紙について(4) 紙の歴史

「紙」、その歴史は古い。

紙は中国の前漢時代(紀元前2世紀)に発明されました。

 

紙は中国の四大発明(火薬・羅針盤・印刷術)の一つであり、長い間、「後漢時代の元興元年(西暦105年)に蔡倫が発明した」とされていましたが、実はそれよりもおよそ200年以上も前に、同じ中国で作られていたことが判りました。

近年(1933年~)の発掘によって前漢時代の紙が発見され、紀元前2世紀ごろにはすでに紙は存在していたという説が有力になり、紙は紀元2世紀初めの後漢時代に発明されたというそれまでの定説が覆されたわけです。

 

当時の原料は麻(大麻、苧麻)ですが、それ以前に、ものを書く材料として、石、粘土などの他に動物の皮や骨、樹木の皮、木板、竹、布、絹などが使用されました。こうした材料の中で、今日の紙に最も近いものは紀元前3000~2500年ころ、エジプトのナイル河畔に生育するパピルス草と呼ばれる葦に似た植物の繊維から作られ、「紙」(英語:Paper,ドイツ語:Papier…など)の語源となったパピルス(Papyrus)です。これはパピルス草の茎の外皮をはぎ、芯を長い薄片として平行に並べ、その上に直角・平行に薄片を重ね、水をかけ数時間圧搾、表面を石・象牙等で擦って、平滑にし日乾燥したシート状で、いわゆる不織布の一種といえるもので、繊維分散液から絡み合わせるという紙の作り方でないため、紙そのものではありませんでした。

 

真の紙の発祥のは中国であり、およそ2100年前の前漢時代に大麻の繊維を使った紙が始まりで、その後、紀元2世紀の初め(西暦105年)の中国・後漢時代に、蔡倫という人が技術の改良を行い、今日の製紙技術の基礎を確立しました。これにより紙の改良者ないし製紙の普及者は蔡倫とされています。彼の造った紙は「蔡侯紙」と呼ばれ、原料として樹皮、麻、ぼろ布などを用い、これらを石臼で砕き、それに陶土や滑石粉などを混ぜて水の中に入れ簀の上で漉く方法を採りましたが、このやり方は原理的には今日の紙漉き法[①皮を剥く(調木) ②煮る(蒸解) ③叩く(叩解) ④抄く(抄紙) ⑤乾かす(乾燥)]とほとんど変わりがありません。

 

この中国の製紙技術は、8世紀に今日でいう、いわゆる「シルクロード(絹の道)」を通って西進し、中央アジアを経て10~16世紀にわたってヨーロッパ諸国に、17世紀にはアメリカに、19世紀初頭にはカナダに紹介され、洋紙として大きく発展していきます。

 

FAQ (1)「紙」という漢字の語源はなんですか、また、テーマ「和紙」の和紙の歴史(本文)および表「紙の歴史」をご参照ください。

 

 

それではもう少し、わが国で「和紙」となり「洋紙」となった「紙」について、その発祥から伝播まで「紙の道(ペーパーロード)」を辿(たど)ってみます。

 

「紙の道」…ペーパーロードを辿る

 人類の歴史の中で、中国で最初に発明された紙は、当時の都からシルクロード(絹の道)によって西進して西域からヨーロッパへと伝播します。

 

それまでの西方諸国では、パピルスや羊皮紙が使われていました。パピルスは、古代エジプトで紀元前3000年頃から使われていましたし、羊皮紙も古代よりパピルスとならんで使われた書写材料で、羊の皮を薄く剥いだものですが、その他に山羊、鹿、豚、牛などの皮も使われました。これらの古代の書写材料は、東方からの紙の伝播によって次第に使われなくなっていきます。

 

シルクロードを通って、紙も次第に西方へと伝播していき、中央アジアや西アジアのペルシャ人、ソクド人、大夏人たちも、中国の紙を知り、これを使っていましたが、8世紀中ごろには製紙技術がアラビア(大食、タージー)に伝わる発端となった事件が発生しました。

『新唐書』によると、唐の玄宗は西暦751(宝10)年、大食軍(サラセン軍)と中央アジアのタラスで戦い、唐軍が破れました。このとき捕らえられた唐の捕虜の中に、製紙の工人が含まれており、大食の将軍は彼等を使って都のサマルカンドに初めて製紙工場を作りました(757年)。そこで原料として桑、苧麻(ちょま)、月桂樹などを使って、いわゆる「サマルカンド紙」が生産されたわけです。

 

サマルカンドに始まった製紙工場は、次いで793年にバクダード、ダマスクスへと広がり、900年前後にはエジプトのカイロにも工場が誕生していきます。

 

すなわち、サマルカンド紙の名がペルシアやスペインにまで知れ渡ると、ペルシア王が対抗意識を燃やして、795年頃、バクダードに中国の製紙技術工を招いて製紙事業を始めました。ときの国王は有名な『アラビアン・ナイト』にカリフとしてしばしば登場するハルーン・アル・ラシード王です。彼は、次いでアラビアの東海岸、シリアのダマスカスにも製紙工場を新設しました。

 

紙の技術はついに「パピルス」発祥のであるエジプトへ伝わっていきます。エジプトには9世紀に、紙がバクダードやサマルカンドから入り、パピルスの使用はすでに少なくなっていましたが、900年頃、製紙技術か伝わり、カイロを中心に多くの製紙工場ができ、紙が造られるようになっていました。そして10世紀半ばには紙はエジプトでもすっかりパピルスに取って代ってしまいます。

 

アラブ商人の通商によって、紙はさらに西方へと進んでいきます。

1040年にアフリカのリビアへ伝わり、1100年にはモロッコの首都カサブランカに近いフェズに達し、1150年頃には、モロッコの原住民であるムーア人がスペインを占領し、同時にヨーロッパ最初の製紙工場をサティバに造りました。ここにイスラム文化の黄金時代が現出していきます。

そして1189年に、製紙技術はとうとうスペインとフランス両国の国境ピレネー山脈を越え、フランスのエローに製紙工場ができました。当時、幾度となく繰り返された十字軍の遠征によって、キリスト教国にも製紙が知られるようになり、キリスト教徒によって初めてフランスに製紙工場が誕生したわけです。

 

一方、製紙技術は別のルートを辿って、イタリアに入っていきました。

1276年に中部方のアンコーナに近いファブリアーノに製紙工場が出来ましたが、伝わった経路については二つの説があります。一つは十字軍に従軍したイタリア人が小アジアから技術導入したもの。もうひとつはアラビア人がシチリア島を占領していたころに製紙技術を導入したとするものです。

 

さらにアルプスを越えて1391年にはドイツへ、ドーヴァー海峡を渡ってイングランドに伝わったのが1494年です。

 

ドイツ人グーテンベルク(1398~1468年)が中国の影響を受けながらも、独自の活版印刷術を発明したのは1450年頃です。彼の印刷したものは「聖書」ですが、『グーテンベルクの聖書』は羊皮(パーチメント)に印刷された数少ない初期の書物ですが、その1冊に300匹分の羊皮が必要でした。

印刷術が実用化されるためには、量があり、安価な材料がなければなりませんでしたが、それに応えたのが「紙」そのものでした。

 

その後、製紙技術がヨーロッパ諸国を経て何時頃、どのように伝わっていったのか、もう少し見て行きましょう。

 

  • 1356年 オーストリアのレースドルフに製紙工場誕生。
  • 1390年 ドイツのニュールンベルクのドイツ最初の手すき製紙工場創業。
  • 1405年 ベルギーのユイにスペイン人ジョンが同国最初の製紙工場建設。
  • 1411年 スイスのマーレに製紙工場誕生。
  • 1420~70年 ザミラビン王がサマルカンドからインドのカンミールに製紙技術伝播。
  • 1491年 ポーランドのプラドニック・チェルオニイ(クラクフ付近)に製紙工場誕生。
  • 1498年 イギリスのハートフォードの城内に同国最初の製紙工場誕生。
  • 1532年 スウェーデンのモタラ・ストレムにグスタフ・ワサが製紙工場建設。
  • 1540年 デンマークに最初の製紙工場誕生。
  • 1540~50年 スイスにボロ布を原料とした製紙業誕生。
  • 1546年 ハンガリーに製紙工場誕生。
  • 1576年 ロシアに初めて製紙業誕生。
  • 1586年 オランダのドルドレに2つの製紙工場建設。
  • 1690年 アメリカのフィラデルフィアにオランダ人ウィリアム・リッティングハウスらが同国最初の製紙工場建設。
  • 1803年 カナダに製紙業誕生。
  • 1874(明治7)年 わが国に欧米から洋紙技術渡来、操業開始。

 

このように中国の紙がシルクロードを通って長い年月を経て欧米に伝わり、さらに遅く、わが国に洋紙技術が伝わり、洋紙生産が初めて行われたのは19世紀後半の1874(明治7)年のことです。

そして、もとは同じ中国の紙で、伝播し日本で改良され育った和紙と出会うこととなりますが、次第に洋紙(西洋紙)として発展、定着して行くことになります。

  和紙の歴史

 

なお、当時の原料は木綿ボロでしたが、1889(明治22)年に日本で初めて木材からのパルプ製造に成功し、洋紙発展への礎となりました。そして、1912(明治45)年ごろには、洋紙の生産と消費がわが国で生まれ育った和紙と肩をならべ、それ以降、和紙を追い越し洋紙の時代となって行きます。

 

なお、ヨーロッパにおいて19世紀初めに抄紙機が発明され、従来の手漉き法に比べ著しく製造能力が高められたこと、19世紀後半には木材パルプ製造法が発明され、それまでの布ボロから量産可能な木材に原料の転換が行われたこと、また、印刷技術の発展により紙需要が拡大していったことなどにより、製紙工業が飛躍的に伸びていきました。

 

紙2000年の歴史の中で、発展のもとになったのは上述のように、木材パルプの出現と抄紙機(手漉きから機械漉きへ)の発明ですが、これらによりマスコミへの対応、量産化、低廉化、品質向上などが可能になりました。そして今日まで、抄紙機の進展すなわち、スピードアップ、広幅化、効率化、省力化や品質改善、原料の変化、用紙の多様化(品種・銘柄の増加、酸性紙から中性紙へ、再生紙の拡大など)、環境保護、森林保護などのニーズに対応してきました。今後ともさらに発展し、生き延びていくためには変わらない対応と技術開発が必須であると考えます。

 

ところで紙の次には何が来るのでしょうか。ことあるたびによく話題になります。

紙は電子メディアによって駆逐され、無くなるのではないかといわれます。しかし、お互いにメリットがあり、特徴を持っております。お互いに補完しながら、棲み分けていくものと考えます。

 

紙がこれからも生活に密着し、その原料対応と古紙回収・利用などで球環境にやさしい限り、かつ技術開発を続ける限り、将来とも紙の存続と進展は大いに可能性があります。

 

なお、表に紙の歴史を掲げました。ご参照ください。

  表「紙の歴史」

 


更新日時:(吉田印刷所)

公開日時:(吉田印刷所)