和紙紀行・夢の和紙めぐり(3) 小川和紙・細川和紙(埼玉県)

2000(平成12)年11月4日(土曜日)朝、東武東上線の小川町駅に着く。

気は良好。きょうは一人で小川和紙めぐりである。

およそ1300年の手漉き和紙の伝統があり、荒川の支流である槻(つき)川に沿い、2ヶ所で現在、引き継がれている。

これから巡る2ヶ所であり、一か所は秩父郡東秩父村で他は小川町駅のある比企(ひき)郡小川町である。

この2ヶ所の基点となる小川町駅には、転勤でこの(2000年)7月から同じ東武東上線の沿線、埼玉県富士見市水谷に住んでいるため、最寄りの駅、みずほ台から川越で特急に乗り換え約40分で到着した。

小川町は、周囲を緑豊かな外秩父の山々に囲まれ、町の中央を槻川が流れる形から「武蔵の小京都」といわれ、和紙だけでなく小川絹など伝統工芸に根付いた情緒あるところで、古くから「関東灘」と呼ばれるくらいの酒どころでもある。

また、近くには山あり川ありで散策・ハイキングにもよく、小川町を起点にしたモデルコースがいくつかあり、もちろんハイキングと和紙が楽しめる「仙元山(せんげんやま)・和紙の里コース」(往復約10km)もある(右上写真 東武東上線 小川町駅)。

 

ところで小川和紙の歴史は古く、奈良の「正倉院文書」には、宝亀5(774)年、図書寮解「諸国未進紙並筆事」の条に「武蔵国紙480帳、筆50管」が納められていたという記録があり、当時の武蔵国で、すでに紙と筆を作っていたことが分かる。(注)武蔵国…主に今の東京都・埼玉県

しかし、その後、841(承和8)年の「類聚三代格」に出てくる武蔵紙のほかには、長い歴史を持つにもかかわらず、文献もなくおよそ800年間の経過は知る由もないとのことである。

再び歴史に出てくるのは江戸時代に入ってからである。

江戸時代から和紙と生糸の産として知られた。

現在は和紙生産の大部分が機械すきとなり、加工紙も生産されている。ここで漉かれる和紙の種類は多いが、このなかで細川紙と呼ばれる楮のみを原料とする生漉き(きずき)の手漉き和紙が伝承されている。

 

生漉き紙…生紙(きがみ)ともいい、楮だけを原料にし、米粉や土粉などを加えずに、トロロアオイなどのネリ(粘剤)を加えるだけで漉いた紙

 

細川紙は本来、和歌山県伊都郡高野町細川である紀伊高野山麓の紙漉き場、細川村において漉かれていた細川奉書紙である。江戸開府のころ、細川村からやってきたお坊さんがその作り方を伝授し、大消費江戸に近い武州(武蔵国の別称)比企・秩父・男衾(おぶすま)の 3郡で漉いたところ、江戸の発達とともに定着、発展していったもので、いわゆる技術移転が成功して、逆に本家の細川村の細川紙は衰退していくことになる。

そしてそれが小川和紙の主力商品となっている。細川紙は紙の合が締まって、紙面に毛羽立ちが生じにくく、きわめて強靭な楮紙で、しかも元に近い群馬楮を使用したものは、繊維はやや粗いが強靭であるのが特長で、淡黄色の明るい紙色と光沢を示して、耐久性がよく独特の魅力を持ち好評で特に襖や障子は最高てあるとの評判を聞く。

なお、その技術は1978(昭和53)年に、国の重要無形文化財に指定されており、こうした優れた伝統技術の保存と伝承のために、小川町・東秩父村で細川紙技術者協会が結成され、その保持団体に認定されるなど広く公認されている。

 

東秩父村和紙の里

前書きが長くなった。先を続けよう。

まず東秩父村に行こうと駅前のバス時刻表を見たが、バス(白石車庫方面)がなく一時間足らず待たなければならない。いまの時間帯は一時間に一本の割合だと、そこの案内人が言う。もう少し早く家を出ていればと悔やまれたが後の祭りである。

時間がもったいないのでタクシーで行こうと、きょろきょろしていると同じような人がいた。年配の夫婦(みょうと)連れである。

お互いに誘い合いタクシーの人となった。同じ東秩父村の「和紙の里」に行くという。幸いである。

15分ぐらい経ったろうか話している間に着いた。一緒に行こうかと思ったが、遠慮もあったし、見たり体験の好みが違うだろうし、時間もなかったのでそこで別れた。

 

秩父郡東秩父村は、埼玉県の西部に位置し、外秩父山の山々に囲まれた域で、槻川の最上流域であり、山腹や川沿いに集落が開けている。人口はおよそ4,000人強。

手漉き和紙の歴史は古く、1300年前にさかのぼり、最盛期には近隣町村を含めて約800件ほどの農家で漉いていたが、今ではその数は十数軒になってしまい、この東秩父村では、2軒で手漉き和紙の生産が行われているという[東秩父村ホームページから…(ウェブ)東秩父村和紙の里]。

ここ「東秩父村 和紙の里」は、1988(昭和63)年、和紙技術の伝承と普及を目的に建設されたということで比較的新しい。

入館は無料(休館日…火曜日)。早速、手漉き体験をしてみようと右手にある和紙製造所に行き、草花入りを依頼すると庭に生えている野花や野草を摘んで来てほしいとのことで外に出る。草花を摘みながら庭園の奥に行くと造りの古い民家があった。すぐ後でわかったことであるが、紙を漉いていた家で、近郷にあった民家をここに移したという。

その「細川紙紙漉き家屋」の中に入り年配の女の管理人に話を聞く。黒光りした井が高く、しっかりした立派な造りである。廊下つきの10畳くらいの部屋が二間と土間があり、土間には、紙すきの世界では、「首振り三年、腰振りにまた三年」一人前になるには、六年の修行が必要だといわれたという表示や、紙漉きのための釜や叩き台・棒など一式が置かれている。それらを丁寧に見る。

摘んだ草花を手篭に入れて池(和心の泉)のほとりを歩き、人工の「蔡倫の滝」のそばを通って東屋(あずまや)と彫刻の森を散策しながら再び和紙製造所に戻る。

葉書10枚分(A3版大)の手漉きを行う。さらにその上に先ほど取ってきた草花を美的に?置き、つなぎのために草花の上に薄く紙料をかけて出来上がりである。後は乾燥すれば完成。乾くまでしばらく待ってもよかったが時間もなかったので、後日の郵送を依頼しそこは辞した。

 

ちょうど第八回 重要無形文化財保持団体秀作展「日本の伝統美と技の世界」が開催されていた。これは「全国重要無形文化財保持団体協議会」(重要無形文化財保持団体13団体とその関係27市町村よって構成)の工芸技術作品展と製作実演によって一般に公開するもので、今回は柿右衛門の焼き物、久留米絣、喜如嘉の芭蕉布、伊勢型紙などや、和紙では石州半紙、本美濃紙、細川紙が展示されており、これを見る。

 

埼玉伝統工芸会館

いつの間にか昼を回っていた。バスの時刻を確認する。

気はよいしバスの時刻までには時間があったので、途中まで路線に沿ってしばらく歩くことにした。県道からちょっと離れた畑には赤、ピンク、黄色など色とりどりのコスモスが咲き誇ったように風に揺れている。20分ぐらい歩き寺岡という部落を過ぎ都沢入口のところで車の気配がしたので振り返るとバスである。そこで乗る。バスは槻川の流れに沿って下り、15分ほどで終点、小川町駅に到着した。

今度は小川町駅から東武バス「パークヒル」行きに乗り換え、約5分、伝統工芸会館前で下車。そこから徒歩1分ほどで目指す会場である。

埼玉伝統工芸会館は、道の駅「おがわ」と併設する広い敷内にある。

「工芸の里まつり」(11月3日~5日)の期間で、多彩なイベントが開催され、広々とした会場には屋台も出ており、人とノボリ、飾りなどで賑わっていた。

会場の入り口近くで「謎の縄文探検」コーナーをしていたので、そこに寄り道をした後に、埼玉伝統工芸会館に入る[入館料:300円、休館日:月曜日と第2火曜日。(参照ウェブ)埼玉伝統工芸会館/ようこそ]。

館内には、常設展示室、和紙実演室などがあり、人でいっぱいに賑わっている。ここでも手漉きをしようと頼んだが予約が多く、時間が掛かるということで断念。

 

重要無形文化財の細川紙 技術保持者、島野元彦さん(写真)が紙漉きの最中であった。来館者の質問にも丁寧に答えられており、初めて紙漉きをする人への指導、心配りも抜かりない。さすがである。

館内を見て回った後、売店で和紙使用のカレンダーや本を買う。また、事務室の人から「細川紙」「和紙ができるまで」「和紙・あ・れ・こ・れ」「手漉き和紙の作り方」などの資料を貰う。

外に出ると広場の一角でイベント「和紙まつり」の一環として「楮かしき」が行われていた。

この周辺では楮のことを「かず」と呼んでおり、「かずかしき」ともいわれるが、楮かしき(かずかしき)とは、和紙の原料となる楮を冬の間(11月~2月)に刈り、切り揃えて、皮を剥き易くするために釜に入れて2~3時間ぐらい蒸すことで、その実演があった。そして次の工程である蒸した楮の皮を手で剥く「かずむき」(皮剥ぎ)を20人ほどが円陣になって座り、元の紙漉きの人の手ほどきで指導を受ける。私もその一員になった。容易に皮が剥ける。初めての経験である。剥いた皮(黒皮)を記念に貰う。

 

かしき…米・麦などを煮または蒸して飯を炊くこと(広辞苑)。全体がむらなく蒸せるように、楮の上に被せて蓋をするが、この蓋の役目をするものを「かしき桶(おけ)」という。

 

(右写真 楮かしきと皮むきの絵葉書と東秩父村和紙の里で体験した手漉きサンプル)

 

会場ではここまでであるが、以下、この皮を日で乾燥する。その後、水に浸し柔らかくなった黒皮を踏みほぐす。次にその黒皮の黒い部分を包丁などで削り取り、内側の白い部分(白皮)が原料になる、という具合にまだまだ和紙作りの工程は続く(和紙の知識(5) 和紙の作り方 参照)。

 

細川紙 技術保持者 久保昌太郎さん

あたりは薄暗くなってきたがもう一ヶ所行きたいところがあった。それは「久保昌太郎和紙工房」を訪れることである。

この会場から駅のほうに戻って、歩いて5分ぐらいだということで歩く。道路の右側の家の前に「国指定 重要無形文化財 細川紙 技術保持者 久保昌太郎」という立て看板があったのですぐわかった。入口の和紙と染めてある暖簾をくぐって中に入る。ご夫婦と分かる年配のお二人が紙を漉いておられた。挨拶をした。久保昌太郎ご夫妻である。

しばらく紙漉きの技を見せていただく。紙漉きの音が夕暮れのなかに静かに響く。そとでは黄色いコスモスが風に微かに揺れている。ゆったりした時間である。落ち着いた気分になった。

丁重にお礼を言い辞す。

 

再び会場に戻る。もう17時半。会場はお仕舞になっており、人はまばらである。バス停に立つ。夕闇はますます暗く、肌寒くなってきた。しばらくするとバスが来た。

東武東上線の人となり帰路に就く。急に空腹感が押し寄せてきた。そういえば昼飯を食べていなかった。

しかし、きょうは満足感でいっぱいであった。

(2001年9月30日記載)

 

 


更新日時:(吉田印刷所)

公開日時:(吉田印刷所)