コラム(112) 「紙はなぜ」(32) 紙はなぜ、文化のバロメーターといわれるのでしょうか?

紙はなぜ、文化のバロメーターといわれるのでしょうか?

今月は「紙はなぜ、文化のバロメーターといわれるのでしょうか」がテーマです。

 

「紙(の消費)は文化のバロメーター」といわれ、「製紙および印刷事業は文明の源泉」、また、印刷業界には「印刷あり、文化あり」というスローガンがあります。紙と印刷は緊密な関係があり、ふるい時代から長く文化の担い手になってきました。これからもその使命を果たしていかなければなりません。

 

ここで紙関係の世界におけるわが国の位置付けを、最近のデータ(2008年)[日本製紙連合会資料]から見ていきます。

 1位2位3位摘要
紙・板紙生産量 中国 米国 日本    
紙・板紙消費量 米国 中国  
古紙消費量 米国 中国  
国民一人あたりの紙・板紙の年間消費量(単位kg) デンマーク ベルギー 米国 日本は世界第8位
242.8 242.8 242.8 世界平均52.0

 

なお、国民一人あたりの紙・板紙の年間消費量の…242.8kg、世界第8位[デンマーク1位、ベルギー2位、米国3位]。生産量、消費量とも絶対数量の多い中国は29.2kgで、まだまだ世界の平均以下です(世界平均 52.0kg)。世界トップクラス

 

  • 紙・板紙生産量…米国、中国に次ぐ世界第3位。3,073万t(世界の約10%、米国は約25%)。
  • 紙・板紙消費量…同上(世界第3位)、3,084万t(世界の約10%に相当)。
  • 古紙消費量…同上(世界第3位)、1,779万t(世界の約12%に相当)。

生産量、消費量とも米国は別格。最近中国の伸びが大きく、わが国を超え2位に躍進。

  • 人口が違いがありますので、一人あたりに換算しますと
  • 古紙回収率…62.0%。世界平均48.4%(米国48.7%、中国33.8%)
  • 古紙利用率…58.0%。世界平均48.7%(米国41.2%、中国57.3%)

 

なお、わが国は1945(昭和20)年に終戦を迎えましたが、その年の国民一人あたりの紙・板紙の年間消費量は、3.6kgでした。その翌年は最低の2.8kgとなりましたが、漸次、増加し、1953(昭和28)年には、生産量、消費量とも戦前のピークを超え、経済の復興を成し遂げました。このときの一人あたりの紙・板紙の年間消費量は20.2kgです。その後は経済の成長・発展とともに、ゆとりもできて、紙の生産量も増え、消費量も増加していきます。そして文化も進展し世界へ羽ばたいていきます。まさに紙は文化のバロメーターといわれる所以です。

 

ちなみに、飛躍しているものの文化的に遅れている中国の2005年ころの一人あたり年間消費量約29kgと低く、わが国のおよそ55年前の1956~57(昭和31~32)年ころの数量に相当します。

 

紙は、今後とも「文化のバロメーター」になり得るのか?

これまで述べてきましたが、テレビを含めたニューメディアの登場により、また、この新聞の例のように、かなりインターネットが普及しだした今日、日本においても人びとの、特に若い人の意識・行動が変わり、紙による情報入手・発信は間違いなく少なくなってきているようです。この点だけでも既存の、特に新聞や雑誌、郵便などの紙の情報メディア(媒体)は劣勢にあるといえます。

インターネットに加えて、開発中の電子新聞や電子ペーパー、普及しつつある電子辞書、電子書籍(ブック)などのさらなる進化・伸展・普及により、例えば紙の雑誌が不振ですが、最近話題のウェブマガジン(電子雑誌)、いわゆる、その名の通りネット上でページをめくることもでき、閲覧できる雑誌スタイルのウェブですが、このような電子メディアが、さらに既存の紙分野に進出し、紙に代わり、結果として紙の消費が低迷するのではないでしょうか。

 

また、今の「新聞離れ」の層は、イコール「活字離れ」「紙離れ」の層でもあり、この世代の人達が今後、主流になるうえに、後に続く小・中学生でパソコン・携帯電話に馴染んでいる人たちも今以上に確実に「活字離れ」「紙離れ」(新聞離れ含む)が進むことが考えられます。そしてますます紙メディアのウエイトが下がり、それらの分野では本当にペーパーレスになってしまうのではないでしょうか。

このように考えますと、これまで見てきましたわが国の一部の紙のように、また先行していると思える米国の新聞のように、インターネットや電子メール、電子辞書、電子書籍などの電子媒体を駆使するパソコンや携帯電話など現代の「文明の利器」が、文化のバロメーターである「紙」の消費を抑制してしまうことになりかねません。そしてさらに今後、紙・板紙の消費量が横ばいないし減少していけば、そのときは長い間、文化の程度を測る尺度にされてきた紙の消費量は「文化のバロメーター」と言う金言はわが国では通用しなくなるのかも知れません。

特に明治時代以降、伝統的な和紙や、「製紙および印刷事業は文明の源泉」であるとして育まれた洋紙がわが国の文化発展のために大きく寄与してきました。また、明治初年に流行した散切り(ざんぎり)頭が文明開化の象徴とされ、当時、近代化や欧化主義の風潮を謳った「ざんぎり(じゃんぎり)頭をたたいてみれば文明開化の音がする」という俗謡は、今は「パソコンや携帯電話(ケータイ)をたたいてみれば文明開化の音がする」でしょうか。

 

ただ、ここで悲観するのはまだ早いのかもしれません。と言うのは、国民一人あたりの紙・板紙の消費量が世界のトップクラスでは、わが国の245~250kgレベルに対して、350kg台のところがあるということです。また、わが国よりはインターネットなどが進んでいて先輩格である米国の国民一人あたりの紙・板紙の消費量がはるかに日本の上位にあることです。

 

それを数値で示せば、例えば、世界経済が良好になった2000年の331.7kgと最高になり、その後はわが国と同じような傾向を示し、伸び悩み、横ばい状態にありますが、01年306.4kg、02年314.2kg、03年300.8kg、04年312.0kg、05年300.6kgという具合に300~320kgで推移しております。それでも日本の245kg~250レベルよりは2、3割多く消費されています。

この理由は何でしょうか。かりに日本の消費量が米国レベルの300kg位になれば、紙・板紙の生産量はほほ2割多くなり、現状の年間3,100万tよりおよそ600万t増え、3,700万tになります。また、トップクラスの350kg位になれば、約1,200万t/年の増加となります。これは大きな増量です。もちろん、球環境改善や公害防止などに結びつくキーワード「3R」ないし「5R」を実行しての無駄のない消費を踏まえてのことです。

こう考えると、まだ望みがあります。わが国よりも国民一人あたりの紙・板紙の消費量がはるかに上位にあるこれらの国々の消費状況を調査すれば、何かヒントが得られるかもしれません。その中から必要な対策を講じれば、まだまだわが国も消費が伸びる余がありそうです。

2000年以上もの歴史があり、長い間、伝統ある紙はその役割を果たしつつ、文化や産業の発展とともに増え進化してきました。56.3kg、これは現状(05年)レベルの一人あたりの紙・板紙の消費量の世界平均ですが、少しずつ伸びているもののまだまだ少なく、世界的にはこれからも紙は広く、しかも多く使用されていくでしょう。

 

しかし、その一部の先進国では、わが国も含めて「紙対電子」で終わるか、それとも「紙・電子との共存」への模索をし、そして「紙対電子」から「紙・電子との共存」の時代へとなるのか。今や、電子メディアに追われている紙メディアの対応と、棲(す)み分けが始まっております。わが国の紙文化は、これまでもうまく「紙の危機」を乗り切って育まれてきましたように、「時代遅れ」とならないよう新たに成長していきたいものです。

(2010年4月1日)

 

参考・引用資料

 


更新日時:(吉田印刷所)

公開日時:(吉田印刷所)