紙の「目」「腰」「耳」
紙は、「生きもの」であると言われます。確かに、紙には、「目」があります。また、「腰」もあり、「耳」という言葉を使います。顔の意を表す「面」もあります。さらに、紙が「息をする」とか、紙を「寝かす」とも言います。
しかし、紙は人間や諸動物のように食べたり、動いたり、成長したりするような命はありません。紙が生きているように「息」づかいし、変化するために、紙を「生きもの」に比喩しているわけです。
もちろん、ここでいう「目」とは、視覚器官の目のことでなく、筋状の模様や凹凸、そのような性質・傾向を持つ意を表すものです。そして紙の「目(め)」とは、紙を漉くときに生じる縦方向、すなわち、流れ方向の「漉き目」のことで、繊維の方向(繊維配向)を示し、「流れ目」ともいいます。
また、「腰」とは、麺類などに「腰がある」と表現することがありますが、紙の場合も、「腰がある」とか「腰がない」とかいいます。これも人間などの「腰」そのものでなく、「腰の力」の意で用いられ、「弾力、ねばり」などの意味で使われております。紙の「腰」は、こわさ、剛度(ごうど)のことで、紙に曲げの力を与えたときの抵抗性を表し、特にカード類、表紙などに用いられる紙や印刷用紙などは適切な腰を持っていることが必要です。また、薄い紙ほどその要求が強くなります。
さらに、紙の「耳」は、製紙工程で抄紙機上のものや、巻き取った長いままの紙のことを紙匹(しひつ)といいますが、その紙匹の両端を断裁し取り除く部分のことを「耳」といいます。実際に「紙の耳を落とす」とか「紙に耳を付ける」や「耳付きの紙」などと使われます。そして「面」とは、「紙面」のように紙の表面を表します。
参照
FAQ Q.(6)紙の目とは、 Q.(7) 紙の耳とは、 Q.(8) 紙の腰とは
紙が「息をする」
それでは、紙が「生きている」とか、「息をする」とは、どういうことでしょうか。
紙は植物繊維を主原料として造られていますが、植物繊維自体が水分と温度を持っておりますので、紙そのものも水分と温度を持つことになります。そして一般的に、温度よりも水分の影響を大きく受けます。それは繊維自体が、水分となじみやすい親水性であるため、それを原料にしている紙も、周りの水分すなわち、湿度変化に敏感で、短時間に反応するからです。
もし水分(湿度、湿気)を吸収すれば、植物繊維、すなわち紙は伸び、水分を放出すれば、植物繊維、すなわち紙は縮みます。
例えば、切手を貼るのに裏側を水で濡らしたり、なめたりしたときに紙が、巻き状になることを経験されたと思いますが、これは水分で切手の裏側が伸びたため、表側を内側にカールしたわけです。
また、紙を仕事場か、どこかに置いたときに、紙は、空気中の湿度レベルに応じて水分を吸ったり、吐いたりします。今、紙の持っている水分が空気中の水分(湿度)より低いときには、紙は空気中の水分を吸います。逆ならば、紙は空気中に水分を吐き出します。そしてバランスが取れ、平衡に達します。もし、このバランスが取れていなければ、その程度により実際に使用されるときに紙が伸びたり、縮んだり、あばれたり、いろいろな不具合やトラブルを起こすことになります。
このように紙は水分と温度、特に水分を吸ったり、吐いたりして、水分の出入りをしているのです。そして、この水分の出入りを「呼吸」に例えて、「息をしている」とか、「生きている」とか、表現するのです。
「紙」は誕生以来、「生きもの」のように、絶えず「呼吸」をしており、「息」をしているわけです。
しかし、その「呼吸」の程度には差があります。紙の生い立ちと置かれている環境によって差があります。以前は、大気との水分差が大きく、紙の「呼吸」は激しく、「息」づかいが荒かったといえます。
特に、洋紙で、今から30年くらい前の1970年代中頃以降、抄紙機に坪量・水分計(BM計)[Basis weight/Moisture]というコンピューターによる制御計器を設置・普及。オンラインで絶乾米坪、および水分の測定とコントロール、しかも、紙のマシン流れ方向・幅方向の変動制御が行なえるようになって、水分などの品質の安定化が出来るようになりました。
それ以前は、紙製造時の水分制御とマシン幅方向の均一性が不安定なこともあり、「紙」と「大気」とが保有する水分格差が大きく、市場などで紙ぐせなどのトラブルが起こり易かったわけです。そのため造りたての紙は、使いづらいと言われておりました。呼吸が荒かったわけです。
それを防ぐために抄きたての紙を、事前に「寝かし」たり、すなわち、すぐに使わないで、しばらく保管して置いたり、「調湿」したりすることが行なわれました。
紙をある期間以上「寝かす」と、紙は呼吸しているうちに、環境になじみ、含有水分や伸縮程度、紙ぐせなどが安定した状態になります。これを熟成(エージング)効果といいます。熟成とは、紙慣らしともいいますが、紙を適当な条件下に保管している間に、その特性を好ましい状態に変えることを言いますが、このように、紙を時間を掛けて呼吸、すなわち吸湿と脱湿を繰り返しますと、次第に落ち着き、安定状態になります。造りたてで「枯れていない」とか、「若い」とか、あるいは「生(なま)」であるとかいわれる紙が、熟成して使いやすくなるわけです。
「調湿」
また、「調湿」とは、コンディショニングとか、シーズニングともいいます。温湿度をコントロールした室内に、強制的に紙を「吊り干(かん)」、すなわち紙を吊るして置いたり、動かしたりなどをして、印刷・加工などがしやすいように、紙の水分が多すぎるときは乾燥させ、少なすぎるときは加湿して、紙の水分を平衡安定させ、その性質を調節します。ただ単に「寝かす」よりは、早くなじむようになります。
しかし、「寝か」したり、「調湿」したりすることは、メーカサイドの紙自体の水分含有量を調整し生産された上に、一般に防湿包装紙で梱包され管理出荷されるようになって、今では非常にまれなことになりました。[注]なお、同じように温室度を調整して、「寝か」し、水分以外に紙の表面強度などを向上させるために熟成させる「室(むろ)」もありますが、これも珍しくなりました。
紙が「風邪を引く」
ところで、もうひとつ「生きもの」的な表現を紹介しておきます。それは「風邪引き紙」とか、「紙が風邪を引く」という言葉です。ご存知の人が多いかも知れませんが、「和紙文化辞典」(久米康生著 わがみ堂発行(1995年10月))から引用させて頂き、説明しておきます。
風邪引き紙とは、「高温多湿の環境で長期間保管されている間に、腰がやわらかくなって変色した紙。耐久性がなく、墨や絵具がつきにくく、印刷もしにくくて毛羽立ちやすい。繊維細胞を膠着させているヘミセルロースが分解して劣化したためといわれる。また江戸時代の紙で、ネリ(粘剤)に雑菌が混入していたため斑点のできているものも、風邪引き紙」ということです。保管法とか手当てが悪いと、このように紙も人並みに病気をするわけです。
和紙、特に手漉きの書道用紙(画仙紙、半紙)で湿気が多く、保存法が悪いと、ブツブツができ、墨で書いた場合、白い斑点のようになったりシミが出ることがあり、「紙が風邪を引いた」と聞いたことがあります。こういうトラブルを防ぐために、紙を梱包して、湿気が少なく、風通しがよく、直射日光が当たらないところに保管して置き、2~3年寝かせてから使う方が、墨色や潤渇、濃淡もよく書きやすくなるということです。
このように、問題を起こさないように、湿度の影響を受けにくい対応がとられています。そのため今の紙は、以前よりは穏やかな呼吸をするようになっています。しかし、それでも年間で湿度範囲が広く、短期間での変動も大きく、地域簡での差も大きいわが国では、紙の湿度変化によるトラブルは皆無ではありません。時には、紙が息切れをすることがあるわけです。
紙は生きもの
日頃、本や書画などを何気なく見ていますが、使われている紙は、このように抄かれる(生まれる)段階から、使われるまでに如何に多くの気が使われているのか、一般にはあまり知られておりません。やはり、紙は生きものです。使われた後も、大事に扱いたいものです。
(2003年3月1日付け)