にも、わが国でもっとも古い紙の始祖伝説(紙祖伝説)があります。福井県(越前国は旧国名)は越前和紙で知られ、わが国における和紙の最大の生産県ですが、古代から有力な産紙国の一つです。その中でも福井県今立町が中心ですが、今立町の「五箇(ごか)方」は、越前和紙で名高い旧岡本村であり、大滝、不老(おいず)、岩本、新在家、定友の5つの集落があります。五箇の中心は大滝で、その山の頂には奥の院(上宮 じょうぐう)があり、大瀧神社と紙祖神 岡太(おかもと)神社の本殿がならび、山麓には下宮(げぐう)として本殿と拝殿があり両社の里宮(さとみや)として合祀されております。

岡太神社には、この里に紙漉の技を伝えた「紙の神」である川上御前が祀られておりますが、6世紀初頭、大滝の岡本川の上流に美しい姫が現れて村人に、紙漉きを教えたという伝説があります。

 

西暦500年ころ、今から約1500年前の話です。「男大迩王(おおとのおおきみ、後の継体皇<在位507-531>)が越前の味真野(あじまの、今の武生市)におられたころの話じゃ。岡本川の上流にそれはそれは美しい姫が現れて、こういったんじゃ。「この村里は谷間にあって田畑も少なく、さぞ、暮らしに難儀をしていることであろう。しかし、この谷間の水は、いかにも美しい。この水で紙をすき、暮らしを立てるがいい」と、姫は、みずから上衣を脱いで竿頭にかけ、里びとに紙の漉きかたをねんごろに教えたんじゃ。喜んだ里びとが、「あなたさまのお名まえは?」と聞くと、「岡本川の川上にすむ者」とだけ答えて、消えてしまったそうじゃ。里びとたちは、それ以来、紙すきを神わざとしてのちにいたっているのじゃ…」として村人たちは彼女を川上御前とあがめて、岡太神社に祀っている、というものです(今立町商工観光課「越前和紙の里 今立」)。

 

すなわち、継体皇が男大邊王としてまだ越の国にいたころ、越前今立の五箇村を流れる

岡太(おかもと)川の上流に、美しい女神が現れました。女神は村人に、「この辺りは山間の僻で、田畑が少ないが、良い水に恵まれているので紙を漉くのが良い」と言い、上衣を脱いで傍らにかけ、紙漉きを教えました。喜んだ村人が名を尋ねると、川上に住む者だとだけ告げて姿を消しました。村人はこの女神を「川上御前」と呼んでこれを崇め、そのに岡太神社を祁り、以後紙漉きを代々伝えたというのです (和紙紀行・夢の和紙めぐり(2) 越前和紙(福井県今立町)…岩野市兵衛氏(人間国宝)と再会参照)。

 

ところで、このように岡太神社・大瀧神社は、かつて越前国国府が置かれた武生市の東部近郊に続く今立郡今立町大滝、いわゆる越前和紙のメッカですが、森田康敬氏は先の「紙跡探訪 和紙発祥のを探る」で、武生盆、岡本郷、味真(あじまの)等には、古くから渡来氏族が居住し、「秦」の付く氏姓が多くみられるところである、として、いろいろ勘案すると、越前(今立)も一つの紙の発祥と考えてもよいのではなかろうか。とされておられます。

それが紙の始祖神伝説として伝承されたのかもしれません。

 

和紙づくりの祖 聖徳太子

次に聖徳太子ですが、聖徳太子も「和紙づくりの祖」とする説があります。コラム(29) 聖徳太子と紙 から再録します。

 

聖徳太子が摂政のころに曇徴が来朝しましたが、聖徳太子以前の国産化初期の紙が、「どのような状況であったか」を知るために、ホームページ「ふすま&内装考房EBS TOP Page、和紙の歴史」から、下記のように引用させていただきました。

 

「国産化初期の紙として最も古くから漉かれた紙は、中国の紙を模範にした麻紙で、原料は大麻や苧麻の繊維や、麻布のボロや古漁網などから漉かれました。麻は繊維が強靱なので、多くは麻布を細かく刻み、煮熟するか織布を臼で擦りつぶしてから漉きましたが、漉きあがった麻紙は、表面が粗いので紙を槌で打ったり(紙砧)、石塊、巻貝、動物の牙などで磨いたりして表面を平滑にしました。次いで空隙を埋めるために、石膏、石灰、陶土などの鉱物性白色粉末を塗布し、さらにのにじみ(遊水現象)を防ぐため、澱粉の粉を塗布するなどの加工を行いました。

しかし、麻は取り扱いが難しいために、次第に楮に取って代わられ、一時期は消滅してしまいました。楮は麻と同様に繊維が強靱で、しかも取り扱いが易しいので、増産に適した楮を原料とした穀紙次第に普及していきました。なお、穀は梶の木のことで、楮の木とも書き、楮と同属の桑科の落葉喬木で、若い枝の樹皮繊維を利用しますが、抄造は麻紙と同様に煮熟して漉きます。繊維が長くて丈夫な紙となり、写経用紙や官庁の記録用紙として、染色されずにそのまま用いられました。紙のきめや肌がやや荒いが、丈夫で破れにくく、衣食住のさまざまな分野に応用されて使用されるようになりました」

 

そして聖徳太子の時代になるのですが、610年(推古皇18年)に曇徴が来朝して、中国の紙の製法を伝えました。わが国に伝わった紙は、弱くて裂け易いばかりか、虫食いが目立ち保存に耐えがたい上に、わが国の場合、清浄を尊ぶ気風からボロ布(麻)を原料とする「蔡侯紙」よりは、以前から織物などに使っていた楮などの靭皮繊維を使って作った「紙」のほうが好まれました。

紙は、初め一般の公文書や膨大な量が必要な戸籍や租税に関する文書用に用いられました

が、摂政であった聖徳太子が仏教を広め、写経を重要な国家事業としたため、国家鎮護を祈る写経が盛んになり、経紙(きょうし、写経のために用いる紙)など高な紙の需要が増えていきました。

大量の紙が必要となったため、聖徳太子は筆、とともに、紙作りの保護育成の政策を熱心に推進し、わが国在来の楮の栽培と製紙、および紙の普及を奨励したといわれます。そして次第に紙の生産は中央ばかりでなく方でも行われるようになり、日本各に紙漉きが広がりましたが、これがさらに紙の普及と製紙技術の向上に拍車をかけることになりました。

また、聖徳太子自らも楮の皮の繊維を用いた雲紙、縮印紙、白柔紙および俗薄紙の4種の楮紙を造ったとされています。すなわち「和漢三才図会」には、「聖皇本紀」からの引用として、「太子は楮紙を制し、ついに雲紙および縮印紙・白柔紙・俗薄紙の4種を造る」と記述されており、これがわが国の製紙業の始まりであり、聖徳太子がわが国の製紙の基礎を築いたとされています。

これに対して、寿岳文章氏は「日本の紙」(吉川弘文館 1967年発行)のなかで、この記事は「眉唾物であろう」と否認しており、これらのことは聖徳太子の死後高まった太子信仰からきている神秘化された伝説として事実でないとする説もありますが、これらの功績のために聖徳太子をわが国の「紙祖」として祀ってあるところもあり、「和紙づくりの祖」とか、「紙の神様」とも言われています。

 

なお、聖徳太子の自筆で615年に成立したといわれる「法華義疏」4巻(宮内庁蔵)の草稿本がありますが、これに使われている紙は、わが国で現存する最も古い紙で、年代の明らかな最初の紙といわれています。しかし、この紙は中国からの移入紙なのか国産紙なのかは不明です。また、この巻物は、また日本最古の本としても知られています。(コラム(29) 聖徳太子と紙参照)

 

紙漉きの技術の伝来から100年ほどしてから、本格的な紙の国産化が始まりました。わが国で漉かれ、年代の明らかな最古の紙は正倉院に伝わる702(大宝2)年の美濃、筑前、豊前の戸籍用紙ですが、737(平9)年には美作、出雲、播磨、美濃、越などで紙が漉かれるようになり、それぞれの域の特色があらわれるようになりました(正倉院文書)。

こうして丈夫で美しい日本独自の紙が誕生し、育まれていくこととなります。

 

まとめ

以上のことをまとめておきます。

 

(1)日本に紙を伝えた曇徴の来朝(西暦610年)以前に紙およびその製法が、わが国に存在していると考えられます。

(2)そのため曇徴はわが国の紙祖でないとするのが通説になっています。

(3)そしてわが国の紙の始源については、中国・朝鮮からきた説と、日本に古くから紙があったとする考え方があります。

(4)中国・朝鮮からきた説については、不詳の部分がありますが、中国で発明、改良された紙とその製法は朝鮮半島にも伝わり、わが国には西暦2~5世紀、少なくとも西暦3~6世紀ころには、すでに中国・朝鮮との国交による人・ものなどの往来や、それらの国から来た渡来人によって、いろいろな文化とともにもたらされていたのではないかと考えられます。

(5)その中でも5世紀に渡来した技術集団、秦氏による紙造り説がとくに有力です。

(6)また、日本に古くから紙があったとする説については、紙祖とか、紙祖神とされる人達が複数で登場しています。

(7)それは紙祖神 日鷲命であり、川上御前であり、和紙づくりの祖と言われる聖徳太子などです。

 

わが国の紙のはじまりについては、このように経緯がありますが、わが国に伝わった中国の紙とその製法はさらに改良され、楮、雁皮、三椏などの靭皮繊維を原料にして、「ネリ」「流し漉き」を特長とするとする紙の誕生となり、日本独自の紙(後で言う和紙)として開化していくことになります。

(2005年5月1日)

 

参考・引用文献

  • 「広辞苑(第五版)…CD-ROM版」(発行所:株式会社岩波書店)
  • 世界大百科事典(第2版 CD-ROM版)…日立デジタル平凡社発行
  • 和紙文化辞典 久米康生著、1995年10月 わがみ堂発行
  • 町田誠之著「和紙の道しるべ その歴史と化学」(京都 淡交社 2000年4月刊)
  • 森田康敬著「紙跡探訪 和紙発祥のを探る」…(財)紙の博物館友の会「かみはくニュースレター No.6」(2005年3月1日発行)
  • 林 正巳著「和紙の里」(東書選書発行)
  • アワガミファクトリーのホームページ阿波和紙 -Awagami Factory-
  • ホームページ「和紙ノ伝統」2 日本の初期製紙

 


更新日時:(吉田印刷所)

公開日時:(吉田印刷所)